紀第十五 黒宮のとらわれびと

第五十五

「……何をしているのですか、羽騎」

「おわー!! て、巫澂様か。殿下かと思ったじゃないですか。ほんと、ですよねえ」

「……また、殿下のお食事をつまみ食いですか。貴方も懲りませんね。殿下はご自分のお食事が減ったところで、気になさる方ではありませんが、……うっかりすると、死にますよ」


 彼らの主の食事に毒が盛られるのは日常茶飯事だった。


「いや~昨晩交代前に飯食いぱぐったんで、すっごいお腹空いちゃって~! それにこれ、結局一口も食べて無いじゃないですか。勿体ないですって~」

「ギリギリまでどこかで遊んでいたからでしょう」

「遊んでたなんて人聞きが悪い!」

「……何を騒いでいる」


 声に、羽騎と巫澂が同時に跪き、拝礼した。


「すでにでしたか。早うございましたね」

「……確かに最近、早い気がするな。最悪な目覚めだが。巫澂、状況は?」

「霊木の葉が突然枯れ落ち、相前後して、皇上がお倒れになりました。一連の出来事への関与を疑われ、皇帝陛下の暗殺未遂事件の首謀者として、妃殿下は、黒宮に連れて行かれたそうです」


 国の象徴である霊木は、皇帝の青龍の力を反映したものと考えられている。その木が枯れるということは、応じて皇帝の力も弱るということ。時には命すら―――と。

 だが実際、そう単純な話でもない。しかし、象徴的な存在として、霊木が重要であるのには変わりない。故に、霊木は厳重に守られているのである。


「それで焦って雩祭あまごいまつりか? ……悠長な」

「何か仕掛ける気やも」

 

 巫澂の言葉に、彼は「だろうな」と頷く。


「しかし、黒宮か……予想はしていたが、」


 黒宮。その正式名称は禁霊宮きんれいきゅう。漆で黒く塗られた為にそのように言う。そこは、罪を犯した皇族や、特に重大な罪を犯した者を幽閉する、特別の監獄だ。宮殿全体に“四霊封じ”と呼ばれる禁術が敷かれ、その中に於いては、“四霊”と呼ばれる、青龍・朱雀・白虎・玄武の、一切の加護を失う。

 皇太子妃は、白虎の守護を持つたいの皇女。その力を削ぐ為であろう。


「妃は、あれを使わなかったのか……?」


 彼はすらりと長い指を、額の辺りに置いた。


「……使い所を選ぶように仰ったためでは?」

「皇上暗殺の嫌疑が掛けられた、この状況で使わずして、一体、いつ使うつもりだと?」


 腹立ちか、焦りか。常に冷静沈着な彼の声に混じる複雑な色合いに、その場の者達は目を丸くした。


「おわぁ――俺たち、何見ちゃってるんだろう? 天変地異の前触れ? ――ってぇ!!」


 いつの間にか来ていた兄・羽厳う・げんが、無言で羽騎の後頭部を殴りつける。


「羽弟。今はふざけている場合ではない」

「はいはい、わかりましたよーだ! ――それで、どうするんすか? 殿

 沈黙は、一瞬。

 すぐさま、命を告げる声が、淀みなく続く。


 ややあって、「遵命御意!」と応じる声が響き、命を受けた彼らはそれぞれに散っていった。


   * * *


「―――はああああああ? そ、それで、大人しくついて行ったっての!?」


 阿涼ありょうから、皓月が連行されていったことを聞いたしんは、驚きの余り、尋ね返した声もひっくり返った。


「……はい……怒りもせず、暴れもせず、大人しくついて行かれました」

「……嘘だ……」


 皓月だったら、捕吏を打ちのめしてその場は一先ず姿を消し、黒幕をさくっと探し出してきて、疑いをかけた者を「無能」と軽やかに笑い飛ばしてしまいさえする筈だ。

 それなのに。

 大人しく、ついて行った?


「……らしくもない……。折角ちょっと最近、漸く吹っ切れてきたと思ったのに」


 阿涼はこんな時にも、何を考えているか分からない無表情だ。


「何かお考えがあるのかもしれません。浩に来て、皇太子妃殿下も、以前と変わられました」


 確かに、以前の皓月は、もっと勢いがあった。

 思いついたら即行動。猪突猛進を地で行っていた。しかし、不思議と危うさは感じなかった。それは、強力に皓月を支える者達が、大勢居たからこそだった。


 皓月は、老若男女、身分の貧賤を問わず、人の才を愛した。それを見いだせば、尊敬する友や先輩、先達として礼遇した。それ故に、数多の士が彼女を慕って集まってきたのである。そうして自分のもとに集まってきた彼らの能力を、絶対的に信頼していればこその、勢い。それは、皓月のような立場の者にとって、相当の覚悟を要することであった。


 その信頼によって生じた結果の一切を、一身に引き受けるという。――そういう覚悟である。並の神経では到底、できぬ覚悟。


 だからこそ、そんな皓月のもとで、人々は伸び伸びと自らの力を発揮し、その信頼に報いようと、力を尽くしたのである。そして、自身に課した、その覚悟ゆえに、皓月は今、こうして浩に居る。


 皓月が颱に居たときと、皇太子としての身分を奪われ、浩にやってきた今とを比べたら、両翼、どころか、四肢を奪われたに等しい。


「――そうだね。何か考えがあるのかも知れない。大人しくやられるなんて、姫に限って、無い。あんたもそう思うだろう」


 阿涼は無表情のまま、何も言わなかったが、沈黙こそが答えだ。直後、頷いていた慎が急に身を隠した。


「――阿涼、巫澂様がお呼びよ」

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