第73話 彼の正体。

 なんで――。なんでこんなことするんですか。


 くぐもった声で言うと鵺ヶ原さんは表情を変えないままナイフを灰皿に突き立て、私の口元から手を退かすと冷ややかな声で言った。


「剣木さんが悪いんだよ、俺の言うとおりにしないから」


 なに…………。


「女ってさあ、なんで優しくしてやるとすーぐ心許しちゃうんだろうね。内面はよく見ないくせに、外見ばっかりの馬鹿な生き物だよ。この顔で何人、何十人騙されたか……。だからさ、俺にとってはそう、ここにあるタバコと同じなんだよね」


 灰皿の中に乱暴に突っ込まれた吸い殻たちを指差して、いつもの調子で笑う鵺ヶ原さん。


「使い捨て、当たり前なんだァ。可愛がるふりして、こっちに気持ち引き寄せて、基本寝たらバイバイって感じ。そうじゃないとやってられないよ、恋人なんて面倒くさいおままごと」


 話が、わからない。


「イケメンの彼氏が出来たって周りに自慢させてさ。結構いい思いさせてやったはずなのに、別れ話切り出すとみんな顔ブスにさせて、いかないでいかないでって……、まあそれが一番のミソなのかな。その時だけ、唯一心から笑えるんだよ、俺」


 ただわかるのは。この人が底知れぬほどに歪んでいるってことだけ。


「それで。ストックがなくなってきてたから、そろそろ補充が必要かなーなんて思ってた時に、剣木さんを見つけてさ。一目見て思ったよ。ああ、チョロそうだなーって……」


 鵺ヶ原さんが新しいタバコを取り出してふかし始めても、私は少しも動けなかった。


「うん。思った通り、すぐ騙された。頼れて仕事もできてかっこいい先輩って、思い込んだよね。でも、いくら君が気に入りそうな言葉をこっちが吐いてあげても、靡かなかったよね、鵺ヶ原さんはそういう対象として見れませんって余裕ぶって断っちゃうし、挙げ句の果てには――あんな低レベルな奴と」

「それは……亀井戸さんの、こと……」

「あれ以外にいないでしょ」


 煙がぶわーっと車内に充満して、息苦しくなる。


「久々に不愉快だったよ。つまり俺は、あいつより下ってことにされたんだよね、剣木さんに」


 そんな……。


「ごかい、ですっ……! そんなふうに思わせようとなんて、私は――」

「君がどう思ってるかなんて、別にどうでもいいんだよ。はは……まーでもいたよ、中には、剣木さんみたいな女、顔だけじゃないですーみたいにかしこぶっちゃう女。そういう女は特に嫌いでね、だからたまにお仕置きをするんだよ。こういうふうに二人っきりにしてあげて……、いい思いさせてあげる。誰が上か、教えてあげるんだ。犬と同じみたいにね。でも剣木さんは騙されやすい割には無難な性格してたから、チャンスをあげようと思ってたんだよ、どのタイミングで仕掛けようかなんて考えてたら、運良くあいつのこと忘れてくれたからさ。それで、ああなった。でもせっかくのチャンスを見事に棒に振ってくれたよねー、だからもう仕方ないと思った、今までの女みたいに、するしかないなってね」


 早口で支離滅裂な言葉。

 今、目の前で起こっていることが現実だと把握しきれなかった。


 私が知っている鵺ヶ原さんは、顔もかっこ良くて、頼り甲斐があって、とても、自慢できる、お兄さんみたいな人。


 それなのに――、目の前で煙を吐いて、ケタケタ笑っているこの人は。

 ただ顔の整った男の皮を被った。


 化け物だと思えた。


 ――あの人には気をつけて――


 カメさんの言葉が蘇る。


 ……自分を守らなければ。どんな手を使ってでも。そんな本能が、高い警告音を発した。


「不愉快な思いをさせたのなら、謝ります……から、ここから出してください……っ」

「だめだよ。用が済むまで帰せない」

「お願いです……、帰してください……っ、鵺ヶ原さん……」

「全部終わったら家の前まで車で送ってあげるから」

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