第一章 02 大学院の指導教員

 舞が十時前に精神科病棟の事務室へ行くと、既に優子が着席していた。


 日本の多くの病院では、糖尿病や心臓病、腎臓病、肝臓病などの疾患には、医師からの依頼で管理栄養士が直接、患者に栄養指導を行っている。だが、精神医療に栄養指導を取り入れている病院は、一部の個人クリニックを除いては、今の日本には、ほとんどない。


 優子が、「大学病院だからこそ、新しい改革が必要だ」と大学側に提案し、芦屋医大では、精神疾患の患者にも栄養指導が取り入れられるようになった。


 古い体制を変えようとしない大学の重鎮たちが、なかなか首を縦に振らなかった。

精神科の医局長を務める錦城孝則(きんじょうたかのり)も、その一人であった。


 芦屋医大の前身は、大正時代に開業した《芦屋脳病院》という、当時の精神病院である。そのため、歴代学長は精神科の医局長から選ばれる事例が多い。錦城は、そのポストを狙っている態度でも有名だった。錦城の治療法は、従来の薬物治療を主とするもので、栄養療法を鑑みる様子はなかった。


 その錦城の首を縦に振らせたのは、芦屋医大の理事長という噂だ。理事長は医師ではなく、芦屋医大の創設者、茂森立樹(しげもりたつき)の三男、茂森正雄(まさお)という人物で、高齢のため、ほとんど表には出てこない。病院経営に徹するため、神戸大学の経済学部出身ということだ。


 芦屋医大の歴史を遡ると、茂森立樹は、両親から受け継いだ芦屋脳病院に、研究機関を設けたいと考え、大学設立に踏み切った。


 芦屋医大の創設は一九七二年。大学設立の構想から五年の歳月を要している。

一九六〇年代に入ると、ノーベル賞を二度も受賞したポーリング博士や、カナダのホッファー博士が、「精神疾患は栄養療法で完治できる」という業績を次々と発表していた。


 これからの日本の精神医療に活路を見出した立樹は、大学設立の構想を描いた。

大学にするからには、精神科だけでは成り立たない。そこで、大阪帝国大学時代の医師仲間に声を掛け、準備が進められた。


 しかし、ホッファー博士らの業績は、ほぼ同時に発表された精神安定剤の導入で、主だった国際学会で発表されることはなかった。精神安定剤は一九七〇年代に入ると、豊富な資金力を誇る巨大製薬会社から、次々と開発された。


 芦屋医大での精神医療研究も、時代の波に飲まれ、薬物治療が中心となっていった。


 数年後、立樹は「薬物治療は対処療法で、患者の健康を救うどころか悪化させる」と気づく。だが、もう後戻りできなくなっていた。


 立樹は密かに初心に戻り、精神疾患と栄養療法の研究を続けようとした。だが、一九八五年、渡航先のドイツで心臓発作を起こして亡くなっている。


 現理事長の茂森正雄は、父の立樹の無念さを間近で見ている。そのため、優子の研究を取り入れたいと考え、傲慢な錦城を黙らせた。


 舞は精神科病棟の長い廊下を歩きながら、想像を巡らせていた。


 優子は歩きながら、看護師に患者の様子を聴いている。


 看護師が、ある一室を開けようとすると、優子のスマホが振動した。緊急の呼び出しだろうか? スマホ画面を一瞥すると、優子の表情が曇った。


「錦城先生から、呼び出しよ」


 舞に向かって苦笑いすると、優子は、病室に入り、回診を続けた。


 優子が今朝の白い女の精神鑑定をするのだろうか? 舞は一刻も早く、事件の概要を優子に話すべきだと、機会を伺った。

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