第三

「――浩が同盟の打診をしてきた」


 事の起こりは半年前。

 皓月の母・颱の皇帝は皓月と皦玲を呼び、そう告げた。

 浩から国書が来ていたことは既に知っていた皓月だったが、その内容の意外さに、一瞬言葉を失った。一方、妹の皦玲は、首を傾げておっとりと「まあ」と零しただけだった。


母皇上ははうえ。それは万の天変地異が突如として同時に起こったとしても、ありえないでしょう」

「確かに」


 短く頷く母皇が何故か楽しげに見えて、皓月は眉を寄せた。


「そなたらも知っての通り、かつてこの大陸を統一したこうが滅んだ後、数多の国が並び起こり、戦乱の時代が続いた。その中で台頭したのが我がたいこうである」


 颱と浩の君主はともに昊の君主同様〝皇帝〟を自称した。我こそが昊を継ぐ者と主張したのである。


「開国以来、互いに不倶戴天の敵と見なし、大陸の派遣を巡って相争い、“龍虎之闘りゅうこのたたかい”と列国に称される程の熾烈な争いを数百年にわたり続けてきた。我らと彼の国との間に横たわる溝は、海よりも深いと言えよう。仮令たとえここ暫く、大規模な戦いはなかったとしてもな。故に、和睦も同盟も、口に出すどころか、誰も思いもよるまい。ところが、その有り得ぬことが起きたのだ。見なさい」


 書翰を見れば、確かにそう書いてある。仰々しい御璽も間違いなく浩の皇帝のもの。


「受けるとなれば、……とんでもない騒ぎとなるでしょう」

「無論な。まさしく蜂の巣をつついたような騒ぎとなろう」


 言いながらも、やはり母皇は悠然としていた。


「まさか、お受けになるのですか」

「さあてな。――皦玲。そなたはどちらだと思うか」


 唐突に話を振られた皦玲は、戸惑ったような上目遣いで母皇を見返した。


「なぜ、わたくしにお尋ねに? 不明なわたくしには、母皇上の叡慮えいりょへ思い至りようもございません」

「だが、そなたにも関係のあることだからな。――皓月、そなたが持っている、もう一つの方の――そう、そちらだ。それを渡しておやり」


 まだ閉じたままのそれを皦玲に手渡す。受け取った皦玲がそれを開き、読むや、顔色が蒼白になったかと思うと、その手から浩帝の書状が滑り落ちた。


「そんな、」


 尋常ならざる妹の様子に、一体何が書かれていたのかとその書状を拾い上げる。

 ――それは、同盟の証として、颱の皇女を浩の皇太子にめあわせたい、という申し出であった。


「ふざけたことを! 皦玲を浩になどとんでもない。母皇上。皦玲とわたくしは血を分けた唯一の姉妹。他の王族や颱の重臣になればこそ、――あの頑迷な浩など。文化も、生活も、制度も異なる、四方敵ばかりの異国の伏魔殿で、かように儚く嫋やかな皦玲が生きてゆけるとお思いですか。その上、かの国の女人の扱いといったら……断じて認める訳に参りません。第一、何故同盟など。我が国が浩と手を組まねばならぬ理由があるとでも?!」


 母皇に皓月に訴える間も、皦玲は蒼くなって震えるばかりで一言も発しない。夜空からこぼれ落ちる星々の如き柔らかな銀の髪を持つ、儚げで繊細な美貌の皦玲を求める者は国内外にいくらでもいる。


「無論、必要と判断したためだ。だが、そこまで言うのならば皓月。そなたが浩へ往くか」


 静かに聴いていた母皇がす、と目を寄越し、冷然と尋ねる。


「皇太子には皇太子の、皇子こうしには皇子のなすべきことがある。その地位に求められる働きが出来ぬのならば、いかに皇族といえども、否、皇族だからこそ、その地位に居続けることはできぬ」

「――!! それは……しかし」


 すでに母皇の意は決している。その意を翻すことは、皇太子とはいえ、――皇太子に過ぎない皓月には不可能であった。そして、感情的に納得出来るかは別として、皇族としての義務を出されてしまえば、皓月にも、皦玲にも、それ以上抗う術はなかった。


「非常に限定的ではあるが、皦玲を白虎の守護を受けた颱の皇女として婚姻を認めると言ってきている以上、それなりに待遇してくれはするであろう」


 これまで両国は互いの君主を「浩王」「颱王」と称し、己より格下として扱ってきた。無論その子も「王子」「王女」などと互いに称していた。


「代わりにこちらもあちらを同格として認めた上ではあるがな」

「まさか……それを受け容れると?!」


 母皇はすぐに大臣達を集め、その決定を告げた。

 

 予想通り喧喧囂囂けんけんごうごうの大騒ぎになった。

 が、皇太子である皓月にすら無理だったのを、臣達が止められよう筈もない。同盟を必要とする理由の説明すらもなしに、母皇が押し切る形で決めてしまった。


 急ぎ進められていく輿入れ準備の最中、皦玲はずっと泣き通しだった。そんな皦玲を憐れに思いはした。だが、これも皇族としての務め。いずれ帝国の皇子として、自覚してくれるだろうと楽観していたのが皓月の失敗だった。

 浅慮だった。

 その浅慮の故に、今、こうして皓月は皦玲の代わりにここに居る。




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