第三章 10 父との夜道

 舞は、幹線道路沿いを、勝司と並んで歩いていた。犬は、電信柱や街路樹の下を通る度に、クンクンと匂いを嗅いでいる。


 舞は、勝司の顔を見上げ、「凜ちゃん、鬱憤が溜まっているのかな?」と、言った。幼少のころから、舞は姉のことを「凜ちゃん」と呼んでいる。


 勝司が、舞の顔を覗き込む。


「お前もそう思うか? 言動が変だったなぁ。腹の立った出来事を話し終えたと思ったら、今度は一人で笑い出して、楽しかった出来事を話し出すし、支離滅裂だ」


 舞は、犬の行動を目で追いながら、頷いた。


「お義兄さんと、仲が良いと思ってたけどねぇ」


「なかなか子供ができないから、凜が焦ってるみたいだ。ママからの又聞きだけどな」


「凜ちゃん、お菓子の食べ過ぎだと思うわ」

 と舞が言うと、勝司が可笑しそうな表情で、舞の顔を見た。


「ケーキを食ったら、子供ができないのか?」


 舞は、首を横に振った。


「妊娠の前に、凜ちゃんの精神状態のお話だけどね。感情の起伏が激しいのは、身体が低血糖状態に陥っているからだと思うの。低血糖状態になるのは、スイーツの食べ過ぎの可能性が高いのよ」


 勝司は「ふーん」と言いながら、犬のリードを調整している。


「難しい話は、よく分からないけど。医学部の院生さんの推察だから、一理あるんだろうね。舞もいつの間にか、立派になってきたなぁ」


 嫌味ではなく、しみじみと感慨深げな口調だった。勝司は、走りだそうとする犬のリードを引くと、静かに笑った。


「勉強と仕事の両立は大変だろう。院を修了するまで、実家から職場に通ったらどうだ?」


 舞は、勝司の親心に感謝した。


「実家にいたら、甘えが出るから」


 遠目に、阪急神戸線の夙川駅が視野に入った。駅に近くなるにつれ、人通りも多く、道も明るくなった。舞は立ち止まると、その場にしゃがんで、犬と目線を合わせた。


「また来るからね。悪戯したらダメよ」


 犬がお座りの体勢で、小首を傾げて舞を見上げる。舞は立ち上がると、勝司の眼を見た。


「ここでいいよ。凜ちゃんね、急にお菓子を辞めさせるとストレスになるから。ナイアシンアミドのサプリメントを勧めてくれる?」


 勝司が、モゴモゴと口を動かし、小声で「ナイアシンアミド」と繰り返している。舞が幼少の頃、勝司から教わった勉強法だ。難しい言葉の暗記は、瞬時に十回唱えて記憶しろ。この勉強法で、舞の記憶力は抜群になった。勝司が笑顔になる。


「もう、覚えたよ。ママに伝えておくよ。凜はママの言い付けなら、聞くからな」


「ナイアシンアミドは、神経や細胞の修復に役立つ栄養成分なの。栄養療法で、何人もの患者さんが良くなるのを見たから!」


 勝司が何度も首肯して、手を振った。犬が寂し気な声を上げる。舞は、勝司の視線を感じながら、夙川駅のネオンに向かった。


 ワンルーム・マンションの部屋に戻ると、舞は、リュックから院内用スマホを取り出した。念のため、緊急要件が入っていないか、確認しておきたかった。


 電源を入れると、優子と小絵からメッセージが入っていた。どちらの内容も、同じだった。錦城の通夜が、明日の金曜日に行われる。土曜日の十一時から、学内葬だ。


 舞はクローゼットから、黒いワンピースを出し、カーテン・レールに掛けた。


 二人に、簡単なお礼のメッセージを入れると、再び電源を切った。


 リュックから、愛用のA5版のノートを取り出した。推察だが、被疑者の行動を書き留めているページを開いた。先ほど、勝司から聴いた、西山町での噂話を付け加えた。


 早速、プライベートのスマホから、喜多川にメッセージを入れた。


「西山町でも、明け方の犬の吠声の噂話が確認できました」


 喜多川も仕事用のスマホだと、極秘行動が上にバレる可能性がある。そのため、プライベートの連絡先を教えてくれた。すぐに「承知しました」と、返信メッセージが来た。


 喜多川は、幽霊話が被疑者だと想定して、足取りを調査し始めているだろう。


 荒垣が、錦城の本来の健診データを追跡できるか? 明日からの胃の内容物の調査で、舞自身も、新たな事実が探し出せるか?


 舞は、パズルのピースが揃うのは、後もう少しだと思った。

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