終章 12 次のターゲットの安否

 優子がイライラした様子で、スマホを操作する。微かに、呼び出し音が聴こえていた。


「真夜中だし、寝ているだけならいいのだけどね」


 舞は頷くと、プライベート用のスマホを操作した。荒垣に、PDFデータの礼と、角倉の様子が心配な旨を明記し、メールを返した。


 角倉と楓の接点を反芻し、舞は優子に語り始めた。大学院の授業で、楓は、角倉の漢方系の講義を受けている。そのため、角倉の講師室に、よく質問に行っていた。


 以前、精神科の合同カンファレンスが終了した後、舞が角倉と栄養部長の吉田小絵と雑談していた際、楓が会話の輪に入って来た。その際、楓は漢方専門の薬学博士を目指していると、話していた。栄養療法にも、興味を示していた。


 その時の角倉は、教え子である楓の優秀さを、誇らしく感じているように見えた。楓は、錦城派の医師らの前では、いつも緊張した面持ちだった。だが、角倉と話している時は、打ち解けているように見えた。


 錦城は、気に入らない事情があると、人前でも平気で声を荒げる。角倉は、楓が錦城に怒鳴られる様子を、何度か見かけていた。錦城の急逝後、楓の表情は明るくなった。角倉も察しが良い。その表情に、不審を感じていたと、想定できる。


 荒垣は、浮浪者殺人事件の件で、錦城と情報交換をしていた。楓は、何かの折に、荒垣が、桐花の血液から、新薬の主成分、ボルテキセチンを検出した事実を知った。


 錦城が急逝しても、献体登録のため、解剖は半年から二年後だと、楓は見込んでいた。だが、錦城はブレイン・バンクに登録していたため、すぐに解剖された。


 焦った楓は、荒垣の作業を、阻止したかった。荒垣の様子は、インターンに聞けば分かる。甜茶を愛飲している事実を知ると、荒垣の甜茶を掏り替えた。楓の目論見通り、荒垣は食中りを起こした。


 優子が首肯しながら、舞に質問する。


「北島さんが焦った理由は、どう推察しているの?」


 頭の中を整理すると、舞は、続きを語った。


 錦城を亡き者にする際、楓は《塩化カリウム》を使用したと想定できる。塩化カリウムは、食品添加物にも使用されている上、検出されにくい。錦城が、献体登録だった場合、解剖が行われるのは半年以上も先だ。仮に、医局長なので、早く解剖する運びになっても、一週間後だ。そのタイミングで解剖されても証拠は残らないと、楓は計算したのだろう。


 だが、ブレイン・バンクの登録で、迅速解剖となると、話は違ってくる。錦城が亡くなった日の昼休み、舞は、錦城の研究室の前を通り、怒鳴り声を聴いた。錦城がなじった相手は、楓だ。計算づくで、錦城が怒鳴るよう、仕向けたと考察できる。


 その後、錦城と楓は、総合病棟の《御影ホテル》レストランで、製薬会社との会食に参加している。その際、末席に着席し、レストラン側とのやり取りは、楓が行っている。楓なら、後日に解剖されても形跡が分からない物質を、料理に混入する機会があった。


 ここまで話すと、優子が納得顔で頷いた。


「塩化カリウムだと思う理由は?」


 舞は、座り位置を変えると、栄養分析の結果を語り始めた。


 錦城の解剖の結果、毒物は発見されなかったが、糖尿病の可能性が高い事実が分った。胃の内容物の栄養分析でも、同様だった。錦城が糖尿病患者である事実を知りながら、本人に知られないように工作できる者が、疑わしいと思われた。インスリン注射が必要な事実を知った上で、錦城に菓子などの糖質の高い食品を勧めると、罪になる。


 だが、錦城の大食漢の事実に目を奪われ、糖質や脂質の分析だけを注目していた。改めて、各栄養成分の分析結果を見ると、野菜や果物の摂取が少ないわりに、カリウム量が多い事実に気付いた。


 錦城が好む菓子は、《氏鉄饅頭》や《御影ホテル》製のプリン、アソート・チョコレートなど、上質な菓子だ。安価な菓子類には、食品添加物が多いため、カリウム量が多くなる場合がある。だが、錦城の場合、該当しないと思えた。


 優子は、何度も頷いた。


「着眼点は、いいかもね。後は、プロの判断にお任せしましょう」


 舞は、「プロ」の言葉が気になったが、角倉の行動に話を戻した。


 荒垣が入院中、角倉は、楓に甜茶の分析データを依頼した。楓は、三十分以内に分析データを印刷して、解剖実習室まで届けに来た。


 保険適用となる漢方薬は、使用頻度が多いため、分析データのストックがある。だが、甜茶は、その類に入らない。そのため、分析データを出すのにも、時間を要する。


 楓の行動が速かったのは、以前、分析した過去があるからだ。角倉は、今週の月曜日の時点で、楓の真の姿を見抜いていたと想定できる。今の楓は、自暴自棄になっている。自身の行為を見抜きそうな人物を、抹消しようとしている。


 舞が話し終えると、優子が不安そうな表情で、スマホを見る。


「急患の連絡時は、角倉君のコール・バック早いのだけどね……」


 舞のスマホが振動する。荒垣からのメッセージだった。


――体調は、どうだ? メールを打てるようなら、大丈夫だろう。角倉は、解剖実習室の当直部屋にいるから、心配無用だ。明け方には、全てが解決する。優子先生に、よろしく。


 舞は、拍子抜けした気分になった。荒垣の文面では、舞が緊急入院した様子や、優子と一緒にいる事実も、把握していた。


 優子に、メールの内容を伝えると、安堵した表情になった。


 その時、ドアをノックする音が聴こえた。優子が立ち上がると、ドアを開ける。


「ようやく、お会いできましたね」


 部屋に入って来たのは、西宮警察署の喜多川だった。

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