第三章 06 第二の死者の最期のランチ

 木曜日の午後一時半、舞は総合病棟の十階にある《御影ホテル》レストランを訪れた。坂下が、舞を出迎えてくれた。坂下の後に続くと、広めの個室の前に来た。


「こちらのお部屋で、荒垣先生がお待ちです。私も後ほど、ご一緒させていただきます」


 個室の中を覗くと、荒垣が着席していた。六人用テーブルの中央に位置を取っている。


 荒垣は、舞の顔を見ると、隣に座るよう指示した。窓際ではなく、入り口側だ。何か意図があるのだろう。


「月曜日に、錦城先生が座っていた席が、ここだ。君の座っている位置に、白衣を着た女性がいたらしいよ」


「その女性の特徴は?」と、舞は質問する。


「髪をアップにして、眼鏡を掛けていた。君が教えてくれた薬剤師と、特徴は似てるかな?」


 舞は、北島楓の姿を反芻した。


「確かに髪は長く、眼鏡を掛けています。神経質そうですが、線の細い瓜実顔の美人です」


 荒垣が、「ふーん」と首を捻りながら、部屋を見回している。そして、窓際の空席を指しながら、言った。


「もう一人、白衣を着た、長身の中年男性もいたらしい。こちらも眼鏡だ。角倉は眼鏡を掛けないし、高出君は若い。向かいの席には、スーツを着た男性三名。製薬会社か医療機器メーカーとの接待ランチだったのかな」


 舞も、月曜日の状況を想像しながら部屋を見回した。ノックの音が聞こえる。坂下が、ワゴンを押しながら入室した。荒垣と舞に一礼すると、荒垣の前に、サラダを置いた。


「月曜日、錦城先生にお料理をお持ちしたのは、私です。まず、サラダをお出ししたのですが、断られました。次にシャトーブリアン・ステーキをウェルダンで出しました」


 坂下が、まだ熱いステーキの鉄板を荒垣の前に置く。


「本来なら、一品ずつお出しするのですが。昼休みでお時間がないようなので、一気にお料理を並べますね」


 ワゴンから、次々と料理の載った皿を取り出し、坂下がテーブルの上に並べて行った。


 デザートは、プリンの他に、数種類の小さなカットケーキとフルーツの盛り合わせもあった。プリンは、コース料理とは別にオーダーしたらしい。


「錦城先生が月曜日に召し上がったメニューでございます」


 ご飯は大盛り、ステーキのサイズも特大だ。死後、胃に二㍑近い、内容物が存在したのも、頷ける内容だ。荒垣が院内スマホを取り出し、料理を一品ずつ撮影した。


「サラダの他に、食べ残しがありましたか?」


 坂下が、荒垣の向かい側に回り、一礼した。


「ステーキ皿では、ブロッコリーと人参。デザートに添えた果物も、お残しになりましたね。野菜や果物がお嫌いなようですね」


 荒垣が頷きながら、スマホを操作する。


「他に質問事項がたくさんあるので、お座り頂けますか?」


「私の記憶が、医学の向上に繋がるのでしたら、光栄ですよ。では、失礼して」


 坂下が座るのを見届けると、荒垣が口を開く。


「これだけの量だと、軽く二人分ですね」


 坂下が、小皿を数枚、荒垣と舞の前に置いた。荒垣が小声で舞に囁く。


「悪いけど、適当に分けてくれるかな? 試食させてもらおう」


 舞は、優子も好物であるシャトーブリアン・ステーキを切り分けた。優子は一番量の少ない八十グラムでオーダーする。だが、錦城がオーダーしたステーキは、二百五十グラムの大きいサイズだった。舞は、目分量で四分の一ほど、自身の皿に盛ると、荒垣の前に鉄板を戻した。荒垣が「さすが上質の神戸牛ですね」と感嘆しながら、坂下に質問を始めた。


「月曜日に、錦城先生が接待されたお客様は、どんな様子でしたか?」


 坂下が、ゆっくりと眼を閉じた。二~三秒後に、またゆっくりと眼を開けた。優美で意志の強そうな、眼差しだ。


「給仕しながら、小耳に挟んだのは、お薬の話でした。無事にプレス・リリースが終わったとか、正式な流通ルートとかですね。恐らく製薬会社の方々だと思われます」


「お客様の年代は、覚えていますか?」


 坂下が、優しそうな眼差しで頷く。


「眼光の鋭い、貫禄あるロマンスグレーの方がお一人。今の私の席に座っておられました。窓際席に四十代ぐらいの色白の線の細い男性が。反対隣は、三十代前半でしょう。弁の立つ営業マン風の男性が座っておいででした」


 荒垣がスマホを軽く掲げ、「記録用に録音しています。口外はしませんので」と言った。


 坂下が、上品な笑みを漏らした。舞は、つくづく「ダンディだ」と思いながら、坂下の挙動を眺めた。荒垣の質問が続く。


「錦城先生の両隣に座っていた人たちの様子を、もう少し詳しく教えて頂けますか?」


「窓際席の長身の男性は、恐らくお医者様だと思います。お会計の際、女性がその男性の合図で立ち上がり、傍に跪いて、指示を聞いていました。小声で、『松嶋先生』でしたか、『楢嶋先生』でしたか? なんせ『嶋』のつく名前を囁いていましたね。先生と呼ばれているので、お医者様だと思った次第です」


 荒垣が「なるほどね」と頷きながら、ステーキを頬張る。


「女性のほうは、髪型と眼鏡姿の他に、何か覚えている事柄や特徴は、ありませんか?」


 坂下が、舞の顔をにこやかに見ながら口を開く。


「食欲がないのに、無理に食べているような印象を受けましたね。錦城先生には『君』、窓際の先生には『ちょっと』と呼ばれていたので、お名前はわかりかねます。ネーム・プレートは、白衣の胸ポケットに入れていたので、見えませんでした」


 舞が何度も首肯しながら、口を開いた。


「その女性、色白で神経質そうな様子でしたか?」


「そうでしたね。少しオドオドした感じも、気になりました。眼鏡を外すと、美人だろうとも。今は、こういう言い方をすると、セクハラになるのでしょうが」


 坂下が、バツの悪そうな表情で微笑んだ。舞は、月曜日に錦城と同席した女性は、北島楓だと確信した。中年男性は辛嶋だと想像が付く。


 荒垣が舞の顔を見て「他に何かあるか?」と訊いた。舞は頷くと、坂下の顔を見た。


「錦城先生は、よくこのレストランをご利用でしたか?」


「お一人で、週に一度は来られていました。月曜日は接待用にコース料理でしたが、いつもはステーキとご飯とプリンだけでした」


「量もお聞かせ頂けますか?」


「シャトーブリアン・ステーキを二百五十グラム、ご飯は大盛りでした。ご来店時間は、二時前後でしたね。人目を避けたいのか、入店すると『個室は空いてる?』が決まりセリフでした。食べるのも早く、三時前には、急ぎ足で去って行かれました」


「曜日は決まっていましたか?」


「私の出勤日ですと、木曜日はよく見えていたと記憶しています。他の曜日は、どうでしょうね? 他の者に確認しておきますよ」


 坂下が、何度も首肯して目を細めて、続ける。


「お会計時に、芦屋医大のアソート・チョコレートの小箱を十箱ぐらい購入されていましたね。芦屋医大のチョコレートは、《御影ホテル》のショコラティエが考案したので、嬉しく思いました。不愛想な方でしたが、本当は部下思いの先生なんだと思いましてね」


 坂下の目元が、薄っすらと赤くなっていた。生前の錦城を思い出したのだろう。だが、坂下の印象とは裏腹に、錦城は買い込んだチョコレートを、部下に渡す訳ではなく、一人で平らげていた。坂下に、事実を告げる必要はない。舞は、礼を述べると荒垣の顔を見た。


「私の知りたい事柄は、全て教えて頂きました。これ以上、お引止めすると、お仕事のお邪魔になるので」


 と荒垣が言うと、坂下が、ゆっくりと立ち上がった。そして、ハッとした表情になる。


「もう一つ、チョコレートで思い出しました。月曜日ですがね。錦城先生がレストランをお出になる時、神戸の老舗チョコレート店ニコライの紙袋をお持ちでしたよ。お客様が、手土産にお渡しになったのでしょうね」


 錦城が亡くなる直前に食べていたチョコレートは、このチョコレートだったのだろう。


「その紙袋は、大きかったですか?」と舞は、思わず質問した。


 坂下が、またゆっくりと眼を閉じて、開いた。


「大きかったです。マチのある、大箱が入っていそうな紙袋でした」


 荒垣が、一瞬、顔を顰めた。だが、すぐに笑顔に戻して礼を述べた。荒垣と舞は立ち上がり、坂下の退室を見届けた。


――お饅頭の次は、大量のチョコレートか……。


 錦城の脳神経は、摂食中枢が麻痺していたのか? 舞は、この後に聞く、荒垣の解剖内容の詳細が待ち遠しくなっていた。

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