第三章 13 学内葬

 一限目の大学院の授業は、十時半ちょうどに終了した。


 十一時から、錦城の学内葬が執り行われる。舞は、一旦、栄養部のオフィスに移動した。ロッカー室で白衣を羽織り、髪を結わえ直した。


 学内葬は、医療従事者や学生は、白衣や制服など、各セクションの正装で出席する。


 栄養部からは、舞と小絵の二人が出席する予定だ。出席は強制されていない。そのため、錦城と面識のない者は、出勤していなかった。小絵とオフィスを出ると、教育棟二階にある大講堂へ向かった。教育棟へ続く、芦屋医大のメイン通りを、二人は無言で歩いた。


 歩きながら、舞は、昨夜の通夜の様子を反芻した。通夜は、芦屋市内の葬儀会館で行われた。昨日も小絵と行動を共にしていた。


 焼香の際、家族席に立つ、錦城の妻の姿があった。白いハンカチを握りしめていたが、人前で涙は見せていなかった。小柄な細面の婦人で、錦城とは、歳が離れているように思えた。和装のためか、無表情で生気のない、蝋人形を思わせた。若く見えるが、四十代後半辺りだろう。気丈さは感じられなかった。


 錦城は、ブレイン・バンクに登録していたため、亡くなって数時間内に迅速解剖が行われた。解剖するには、家族の承諾が必要である。舞は、錦城の妻が、解剖の承諾を即決できるほど、判断力があるとは思えなかった。通夜会場の家族席の近くに、喪服姿の辛嶋がいた。通夜の段取りも仕切っていたようだ。迅速解剖の承諾は、辛嶋の誘導尋問が大きいように思えた。


 大講堂に入ると、小絵に続いて、中央の通路側の席に着いた。正面には、満面の笑みを浮かべた錦城の遺影写真が飾られている。舞が会場内を見渡すと、ほぼ満席状態になっていた。錦城が偉大であったため、これだけの人が集まったのか?


 舞は、誇らしげな表情で、演説台のマイクを握る、辛嶋を見た。辛嶋が方々に連絡して、これだけの参列者を集めたように思えた。学内葬の司会を買って出れば、目立つ。次期、医局長としてのアピールだ。辛嶋の誘導で、一同が立ち上がり、一分間の黙祷を捧げた。


 黙祷が終わると、静江が、マイクの前に立つ。カサカサと紙を開く音が、マイクを通して聴こえた。緊張で手が震える様子が、想像できる。哀し気な響きだった。静江が用意してきた文章を、読み上げた。テレビ・ドラマで聴くような、ゆっくりとした京言葉だった。


 家族での思い出を、淡々と語った際、一瞬、鼻声になった。静江の鼻声に釣られて啜り泣く参列者の声が、静かに会場に響いた。


 静江が席に戻ると、焼香が始まった。


 喪主である静江と、錦城の息子が起立する。錦城の息子は、小絵が聞いた噂によると、京都大学の博士課程で京都の史跡研究をしているらしい。優秀であるが、父と同じ道を選んでいなかった。


 中央通路の参列者を眺めていると、西宮警察署の喜多川の姿があった。舞にだけ分かるよう、意味深な笑みを讃えていた。舞は、小絵の手前、喜多川に会釈する訳にはいかない。喜多川の察しの良さに、感謝した。


 喜多川の焼香の順番が、前から十番目辺りになった。喜多川の頭の動きで、左隅を凝視している様子が分かる。優子が座っている辺りだ。喜多川と優子は、まだ面識はないはずだ。お互いに、舞を介して話を聞いているので、存在は知っているだろう。喜多川の立場なら、優子の写真は事前に入手できたかもしれない。だが、舞が現在、把握している段階では、優子に疑わしい点はなかった。


 大講堂を出ると、廊下には、数名の葬儀屋の社員が立っていた。学食に軽食の準備がある旨、誘導していた。


 七階の学食エリアに足を踏み入れると、立食形式で、弔事用の仕出し料理が並んでいた。


 早々に大講堂を出ていた、芦屋医大の重鎮たちの姿もあった。医療関連の企業のトップも参列しているため、懇意に話し込んでいる姿も見られる。


 白衣姿の重鎮に混じって、一人だけ喪服姿の初老紳士がいた。窓際の椅子に座り、静かに会場内を見守っている。芦屋医大の創設者の三男、現理事長の茂森正雄だ。写真で見るよりも、貫禄がある。舞は、初めて見る理事長の存在感に、興味が湧いた。


 しばらくすると、辛嶋が学食内に到着した。薬剤師の北島楓やインターンの高出に、何やら指示を出している。楓と高出が頷くと、二手に分かれた。葬儀屋の社員も加勢する。


「お近くの椅子にお座りください。この後、重大発表がございます」

 と、学食内に集った参列者に伝え回っていた。


 茂森が、眉をひそめて辛嶋を見詰めていた。


 舞が、そっと辺りを見渡すと、遠くの柱の陰に、喜多川の姿があった。喜多川は着席せず、立ったままだ。喜多川は、小皿に盛った稲荷寿司を摘みながら、面白そうに会場内を観察していた。舞と目が合うと、一瞬、口角を上げた。


 学食に集った参列者が、近くにあった椅子に着席した。


 辛嶋がマイク・スタンドの前に立つと、学内葬の御礼や挨拶を述べ始めた。


「先ほど、重大発表があるとお伝えしましたが」

 言葉を切ると、もったいぶるように、学食内の参列者を見渡す。


「本日は、井田製薬の社長、井田様もお見えです。錦城は、常に、『心を病む人たちに、希望の光を』と話しておりました。そのため、二十数年の歳月を掛けて、井田製薬の研究者の方々と抗鬱薬の開発にも尽力しました」


 辛嶋は、要点を書いたメモや、タブレット端末は持っていない。セリフは頭の中に入っている。身振りを加えた、迫真の演技だ。


「その甲斐あって、新しい抗鬱薬『モーニスコプラ』が、誕生する運びとなりました。先日、無事、プレス・リリースが済んだので、もうご存知の方もいらっしゃるでしょう」


 辛嶋が大きく頷くと、それを合図に、学食の壁際の電灯が消えた。学食の後方の壁一面をスクリーンと見立て、プロジェクター画面が浮かび上がる。弔いの席なので、派手な音楽こそないが、参列者の意表を突く演出だ。


 辛嶋が、悲しみ半分、嬉しさ半分と、表情に工夫を凝らしながら、先を続ける。


「後方のスクリーンをご覧ください。『モーニスコプラ』は、来年の一月十五日から、正式に、精神科及び、心療内科での処方薬として、市場に出る運びとなりました。錦城が、この日を、どんなに待ち侘びていたか、想像に難くありません」


 辛嶋が、目頭をハンカチで押さえる。


「失礼致しました。この新薬は約二年前に完成しましたが、厚労省の認可に二年ほどの歳月を要しました。もう少し、認可が早く下りていれば、錦城が自身の手で、モーニスコプラを処方できただろうと思うと、無念でなりません」


 参列者の中には、涙目で辛嶋の熱演に聴き入っている者もいた。視力の良い舞は、遠目に見える、茂森の表情を凝視した。目付きが冷たく、三白眼になっていた。


 舞の五席ほど前に、優子の横顔が確認できた。スクリーンを凝視している。膝の上に置かれた手に、力が入っていた。割り箸を両手で握りしめている。手が心なしか、震えて見えた。優子の拳が、内側から外側に、縦に動く。拳の先端の親指からは、折れた割り箸の先が見えていた。優子は、怒りを露わにしている。


『モーニスコプラ』の治験には、芦屋医大の患者が参加していた。これが、優子にとって気に入らなかったのか?それとも、新薬として市場に出る事実そのものが、優子にとってタブーなのか? 舞は、優子の心情が気に懸かった。


 辛嶋の重大発表が終わると、参列者が去り始めた。舞は、先ほど喜多川が立っていた柱に、そっと視線を走らせた。喜多川の姿は、もうない。


 遠目に、荒垣の後ろ姿が見える。関係者用の階段に向かっていた。


 舞が立ち上がると、優子と目が合った。優子が、近付いて来る。いつも通りの、優し気な表情だった。葬儀屋の社員が、ゴミ袋を持って、学食内を回る。テーブルや椅子の上に置かれた、使用済みの紙皿や紙コップを回収していた。優子が、何食わぬ表情で、白衣のポケットに右手を忍ばせた。近くにある紙コップに、折れた割り箸を入れた。


 舞は、視界の片隅で、観察していた。優子の意外な一面が、また一つ、垣間見られた。


 角倉の姿が視野に入る。角倉は、錦城の息子と話していた。錦城の息子が、時折り、笑顔を浮かべている。角倉が、向きを変え、舞と優子に、近付いて来る。


 優子が訝し気な表情で、「息子さんと知り合いなの?」と、角倉に訊ねた。


 角倉が、爽やかな笑顔を見せる。


「学生時代に、バイトで塾の講師をしていたのです。その時の小学生が、錦城先生の息子さんだったとは、驚きましたわ。実習が忙しくて、途中で辞めたので、どの子が、どこの中学に合格したかまでは、見届けられなかったのです。今、訊いたら、僕の母校の甲神学園中学に合格していたのです。その後、京大へ進学したそうです」


 優子が、チラリと錦城の息子を見た。


「角倉君の教え方が、良かったのかもね。それにしても、すごい記憶力ね」


「僕は覚えてなかったですよ。向うが、僕のネーム・プレートを見て、声を掛けてくれたのです」


「恩師の顔は、忘れられないのねぇ」と優子が、揶揄うように角倉を見た。


 舞は、優子と角倉のやり取りを聴きながら、錦城の息子の歳を計算した。角倉が学生時代に小学生だ。現在は博士課程に進学しているので、全て現役で合格していれば、二十五~六歳だ。それも甲神学園の卒業生だ。


 被疑者の佐伯桐花は二十六歳。甲神学園の創設者は、佐伯一族で、その年頃の隠し子説もある。何か、関連はないものか?


 木曜日の夕方、喜多川は、院内関係者のDNA鑑定ができないものか? と話していた。


 荒垣は、今頃、解剖実習室にいるだろう。喜多川が、接触している可能性も高い。


 舞が、床を見詰めながら、考えに集中していると、肩を叩かれた。顔を上げると、小絵が愉快そうな表情で、舞の眼を見る。


「そろそろ引き上げましょう」


 舞は、小絵と優子と、業務用のエレベーターに向かった。角倉が、追ってくる。角倉が横に並ぶと、舞は角倉を見上げた。


「錦城先生の息子さん、史跡研究をしているのですよね? お父様を見て、医者になるのが嫌だったのかしら?」


「そうかもなぁ。俺とちょうど、一回り歳が離れていたんだ。俺が二十四歳の時で、年男だったから」


 角倉は、舞のヒントになる事実を、いつも教えてくれる。だが、角倉本人に知らせられない。舞は、心の中で、角倉に感謝した。


 角倉は、講師室の自席に戻るため、階段で立ち去った。


 舞は、小絵と優子と三人で、業務用エレベーターで一階まで下りた。教育棟の正面玄関から外へ出る。舞は、一旦、立ち止まって、優子の顔を見る。


「月曜日に、錦城先生の胃の内容物の栄養分析について、ご相談に伺いますわ。今日は、お疲れ様でした」と舞が頭を下げると、優子が苦笑いしている。


「立体駐車場まで行くから、まだ、途中まで一緒よ。早々に、追い返さないでよ」


 舞は、意表を突かれた気分に陥った。


「てっきり、職員用駐車場へ向われるのだと、思ってました」


 優子が、白衣を脱いで、右腕に掛ける。


「あの駐車場、屋根がないから嫌なのよ。自腹で駐車料金を出して、立体駐車場に駐めて来たの。乗ってい行く? と言いたいところだけど、マウンテン・バイクでしょう?」


「今日は、久しぶりに晴れたので!」舞は、残念そうに微笑んで見せた。


 優子は微笑むと、九号館の裏の路地を指差した。


「私は、この路地から行きますわ。近道になるので」


 舞は、路地を進む、優子の後ろ姿を見詰めた。


「デジャブ?」前に、このシーンを見た覚えがある。錦城が亡くなった日の翌日だ。帰りに、御影ホテル・レストランへ寄ろうと思い立ち、この路地に向かった。


 今なら、はっきり分かる。あの時に見たのは、優子の後ろ姿だ。


 小絵が、舞の様子を見て、笑っている。


「路地裏の砂利道も、葉紫陽花も、優子先生が通ると、絵になるよね。それはそうと、優子先生って、どこに住んでいらっしゃるのかしら?」


 舞は、思わず、顔を顰め、小絵の顔を見詰めた。


「そういえば、知りませんね。芦屋市内だと思い込んでいましたが。どの辺りでしょうね?」


 小絵も首を傾げている。


「優子先生の噂話って、ほとんど聞かないのよね。大抵、耳に入ってくるのに」


 舞は、以前、角倉から聴いた、優子の亡き夫の存在を思い返した。


「優子先生には、何となく、プライベートの質問をしてはいけない雰囲気がありますよね」


 小絵が、何度も頷いている。


 今まで、優子と行動を共にしながら、どこに住んでいるのか、気に留めた覚えがない。


 舞は、重大な点を、見落としているような気分に陥った。


 その時、舞のプライベート用のスマホが振動した。喜多川からのメッセージだった。

「カフェ・ブリックにいます」


 舞は、院内用のスマホを取り出し、電源を切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る