第五十六
いかにもな雰囲気満点の黒い建物に連れてこられた皓月は、その中の一室に閉じ込められた。周囲に比べて随分高い造りだと思ったら、格子をはめ込んだ窓から、刑場まで見渡せるようだった。大変趣味が良い造りだ。思わず感心してしまった。
皓月は、目を閉じて、神経を集中する。そして、――
だが、返事はない。もう一度やってみるが、同じだった。
(……四霊封じ、か。面倒な)
重く息を吐く。ただの壁なら守護の力を使ってぶち壊すことも容易い。
だが、それが使えないのであれば、別の手を考えねば。
皇帝の暗殺を目論んだ敵国の皇女など、刑場までまっしぐらだ。流石に
そんなことを考えていた皓月の背後で、重たい扉の開く音がして振り向く。
「あ~! いたいた!!
格子戸の向こうから顔を覗かせているのは……やはり、尚王だった。ここの扉は、二重構造になっており、外側を開けても内側には鉄格子状の扉が設置されているのだ。
「……尚王殿下……? 何故あなたが斯様な所に……?」
いつも通りのへらへら笑いを浮かべる彼を見ると、こんな状況ながら、なんだか脱力してしまった。
「いやあ、黒宮に幽閉されたと伺いまして。お暇なのではないかと思い、参上したのですよ。なにせ、嫂子は、私の大切な方ですからねえ。あっはっはっ!」
大声で言うや、どんっと楽器を取り出した。
「今日はこんなのを持ってきてみましたよ。これで、嫂子の無聊をお慰めいたしましょう」
彼が手にしているのは、
大丈夫なのだろうか、と彼の背後に立つ獄卒を見遣る。と、見事に皆、目を逸らしている。ちょっと、否、大分……色々心配になってしまう。
ポロンポロンと尚王の奏でる箜篌の音が流れる。
「――どうかなさいましたか?」
息を詰まらせた皓月に、尚王が尋ねた。
「い、いえ……なんでもありません。ありがとうございます、尚王」
「いえいえ~。私がやりたくてやっている事ですからね!」
言いながらまたポロンポロンと箜篌を鳴らす。
「そもそも、わたくしは何故、暗殺未遂などという嫌疑をかけられたのでしょう?」
「――青龍廟の霊木が突如枯れ落ち、皇上がお倒れになってしまったのですよ。斟の儀を執り行ったのが嫂子なのは皆が知るところですから、何か仕掛けた、と。まぁ、こじつけでしょう」
独白のような皓月の問いに、箜篌を弾ずる彼はうたうように答える。
「霊木が? 確かにあれは青龍の力を象徴するものではありましょうが。それそのものではない筈では?」
「ええ。ですから何者かが嫂子の事を陥れようとしたのでしょう。……まあ、私としては、今すぐあなたを尚王府にお連れしたいところですが――」
口元に笑みを浮かべ、また怪しげなことを言い出したかと思えば、その直後、笑みを深めた尚王が目を開く。途端、一瞬、常の軽薄さが綺麗に消えた。
「なれど――それは、私の役割ではないようですから」
それからまた、いつものようにへらりと笑み、箜篌を抱えて「ではまた」と去って行った。
* * *
皇太子妃が黒宮に捕らえられたと聴いて、尚王妃・
罪を犯した皇族が幽閉される、悪夢の宮殿。その地下は、別に重罪人が収容されることもあるそうだが、いずれ誰かが投獄されたのは随分と久々らしい。無数の命が、かつてそこで露と消えた。為に濃い怨嗟の念が染みついた、出るという曰く付きの場所である。
外壁を黒漆で塗っているのは、何度塗り直しても浮かんでくる赤いしみを隠す為だとか。夜になると、悲鳴が聞こえてくるとか。様々な噂がある。
大抵、捕らえられた虜囚というのは、獄卒達に酷い目に遭わされるもの。それ自体が罰なのである。
皇帝の暗殺などという、大逆の罪で囚われたのならば、もはや死あるのみ。
高嶺の花である美貌の皇女ともなれば、どうなるかなど、容易に予想が付く。
投獄されている様子を、しっかりと我が目で確認してやろうと思った。そこには、皇女としての誇りを踏みつけにされた、惨めな姿を拝んでやろうという気持ちもなかった訳ではない。
だが、黒宮へ入ろうとしたところで、尚王が現れて、咄嗟に物陰に隠れた。それから、門番に玉の簪を握らせて、その後を追った。常に歌っているような尚王の声は、よく響く。少し距離を置いていても、何を言っているのか、はっきりと聞こえる。
翠羽は愕然とした。
尚王のあんなにも楽しげな声を、翠羽は見たことが無い。
「――皇太子妃殿下は、私の大切な方ですからねえ。あっはっは!」
(――殿下、あなたは……皇太子妃を、そこまで……)
「まあ、私としては、今すぐあなたを尚王府にお連れしたいところですが――」
息が詰まるかと思った。皇上が突如倒れ、また周貴妃の発言権は高まっている。それを良い事に、周貴妃は皇太子をここでなんとか引きずり下ろしたいはずだ。
周貴妃の子である尚王は、皇太子妃殿下を慕っている。
たとえ皇太子をどうにかしたとして、皇太子妃を害すれば、また颱との関係が悪化する。尚王を即位させ、国内を落ち着かせるまで、直接的に颱と交戦するのは避けたいはず。となれば、周貴妃は、颱を黙らせるために、皇太子妃を、尚王に添わせようとするかもしれない。
仮に尚王が皇太子となり、即位したとなれば、周貴妃は国母である。あれほど自分を怒らせた皇太子妃の上に立てるのである。そうなったとき、周貴妃が皇太子妃を見逃すだろうか。
けれども、皇帝となった尚王が止めたら? 何より、尚王は、翠羽の不貞を知っているかもしれない。
(このままでは、廃妃されてしまうかもしれない――)
尚王が外へまた出てきて、去ってからも、翠羽は、根の生えた様に、そこから動く事が出来ない。
どれ程経ったか。ふらり、立ち上がった翠羽の瞳には、昏い炎がちらついていた。
「……あの女さえ、居なければ……」
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