第一章 06 合同カンファレンス

 栄養部の壁時計が、三時四十五分になった。舞は長い髪を結わえ直し、ノートPCを持って立ち上がった。


 十六時から八号館三階の会議室で、合同カンファレンスがある。毎週木曜日が定例だ。


 栄養部は、L字型に建っている一号館の離れにある。《一号館付属棟》と呼ばれ、給食センターになっている。三階が栄養部のオフィスだ。


 舞の席も栄養部にあるが、デスクワーク以外は、ほとんど八号館の精神科病棟にいる。一号館付属棟の三階と八号館の三階は、渡り廊下で繋がっているため、移動も便利だ。


 舞が渡り廊下を歩いていると、優子の後ろ姿が視界に入った。 舞が会議室に続く廊下に差し掛かると、突き当りで優子がスマホを耳に当てていた。後ろ姿のため、表情はわからない。普段は姿勢の良い優子だが、両肩が下がり気味だ。舞には優子の後ろ姿が、どことなく寂し気に映った。


 舞が会議室に入ると、十名ほどが既に着席していた。合同カンファレンスには、精神科医の他に、研修医や大学院生、看護師、理学療法士、臨床検査技師、言語聴覚士、薬剤師などが参加する。管理栄養士は舞の他、栄養部長も出席する。


 十五時五十五分になると、ほとんどの出席者が着席した。


 医局長の錦城は、いつも勿体付けているのか、二分か三分は遅れて着席する。だが、この日は、十六時前に着席していた。機嫌が良いようにも見えた。


 錦城と優子は、出席者と向かい合って、雛壇に着席する。


 最前列には、錦城のイエスマンと呼ばれている辛嶋哲司からしまてつじが着席。五十六歳の教授だ。いつも司会を買って出ている。


 最前列の優子側の席には、角倉武かどくらたけしが着席。三十八歳の精神科医で、中国で漢方医の資格も得ている。漢方薬を有効的に使うため、患者の薬物依存を抑え、完治率が高いという評判だ。だが、錦城派の医師たちからは、「患者のリピーター率が悪い」と異端児扱いされていた。


 角倉は、芦屋医大の正式な勤務医であるが、大学での立場は講師のままだった。優子や舞が推進する栄養療法にも、賛同してくれている。荒垣とは大学の同級で、舞も頼りにしている存在だ。


 北島楓きたじまかえでの姿もあった。楓は三十一歳の薬剤師で、薬学博士を目指している。芦屋医大の大学院では、医学部と薬学部の共同科目もあるため、舞は、何度か楓と顔を合わせる機会があった。楓は薬剤師の職務として、主に精神科の処方薬を担当している。薬物治療は、錦城派の医師たちと密に連携を取るため、舞と楓はお互いに、話し辛いと感じていた。


 楓は合同カンファレンスで、錦城派の医師たちに、同意を求められる度に、舞の顔をチラリと見てから話し出す。その様子から、楓は、薬漬けの治療に疑問を持っている、と舞は推測していた。


 事実、楓が講師室の角倉に、よく質問している姿を見掛けた。対処療法の薬物よりも、根本治療の漢方薬なら、身体にさほど負担は掛けない。表向きは錦城のほぼ言いなりだ。だが、楓と腹を割って話せば、相通じるものがあると感じていた。


 舞の隣には栄養部長の吉田 小絵さえがいる。五十八歳のベテラン管理栄養士だ。芦屋医大の入院食全般の責任者となる。精神科の合同カンファレンスをはじめ、各医局のカンファレンスにも出席している。


 小絵は、糖尿病や肥満、高血圧など、生活習慣病の治療食のスペシャリストだ。だが、精神病患者の治療食には知識がなかった。小絵の努力不足ではなく、日本の『臨床栄養学』のカリキュラムには元々、精神疾患の項目が存在しない。


 舞が「精神疾患の治療食も確立するべきだ」と言い出した時は、随分と小絵を困らせた。だが、小絵も「習っていないから、知らない」で済ますタイプではなかった。精神科病棟の食事内容や、患者の食事パターンなどを分析するようになった。今では、舞の良き理解者の一人である。

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