終章 08 危機
舞は、声の主に見当が付いていた。佐伯隆介の娘となる女性だ。ゆっくりと振り返ると、舞は、微笑んで見せた。
「お住まいは、この辺りなのですか?」
と舞が訊ねると、女性が頷いた。仕事中はいつも、オドオドとしており、眼鏡を掛けていた。以前から、眼鏡を外すと、瓜実顔の美人だと思っていたが、その通りだった。今日も、髪をアップにしている。
「いつか、宇田川さんとは、漢方や自然療法について、語り合いたいと思っていたのですよ。幹線道路沿いにファミレスがあるので、良かったら、お茶しませんか?」
「これから、実家に行くのです。ファミレスの、近くですけどね」
突き当りの幹線道路を左折すると、舞の実家がある。ファミレスは、右折して二十㍍ほど歩いた場所にあった。実家と同じ並びだ。
「角倉先生の件で、お訊きしたい事柄もあったのです。二十分ぐらいでも、ご迷惑かしら?」
女性は、困り切った様子で、首を傾げた。舞は、何故か、女性の髪形が気になった。
――髪をアップにすると、遠目にはショートカットに見える。あの日の夕暮れ時、紫陽花の葉を手にしていたのは、優子先生ではない!
同じ職場にいながら、この女性と懇意に話す機会はなかった。今日を逃すと、その機会は、ないように思えた。舞も、この女性に、質問したい衝動に駆られていた。
――甜茶の分析結果を持ってきたのも、この女性だった。
舞は笑みを浮かべると、頷いた。雑談を交わしながら、次のブロックまで歩いた。この辺りは、車の往来はあるが、歩行者は、どの時間帯も疎らだった。ファミレスは、舞の実家から近いとはいえ、逆方向になる。そのため、今の道の向かい側に移動する必要があった。女性が、赤信号機を指差しながら、「向う側に渡りましょう」と、舞を誘導する。
信号待ちで立ち止まると、女性が舞の顔を見る。外灯に照らされた女性の顔は、青白かった。電信柱が背後にあるため、美しい怪談話の主人公にように見えた。
「お洋服に、髪が付いていますね」
女性は、「ちょと失礼」と発しながら、舞の肩に右手を伸ばした。
礼を述べながら、舞は、女性の顔を見た。女性は、妖艶な笑みを浮かべた。次の瞬間、舞は、感覚を失った。女性の顔が優子と重なった。遠目に黒いタクシーが視野に入った。
――優子先生?
舞の意識が遠のいていく。先ほどの女性は? いない? 幻覚だったのか? よく考えれば、タイミングが良すぎて、不自然だと、気付けたはずだ。
――ママに迎えに来てもらおう。動けない。スマホはどこだろう? 明日の朝、荒垣先生には逢えないなぁ。約束したのに……。
舞の思考力は、限界に達した。
微睡みながら、「舞さん」と呼ばれる声が聴こえた。
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