終章 10 銘家の秘密
優子の眼を凝視すると、舞は枕を背に、楽な体勢に座り直した。情報元は伏せ、荒垣や喜多川から聞いた話を、搔い摘んで話した。
一九九五年一月の阪神淡路大震災まで遡った。震災の直後、優子の夫が研究室に閉じ込められた事実、当時の研究内容、優子の妊娠などだ。優子は表情を変えず、時折り首肯した。だが、一言も発しなかった。皺になったシーツを見詰めながら、舞の話を聞いていた。
話しにくい内容もある。しかし、DNA鑑定の結果、佐伯桐花が優子の実の娘である事実や、義理の従姉に娘を託した推測も話した。桐花が、サナトリウム病院で、錦城の治療を受けていた内容を話すと、優子が顔を上げた。
「舞さんは、錦城先生が亡くなった日の昼休み、怒鳴り声を聞いたのよね? 私が錦城先生を問い詰めて、怒鳴らせたと思っているの?」
舞は、優子の眼を見て、ゆっくりと首を横に振った。
「最初は、そう思っていました。優子先生は、錦城先生から交換条件を出されていたと、推測しています。錦城先生は、桐花さんが優子先生と仁川祐司先生の娘だと、気付いていました。その事実を黙っているから、新薬モーニスコプラの原案が仁川祐司先生の研究だった事実を公表しないよう、錦城先生から圧力を懸けられていませんでしたか?」
優子が寂し気な表情で、微笑んだ。
「おおむね、そんなところね。実の娘が、よりによって亡き夫が考案した薬の副作用で、殺人を犯した。口封じのために、事情を熟知している錦城先生を亡き者にしたい、と思った。そう思われても、不思議じゃないわね。けど、舞さんは、錦城先生を怒らせたのは、私ではない、と思っている訳ね?」
「はい。優子先生は、ご主人が考案した新薬は、この世に出したらいけない、とお考えですよね。ご主人も考案したものの、強い副作用の危険を察して、新薬の開発は止めようとしたのではないでしょうか?」
優子が、諦めた表情で頷く。
「夫は、信頼のおける薬学博士に、新薬の化学式のデータを託したのよ。危険性が強い事実を、証明してもらうためにね」
「その薬学博士は、荒垣政勝先生ですよね?」
「そうよ。荒垣君のお父様よ。あの方も亡くなったわね。神経衰弱だったと。私の夫も、直接の死因は、震災時の逃げ遅れだった。だけど、その前年から、神経が衰弱していたの」
「震災時、錦城先生は、わざと仁川先生を研究室に残して、立ち去ったのではないでしょうか? 当時の防犯カメラの映像に……」
舞が最後まで言い終わらないうちに、優子が遮った。
「今さら蒸し返しても時効だし、夫が帰ってくる訳でもない。それより、夫が目指していた、精神疾患を完治させる方法を、違う角度から研究したかった。薬を使わない方法でね」
舞は、優子の顔を覗くように見て、訊ねた。
「お祖父様の研究ですよね? 私の憶測ですが、芦屋医大の創設者、茂森立樹先生は、優子先生の母方のお祖父様ではないでしょうか?」
優子の目が、一瞬、泳ぐ。フッと笑みを漏らした。
「そこまで知っていたのね。幸い苗字が違うから、学生時代から話題に出さないようにしてたの。祖父は大学の創立は果たしたけど、自身の研究課題は、志半ばで他界したからね」
優子の表情は、憂いに満ちていた。
舞は首肯しながら、脚を動かした。麻痺が軽減されているように、感じた。
「優子先生には、錦城先生を亡き者にする動機がありますね。荒垣先生も、お父様と錦城先生の確執で、動機があると思いました。ですが、命を奪うほどの動機になるとは、思えませんでした。以前、噂で、酒造会社の佐伯一族が甲神学園の創設者一族でもある、と聞きました。その直系に、隠し子説が囁かれている、とも」
舞は、動けるようになった両膝を布団の中で、そっと立て、先を続けた。
「噂話は、事実でした。現、白嶋酒造の社長は、佐伯隆介氏。奥様は、仁川祐司先生の従姉です。このお二人が、桐花さんの育ての親です。それと……。佐伯隆介氏の実の娘が、芦屋医大に勤務しています。薬剤師の北島楓さんです」
優子は、この事実を知らなかったのか? 舞が眠っていたベッドに両肘を突くと、両手で頭を押さえて、下を向いた。大きく息を吐いている。
十秒ほど経つと、大きく息を吸いながら、顔を上げた。
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