第二章 18 伯母の重大発言

 しばらく沈黙が続いた。菫が、舞の顔を覗き込む。


「考え込んだら、眉間に皺が寄る癖。小さい時から変わっていないわね。幽霊の話が気に懸かるの? 今日の舞ちゃんは、何かに悩んいでる人みたいね。色んな話を聞きたがるけど、何か一つに繋がっているのでしょう?」


 菫から見ると、舞はいつまでも子供のままだ。菫は昔から、舞の表情を見て、心情を言い当てた。菫の聞き上手な人柄も手伝って、舞も真実を打ち明けたい衝動に駆られる。


「大学院の課題が、ヘビーでね。犯罪者と食行動の関連を、論文で書くから、何でも結び付けてしまうのです」と、舞は冷静を装い、言葉を選んだ。


「難しい話は、よく分からないけど、無理しないでね」と菫が、納得したように頷いた。


 麻生夫妻には、子供がいない。そのため、菫は舞を、殊のほか可愛がってくれた。舞の両親は、姉のりんを褒めそやすので、舞を不憫に思ったのだろう。これ以上、長居すると、甘えてしまう。舞はリュックから《氏鉄饅頭》の小箱を取り出した。


「たまには和菓子でも、と思って。ここのお饅頭、精神科の医局長の大好物なのよ。初めて知ったわ。お祖父ちゃんも好きだったね」


 菫が、笑顔で受け取りながら、首を傾げた。


「医局長って、ずんぐりしたオールバックの初老男性かな? たまに部下を引き連れてディナーに来るわよ。周りの人たちが、ヘコヘコと『医局長』って連呼するから、偉い人なのかな、と思っていたけど。舞ちゃんの上司だったのね。世間は狭いわね」


 舞は、驚いて見せた。だが、内心では思わぬ収獲に心が躍った。


「直属の上司では、ありませんよ。まぁ勤務先のトップの一人ですけどね」


 錦城の自宅は、東灘の岡本町のはずだ。錦城が単なる美食家で、このレストランに訪れるとは思えない。錦城は、サナトリウム病院の研究室に出入りしている。舞は、確信した。


 菫と話すと、いつも重大なヒントに気付く。レストランを出て、マウンテン・バイクに跨った。麻生夫妻が、見送ってくれる。舞は笑顔で手を振り返すと、帰路に向かった。


 遠目にサナトリウム病院の一角が見える。チャペル風のコンサート・ホールの時計台を見ると、四時になろうとしていた。


 県道を五分ほど進むと、《夫婦岩》が視野に入った。県道のど真ん中に鎮座する、横幅五㍍、高さ三㍍ほどの巨大岩だ。岩の周りは芝生が施された、壇になっている。西宮の観光名所でもあるので、岩の左右の道路には車寄せがあり、横断歩道もあった。だが、見通しが悪く、交通事故も多い。そのため、深夜の心霊スポットとしても有名だ。


 舞がちょうど《夫婦岩》のカーブに差し掛かる時だった。背中に、院内用スマホの振動が伝わる。要件が気になった。舞は車寄せにマウンテン・バイクを止めると、リュックから院内用のスマホを取り出した。荒垣からのメッセージだ。錦城の隠しデータが見つかったようだ。


 スマホをリュックに入れ、しばらく菫から聴いた話を反芻していた。眼の前では、速度を落とした車が、何台も通り過ぎた。土曜日の夕方は、行楽帰りの車が多い。ほとんどが外車や高級国産車だった。


 車寄せとは言え、長居する場所ではない。マウンテン・バイクに跨って、車の流れを確かめようと、後方を見た。舞の前を一台のタクシーが通り過ぎた。


――山奥までタクシーとは、料金が高くつきそうだなぁ。


 と思いながら、舞はタクシーが見えなくなるまで見詰めた。違和感が残る。前にも同じような光景があった。誰かに見られているような、感覚だ。荒垣の存在が、咄嗟に思い浮かんだ。だが、タクシーを乗り回すタイプではない。


 この辺りは、芦屋の山の手の邸宅街も近い。阪神間の富裕層は、山奥に屋敷を構えるケースが多い。タクシーを乗り回す金持ちも多いだろう。舞は、思い直すと、県道を下った。


 この県道をそのまま下ると、夙川しゅくがわ沿いの《夙川さくら道》に出る。さらに南下すると、浮浪者殺人事件の現場に差し掛かる。舞は、殺人事件の翌日、出勤前に殺害現場を見に行った時の光景を思い返した。


 あの日も、タクシーが通り過ぎた。偶然なのか? もし尾行なら? 舞を尾行して、得をする人物は誰か? 舞は、慎重に坂道を下りながら、推論を組み立てた。

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