第三章 26 パズルのピースはバラバラに

 午後の職務を手短に済ますと、舞は、リフレッシュ・タイムを利用して、大学院自習室に籠った。調べ物が、沢山あった。


 自習室に入ると、プライベート用のノートPCを立ち上げた。ネット回線も、自身のスマホを、ルーター代わりに使用した。職務用のノートPCや、自習室のパソコンは、職員番号や学籍番号を入力する必要がある。万が一の追跡に、備えた。


 記憶が新しいうちに、荒垣の病室で見掛けた《小出法律事務所》を検索する。弁護士二人が在籍する、家族経営の事務所だ。代表は、六十代前半の男性。もう一人は、三十代前半の男性だ。苗字が同じなので、親子だと思われる。若い弁護士は、小出洋一。趣味は空手と探偵小説だった。両者とも、学歴は神戸大学法学部卒だ。


 浮浪者殺人事件や錦城の死と、関連があるようには思えない。荒垣は両親を亡くしている。遺産相続など、個人的な問題だと思える。


 画面を検索エンジンに切り替えると、《姫崎美容外科》と入力した。大阪の中心地、梅田に本院がある大手美容外科だ。大阪の北摂と呼ばれる地域や兵庫県の阪神間に、分院がある。主に、阪急沿線エリアで展開されていた。


 優子の母は、芦屋医大の書籍によると、二〇一五年に他界していた。苗字は載っていなかったが、名前は加代だ。キーボードを操作し、舞はホームページ上でキーワード検索した。《姫崎加代》で、ヒットするページが表示された。レーザー治療のいきさつや、医療機器の紹介ページだった。写真も掲載されていた。優子と似ているが、狡猾そうな笑顔だった。箕面みのお院の前副院長と記されていた。


 姫崎美容外科のトップページに戻ると、舞は箕面院のページを開いた。現在の院長名は、姫崎姓ではなかった。次に、沿革のページを開く。箕面院は、姫崎美容外科の分院、一号院で、一九六十年代に開院している。当時の院長は、創設者の次男、姫崎行雄ゆきおだった。二〇〇〇年に他界している。箕面院の院長は、行雄の後、何度か替わっていた。


 亡き医師のプロフィールは、紹介されていなかった。行雄と加代の学歴は確認できなかったが、優子の両親だと考えられた。


 酒造会社の佐伯一族と結びつく情報は、見当たらなかった。


 次に、優子の亡き夫、《仁川祐司》を検索した。数件の古い論文のPDFファイルがヒットしたが、概要のみだった。学内LANで検索すると、祐司の論文は検索できる。


 図書館に、書籍と論文検索専用のパソコンが設置してある。そのパソコンなら、個人IDとパスワードの入力は、必要ない。舞は、検索履歴を消去すると、プライベートのノートPCをオフにした。荷物を纏めると、図書館に移動した。


 祐司の論文は、幾つかヒットした。参考となりそうな論文は、ダウンロードして、USBメモリに保存した。当然だが、論文検索では、祐司のプライベート情報は分らない。当時を知る人物から、訊き出す必要がある。


 祐司と同僚であった辛嶋か、栄養部長の小絵だ。辛嶋には、訊き辛い。十六時から、精神科の栄養指導だ。舞は、小絵から訊き出す策を考えた。栄養指導まで、まだ時間がある。錦城の脳の解剖結果も、気になった。舞は、総合病棟に向かった。


 職員用の通用口から中に入ると、一階のエレベーター・ホールや、エントランスが見渡せる。エントランスを見ると、白衣姿の荒垣と喜多川が話していた。


 喜多川の表情は、見えなかった。荒垣の表情は、打ち解けているように思えた。笑顔が見られる。舞は、身を隠すように、通用口に戻り、そのまま精神科病棟へ向った。


 解剖結果よりも、何故か、荒垣の笑顔の理由が知りたかった。


 精神科病棟に入ると、一階の栄養指導教室に向かった。廊下を歩いていると、診察を終えた角倉が診察室から出て来た。


「今日の舞ちゃん、機嫌が悪そうに見えるなぁ」と角倉が言った。


 角倉の顔を見ると、舞は、安心した気分になった。


「考え事が多くて……。怖い顔をしていましたか?」


「何だか、悔しそうな顔に見えたけど。そうだ、今日はもう荒垣の見舞いに行ってもいいと思うよ。仕事が終わったら、行こうか?」


 角倉の医師目線は、侮れない。舞は、表情を引き締めた。


「先ほど、総合病棟でお見掛けしました。向うは気付いてなかったと思いますが」


「もう起きているのか? アイツのことだから、錦城先生の解剖の見学に、行ったんだな」


「そうでしょうね。エントランスで、女性の方とお話されていましたよ」


「多分、警察の姉ちゃんだろう? キレ者らしいね」


 舞は頷くと、「お綺麗な方ですしね」と、世辞を言った。


「そうなんだ。俺は面識ないからね。藤原先生の後輩だろう? 学部は違うけど、藤原先生が、喜んでいたよ。あの子は、名物刑事になるって」


「警察の階級は、よく知りませんけど。いつか西宮警察署の署長さんに、なれそうですね」


「なんだ、舞ちゃん、焼いてるの? 大丈夫だ。荒垣は、自分より学歴の高い女性を、怖いと感じる性質だから」


 舞は、首を傾げながら、微笑んだ。


「焼いてるとか、そう言われても困るのですが……。そろそろ時間なので、行きますね」


「舞ちゃんは、相変わらず疎いね~。じゃあまた、後で」


 角倉は、右手を振りながら、精神科病棟を後にした。


 角倉との立ち話は、今朝、優子から聞いた話と、逆の内容だ。くだらない、と思う反面、心が軽くなる。だが、安心はできない。優子、荒垣、角倉、喜多川。この中の誰かが、嘘を吐いている。パズルのピースは、さらにバラバラになったと、舞は感じた。

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