第二章 11 治験薬のリスト
芦屋医大の教育棟では、十時半のチャイムが鳴っていた。一限目の終わりと共に、学生たちの移動で、エレベーターが混み合う。舞は、図書館のガラス越しの席に座り、建物の吹き抜け部分に昇降するエレベーターを眺めていた。
目の前には、食行動と精神疾患に関する文献が広がっている。舞のノートパソコンには、患者の食生活の記録が映っている。優子の回診時に出会った重度の患者の記録もある。
舞が記録した患者の統計も、菓子類や加工食品で食事を済ますパターンが多く見られた。アメリカの犯罪者の食行動パターンの報告と、かなり類似していた。
チャイムが鳴ってから数分が経つ。舞は再度、ガラス越しにエレベーターの混み具合を確認した。参考文献を元の本棚に戻すと、優子の研究室に向った。
優子の研究室をノックすると、優子は一限目の授業を終え、在室していた。舞の顔を見て、静かな笑みを浮かべると、「治験薬のリスト、入手できたよ」と、言った。
「早かったですね。薬剤師の北島楓さんに頼んだのですか?」
「まさか。直接、私が頼んでも、守秘義務があるとか何とか言って、渡さないでしょう。見当をつけていた薬学部のLANから探したの。結構、苦労したのよ」
すぐに入手できるとは思っていなかったので、舞は内心驚いた。
「大丈夫なのですか?」
「私のIDやパスワードで、薬学部のLANに入った訳じゃないわ」
優子なら、抜かりのない方法で入手したのだろう。
「佐伯桐花さんの名前は、リストにあったのですか?」と、舞は訊ねた。
だが、優子は首を横に振り、「昨日の錦城先生の話は、どうだった?」と話題を変えた。
「被疑者は犯行当時の記憶はないそうです。被疑者の外見を伺ったところ、リスト・カットの痕はなく、肌もキレイだったそうです。糖質過多の食事はしていないと推察できますね。私は、薬の副作用で犯行を起した線が強いと思うのです」と、舞は答えた。
優子はPC画面にリストを表示させ、舞に見せた。
「治験薬のリストにないのは、事実だからね。誰かが、佐伯桐花に治験薬を渡したか、他の薬物の副作用か? なかなか難しそうね」
冷やかに見えた優子の表情が、余裕の笑みに変わった。
舞は今朝、荒垣から聴いた内容を、反芻した。桐花の血液サンプルから、ボルテキセチンが検出されている。その事実を、舞は敢えて優子には話さなかった。荒垣の口調は、優子を好ましく思っていない。優子からも、荒垣の話は聴いた覚えがなかった。
舞は優子の眼を見た。
「諄いと思われそうですけど。北島楓さんと被疑者が同じ女子大で、接点がなかったかという線は、やはり幼稚な考えでしょうか?」
「同じ大学の同期でも、全員の存在を覚えてないでしょ。学年が五つも違うと、なおさらでしょうね」と優子は、冷酷に言い放った。
舞は「そうですよね」と、愛想笑いをしながら優子の表情を観察した。今日の優子は、馬鹿にした態度ではない。舞と眼を合わせず、学生レポートの束に手を伸ばした。
荒垣は今朝、優子も尼宝女子大に探りを入れている、と予測していた。舞には、優子の表情が、図星を指摘され、バツの悪い思いをしているように映った。
舞が優子の研究室を出て、廊下を歩いていると院内用のスマホが振動した。荒垣からのメッセージだった。荒垣も、治験薬のリストの格納先は、見当がつくと言っていた。大方、優子と同じ方法で入手するのだろう。荒垣にも期待はできない。
舞は、すぐに頭を切り替えると、背筋を伸ばした。
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