第十八

 * * *


 皇太子妃へと差し向けられた刺客の内、皇太子妃の護衛達から気付かれずに済んだ少年は、闇に潜んで、まだ機会を伺っていた。


 大量の刺客を捕らえたことから、おそらく警戒の対象は、捕らえた刺客達を逃がさない方に傾いているようだった。あれほどの数を差し向けて失敗しておいて、直後にまた襲撃があるとは思わないだろう。勿論、警戒はしてはいるだろうが。


 機会があれば逃すつもりはなかった。


 ただ、あまり時間を掛ける訳にもいかない。

 あまり長く不在にしていれば、唯一の家族である祖父にいぶかしがられるだろう。


 少年の両親は、彼がまだ物心つく前に死んでしまった。

 故に、彼は父母の顔を知らない。母方の祖父が、彼を引き取って養ってくれた。身分は高くは無いものの、腕のいい園丁である祖父は皇宮で雇われていて、慎ましやかに暮らしていく分には困らない丁度の収入があった。少年もまた、祖父のような園丁となるべく、祖父の仕事について色々を学んだ。


 そんな少年の身の上を聞きつけたのか、声を掛けてくる者がいた。


 父母を殺された復讐をしないか―― と。


 少年の両親は、颱から流れてきた賊に襲われて死んだのだ、と。


 士族出身とおぼしき雰囲気を纏うたその巫官から告げられた、父母の死の真相。それは、少年をして激しい憤りを抱かしめた。

 仕事には厳しいが、普段は優しい祖父のことは、勿論慕っていた。けれども、父母を失った哀しみはやはり、言葉には出来ないほどに、深い。


 その人について、少年は祖父の仕事の手伝いの合間を縫って、体を鍛えた。

 少年は、自分で思った以上に、体を動かすのが得意だったようで、瞬く間に力を付けたのだった。

 颱の皇女の輿入れの際にも、少年は機会をうかがっていた。

 どうやら、颱の皇女を狙っているものは、彼が思った以上に多いらしかった。

 が、皇女を守る存在もまた、多いのだった。結果的に、皇女は浩の皇太子妃となった。


 東宮の警備の厳しさを知る少年は、婚姻の前に片付けたかったが。他の者達も、そういう考えだっただろう。故に、その東宮から離れた今回が好機なのである。

 皇太子妃の護衛達の会話に、少年は耳を澄ませる。


「捕らえた者は?」

「――それが、……口内に毒を……」


 おそらく捕まった刺客達のことだろう。取り調べを受ける前に自害したに違いない。

 失敗すれば、少年にも同じ未来が待っている。


「――羽厳」


 沐浴を終えてきたとおぼしき皇太子妃の声がした。

 声を掛けられた男は、礼の形をとり、頭を下げた。その隙も無駄も無い動作に、思わずひやりと背筋に冷たいものが這う気がした。


「あ、皇太子妃殿下!」


 その男の後ろで、両手に食べかけの饅頭を持った男が声を上げた。かと思えば、側の男に強めに頭を下げさせられている。


「や、あ、兄上、くびくびくびくびが、……お、折れ……」

「面を上げなさい。――二人とも、先程はありがとうございます」


 饅頭を持っていない方の男が、いえ、と短く応じる。

 一方、饅頭を持った方は、大げさに驚いたようにのけぞった。


「護衛でお礼をおっしゃってもらえたのなんて初めてです!!」


 それに、皇太子妃は、そうですか、と微笑んだ。

 その微笑みは、月夜に一層、清らかに見えたような気がして、少年は首を振る。

 

「春とはいえ、夜は冷えますから。――雨霄、衛士達に何か温かい食べ物を用意して。夜も遅いですから消化の良いものがいいでしょう」

「しかし……皇太子妃様ですら素食しかお召し上がりでないのに……」

「ありがとう、雨霄。わたくしはお役目のために潔斎しているけれども、彼らは違うでしょう? わたくしに合わせる必要は無い筈。むしろ、しっかり食べて、気力・体力を養ってもらわねば」


 饅頭を手にしていた男が歓声を上げた。

 少年は眉根を寄せつつも、その眉尻ははっきりと下げて、その様子を見守っていたが、苛立ったように身を翻した。


「阿涼」


 その背後で、皇太子妃が側仕えの者を近くに呼び寄せ、何事かを囁いていた。

 

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