第三章 19 ナゾの美少女

 舞と角倉は、教育棟の最上階で、エレベーターを降りた。最上階フロアの北西が、展望台になっている。展示室は、南西にある。窓のないスペースを利用して、様々なパネルが展示されていた。表示順序通りに進めば、大正時代の《芦屋脳病院》から、昨年完成した教育棟まで、芦屋医大の軌跡が辿れる。


 拡大パネルが引き立つよう、スポット照明が使用されていた。一流美術館を思わせる、厳かな空間だった。角倉が、慣れた足取りで、展示室の奥に入って行く。パネル写真を一枚ずつ、素早く目で追いながら、舞も続いた。


「よく、来るのですか?」


「展望コーナーで、コーヒー・ブレイクをした後にな。気分転換に、いい場所だよ」


 展示室の道順に添って、四分の一ほど進んだ。道順のプレートが、《一九七〇年代》になった。角倉の歩調が遅くなり、大きなパネルを指差した。レトロな三階建ての校舎が映っている。白い石造りの建物だ。上部を見上げると、《旧二号館・三号館》となっている。


「今の運動場は、震災当時は、まだ二号館と三号館が建っていたんだ。昔からあった、研究室や実験室が入っていたらしい。俺が入学した時は、既に運動場だったけどね」


 やや小さめのパネルに、建物の内装が映っている。廊下や階段は石造りだが、教室内は、板の間だった。舞は、クラシカルな校舎でも、学んでみたかった、と思った。


 角倉が、先に歩を進める。道順の表示板が《一九九〇年代》になった。近代的な実験室が映ったパネルが、目につく。角倉が舞の顔を見て、声を落とす。


「これが《バイオ・ラボ》と呼ばれていた、特殊な実験室だ。二号館の一部を改装して、完成したらしい。五年後の震災で、あっけなく崩れ落ちたけどね」


 食い入るように、そのパネルを見詰めながら、舞も、声を落とす。


「優子先生の旦那さんが閉じ込められたラボですよね?」


「恐らくね。多分、一階部分のどこかだ」


 角倉が、当時の見取り図が表示されたパネルを見ている。


 次のコーナーに歩を進めると、一九九五年の阪神淡路大震災での被害状況が、パネルに記されていた。他のコーナーと違い、写真は小さめだ。展示写真も、敢えて白黒にしてあった。瓦礫の山から発見された実験道具の一部や時計が、展示されていた。


 震災コーナーの次からは、復興に向けての取り組みや、国際学会の業績などの表示が続く。最後のコーナーは、昨年完成の教育棟の全景写真だった。


 事務室を挟んだ奥に、創設者の茂森立樹の特設コーナーがあった。


 トレンチコート姿の創設者、茂森立樹の写真が、大きなパネルとなって表示されている。国際学会時に撮られたものだ。背景には、ロンドンのビッグベンが映っていた。古い映画のポスターのように、セピア色だった。パネルの右下に、小さな文字で、《一九八四年撮影。一九八五年没。享年六十五歳》と記されていた。


 舞は、現理事長の茂森正雄の姿を思い返した。創設者の三男だ。父親の面影はあるが、目元は似ていない。母親に似たのだろう。


 狭いエリアだったが、右端から順番に見るよう、矢印の印字が貼られていた。


 茂森立樹の父親が《芦屋脳病院》を設立している。そのため、立樹の両親の写真から始まった。次に、立樹のお食い初め、尋常小学校、旧制中学時代の写真が続いた。当時はまだ、カメラに向かって笑う習慣はない。そのため、どの写真も、睨みつけた顔つきだ。怜悧な美少年だと、舞は思った。


 戦時中のためか、立樹の医大時代の写真はなかった。結婚式の写真や、四人の子供に囲まれた家族写真、渡航先の海外での写真が続く。コーナーの終わりに近づくと、数人の孫も増え、大家族の写真となっていた。


 ある一枚の家族写真に、先ほどの立樹の美少年時代と、よく似た少女の姿がある。五~六歳だ。撮影時期は、一九七三年だった。背後には、少女の母親と思われる細面の女性が立っていた。その女性は、少女の両肩に手を載せている。少女の目線は、冷たかった。


 舞がハッとして、思考を集中させようとした時、スマホが鳴った。小絵からだ。


 これ以上の長居は、できない。舞は、角倉に礼を述べると、展示室を後にした。

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