第三章 15 甜茶

 月曜日になった。舞がメールチェックをしていると、院内用のスマホが振動した。優子からのメッセージだった。


「急な会議で、午前の回診を角倉君に頼みました。報告は不要」


 優子が、月曜日の回診を角倉に託すのは、先週から、二週連続だ。早ければ、今週中に次の精神科の医局長が決まる。そのための教授会だと、察しがつく。承諾の旨、簡単なメッセージを優子に返信すると、舞は、回診の準備を始めた。


 一足先に、事務室に到着していた角倉が、爽やかな笑顔で、舞の顔を見る。


「今週も、舞ちゃんと二人で回診できるとは。光栄だなぁ」


 角倉の屈託のない笑顔の裏に、嘘はないように思えた。


 優子が受け持っている患者は、特に問題はなく、回診は、四十分ほどで終了した。


「思ったより、早く終わったね。サボる訳じゃないけど、コーヒーでも飲んで行く? 二十分ぐらいなら、大丈夫だろ」


 精神科病棟には、外来患者と見舞客用に、コーヒー・チェーン店が入っていた。店内に、白衣姿の者は見当たらなかった。


「アメリカンでいい? 先に中に入って、席を取っといてくれる?」


 角倉に促されて、舞は先に入店した。店内は、まだ空いていた。舞は、中央のソファ席に着いた。周りに、客はいない。


 数分後、角倉が、両手に紙コップを持って、舞の向かい側に着席した。


「そういえば、舞ちゃん、荒垣と一緒に、例の人の栄養分析をしてるだろう? でも、コーヒーの席で、気持ち悪い話はご法度かな」


「構いませんよ。気にならない性質なので」


「前から気丈だったけど、優子先生に、似て来たね」と角倉が、静かに笑った。


 舞は咄嗟に、以前、《御影ホテル》レストランのウェイターに、優子と母娘に間違えられた事実を、思い返した。


「前にも、優子先生と似てる、と言われました。外観ですか? それとも、考え方とか行動ですか?」


 角倉が腕を組んで、舞の顔を見詰めた。


「そうだなぁ。髪型が違うだけで、顔の系統も似てるかもね。俺は、考え方や行動が似て来た、と思ったんだけど。知らない人に、母娘です、って話したら、信じるかもね」


「優子先生に似ているなら、嬉しいですわ」と舞は、愛想笑いを浮かべた。


 その時、テーブルの上の小さなメニュー表が、目に入った。


「選べる三種のハーブ・ティー」と、印字されている。三種類のハーブ・ティーの名前が確認できた。ルイボスティーとミントティー、もう一つは甜茶てんちゃだった。舞は、甜茶の文字に釘付けになった。角倉が、心配そうな表情で、舞の顔を見る。


「アメリカンより、ハーブ・ティーのほうが良かったかな?」


「いえ、甜茶もハーブ・ティーになるんだなぁと思いましてね」


 角倉も、キャンペーン告知を凝視する。


「甜茶は漢方茶の一種だから、ハーブ・ティーみたいなものだ。大手のコーヒー・チェーンの甜茶なら、バラ科だろうね」


「さすが、漢方医ですね。先日、コンビニで甜茶を購入したら、パッケージに『バラ科の』と強調してありましたよ」


 角倉が、得意そうに頷いている。


「甜茶の場合、一般には、バラ科の植物の葉が使われるんだ。だけど、漢方の治療では、紫陽花科の植物の葉が使われている。漢方茶の分類では『甘茶あまちゃ』になるけど。甜茶は、最近、日本でも流行って来たお茶だ。味もよく似ているから、甘茶も含めて甜茶って呼ばれているみたいだね」


 舞は、何度も首肯した。


「だから、わざわざ『バラ科の』と、強調しているのですね」


「バラ科の茶葉のほうが、安価だしね。ペットボトル飲料や、ティー・バッグにしやすいんだ。一方の甘茶は、変異種の紫陽花の葉から抽出されている貴重品だ。漢方では生薬として、抗アレルギー作用や歯周病の治療で、飲まれているよ」


「甘茶が飲みたい場合は、漢方薬局に行けばいいのですね?」


 角倉が、頷く。


「そういえば、《イスギ・スーパー》が展開する漢方茶シリーズの甜茶は、紫陽花科の茶葉が使われているよ。芦屋の高級スーパーは、安価な商品のほうが、売れ残るからね」


 舞は、大きく頷いた。


「荒垣先生の実習室のデスクで、イスギ・スーパーの甜茶を見かけましたわ」


 角倉が、クスっと、声をこらえて、静かに笑っている。


「十年ぐらい前だったかなぁ。一時期、荒垣が花粉症で悩んでいたんだ。ちょうどその頃、俺は中国に留学中で、荒垣からメールが来たんだ。それで、紫陽花科の甜茶を勧めておいた。イスギ・スーパーは、昔から漢方茶シリーズのペットボトル飲料を展開していたしね。あれから、ずっと愛飲してたんだなぁ」


 錦城の死や浮浪者殺人事件と甜茶が、関与する訳ではない。だが、舞は、腑に落ちない事実が判明したような気分になった。

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