終章 16 マンハッタン

 一九九五年七月にマンハッタン入りした優子は、臨月に近かった。


 智代の精神状態は、死産のショックから、気分の浮き沈みが激しかった。智代の担当医師からも、智代の精神状態が落ち着くまで、見舞客に会わせないよう、指示が出ていた。早産でもあったため、佐伯夫妻の互いの実家にも、まだ連絡を入れていなかった。


 隆介が驚かないよう、優子は、自身も身重である旨、予め電話で話していた。智代が入院している病院は、富裕層の御用達病院だった。優子も伝手があったため、智代と顔を合わせなくて済む、別フロアの個室に落ち着いた。


 身重でのホテル滞在は、何かと不便だ。出産予定日の一ヶ月前だったが、入院しておくと、安心な住まいとなる。一週間は、何事もなく経過した。だが、出産予定日が近付くにつれ、優子は、我が子の将来に不安を感じた。死産で我が子を亡くしたばかりの佐伯夫妻に、赤ん坊を託すのは、酷だ。智代の精神状態を考えると、残酷な仕打ちだと思えた。


 優子は、妊婦にも運動が必要だと感じ、午前中の涼しい時間帯に病院の近所を散策していた。ロックフェラー研究所も徒歩圏にあり、時折り見学していた。


 七月の中旬、まだ出産予定日の二週間前だった。その日のニューヨークは、早朝から気温が高く、猛暑日だった。病院を出ると、日陰の道をゆっくり進み、ロックフェラー研究所に無事に辿り着いた。研究所内は、冷房が効いて涼しかった。しばらくすると、気温差で体調が変化し、優子は、室内の調度品の長椅子に倒れ込んだ。


 優子はすぐに、入院している病院へ運ばれた。そのまま産気づき、女児を産んだ。《桐花きりか》と名付けた。由来は、文字通り桐の花だ。祐司と結婚の約束を交わしたのが、芦屋市内の公園だった。初夏の時季で、薄紫色の桐の花が美しかった。祐司との思い出を、娘の名に託した。


 智代は、まだ感情の起伏が激しく、隔離室での生活が続いていた。隆介だけは、時々面会が許されていた。隆介は、優子の病室にも、時々足を運んでくれた。


 優子は、精神科の医師目線で、隆介の様子を観察していた。赤ん坊の桐花を見ても、取り乱す様子はなかった。次期、白嶋酒造の社長として、婿養子に入っただけあった。我が子を亡くしながらも、病院内では堂々たる振る舞いだった。優子は、直感で、この人物なら、桐花を託しても良い、と判断した。隆介は、亡き祐司とも面識がある。


 優子は、祐司が葬った研究が、蒸し返されている事実を、隆介に話した。


 隆介は「養子縁組を前向きに考える」と、話していた。


 数日後、隆介は、智代の様子が落ち着いた折に、優子からの提案を打ち明けた。智代は、死産の影響で、もう子供は産めない身体となっていた。智代にとって、残酷な話になるかもしれない。だが、予想に反して、智代は喜んだ。すぐに優子と会いたがった。智代も新たな使命を得て、鬱状態から回復したかのように見えた。


 だが、桐花を見た智代は、「私の赤ちゃん!」「やっぱり戻って来たのね」などと発し、現実と幻の区別がつかなかった。アメリカでは、当時から、効き目の早い抗鬱薬SSRIが処方されており、日を追うごとに、智代の精神状態は落ち着いて来た。


 SSRIは、未成年が服用すると、突発的な自殺行為や、攻撃性の副作用が出る。だが、成人が短期間だけ服用すると、回復が早いと称されていた。


 智代は、桐花が優子の娘である事実を受け入れた。だが、「桐花を我が子として育てたい」「実子として届けたい」と言い出した。幸い、ここはアメリカだ。お金を積めば、病院側も事実を隠してくれる。優子は死産を届出、佐伯夫妻が桐花の出生届を出す。日本に戻れば、優子と佐伯夫妻の三人しか知らない事実となる。


 新薬の開発は長丁場だ。数年後に完成するかもしれないが、十数年の歳月がかかる場合もある。智代も芦屋医大に二年半は在籍していたので、錦城の嫌味な性格は承知していた。


 死産した智代の子供の血液型も、桐花と同じくO型であった。当時の日本は、まだDNA鑑定の精度も良くなかった。それに、DNA鑑定を必要とする事態が起きなければ、他の者に知られる可能性も低かった。


 智代は、名前も替えるよう提案してきた。だが、祐司の忘れ形見の証として、桐花の名は、残して欲しいと哀願した。智代は、優子の弱点に付け込んだ訳ではない。智代にとっても、祐司は、幼少の頃より仲の良かった従兄だ。祐司の名誉を守りたい、思いがあった。


 事実、佐伯夫妻は、実子として、桐花を大切に育ててくれた。桐花が薬剤師を目指す、と言い出すまでは、全てが順調だった。


 優子は、実の母である事実は明かさず、桐花の家庭教師として週末を一緒に過ごした。桐花は、祐司に似て、興味を持った事柄に、探求熱心だった。


 二〇〇〇年になり、桐花は、日本人小学校の付属幼稚園に通うようになった。既に読み書きができた桐花は、『児童伝記』のシリーズを読み漁った。中でも、野口英世の生涯に強く惹かれた。一般の女児が好む人形やオシャレには関心を示さない。クリスマス・プレゼントには、両親に顕微鏡をねだっていた。


 祐司の死に、後ろめたさを感じていた辛嶋は、月日が流れても、優子に芦屋医大の様子をメールで知らせ続けた。錦城の開発は、難航しているようだった。本人が発見した物質ではないため、当然だ。錦城が完成させるには、薬学博士の荒垣政勝が実証したデータが必要だと思える。優子は、政勝が、データを死守していると確信していた。


 だが、その年の秋、錦城の開発が前進した。井田製薬と提携して、新薬の開発に乗り出す運びとなった。その時の、辛嶋からのメールには、荒垣政勝博士の急逝についても書かれていた。政勝は、震災で妻を亡くしており、年々、神経衰弱が酷くなったようだ。


 またもや、錦城は、政勝の隠しデータの在処を突き止め、我が物にしたと考えられる。政勝の神経衰弱は、妻の死も一因だろう。だが、祐司と同様、隠しデータが、錦城に発見された恐怖だと思えた。錦城の周りの関係者が亡くなる度に、錦城の開発は前進した。


 日本の製薬技術では、一つの薬が完成するまでに、九年から十七年かかると聞く。井田製薬は、日本でトップの製薬会社だ。完成まで、早くても九年だ。


 錦城は、政勝が隠したデータを見つけ出した上で、重篤な副作用の事実は、用意周到に隠すだろう。井田製薬側が、開発途中で重篤な副作用に気付く可能性に、懸けるしかない。


 副作用で苦しむ患者を救うために、優子は祖父や祐司が目指そうとした、栄養療法の探求に、増々、使命を感じた。


 桐花が中学生になる二〇〇七年の二月に、佐伯一家は、帰国した。それを機に、優子は、半年に一度、日本への帰国を習慣化するようになった。智代と桐花を伴って、祐司の墓参りをした。内心では、桐花の成長を祐司に報告していた。


 中学生になった桐花は、将来は薬剤師になる旨、優子に打ち明けた。医療系大学に進学すると、DNA鑑定も実習で扱うだろう。優子は嬉しい反面、過去の親たちの過ちを、償う日が近付いていると、感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る