【追記あり2024/10/14】〈巻二〉予告編
かろうじて、颱の古い地書に、豈山に離宮があったという記事は存在する。だが、その離宮とこの殿閣とが同じかどうかは判然としない、という。
その門前に、所在なく座り込んでいる者が、一人。
しなやかに鍛えられていることが窺える均整のとれた体つきは、いかにも武人然としている。白金の長髪を高い位置で結い上げ、纏う衣も動きやすさを重視した簡素なものだ。抱えるように持っている武骨な刀が厳めしい。颱人の習慣である銀の額飾りには、希少な赤琥珀がはめ込まれ、鋭くも品のある端正な顔立ちに仄かな艶を与えている。
一体いつからそこにいるのか、その人は疲れた様子で
一頻り腹を満たした後は、少し眠気が差したらしい。或いはただ疲れただけか。ごろりとその場に横になってしまった。
涼風が吹き、緑深い木の葉を飛ばす。その一葉が飛来して、その人の額に触れる。
直後、高らかな鳥の鳴き声が谺した。
その声に、寝っ転がっていた
重たげな扉は、すでに開いていた。風に乗って鼻腔をかすめたのは、重厚な茶の香り。
扉からゆっくりと姿を現した人物を見て、皞容は相好を崩した。
「
風に艶やかな黒髪をなびかせ、
「相変わらず、暑苦しい奴よの。そう呼ぶなと言うておるであろう。――そなたがわざわざ我を待ち構えておるとは、一体どうしたのだ」
「だってもどうしても!! 皇太子殿下が最近変なんですって!!」
「
「聴いてくださいよ!! もう何ヶ月も!! 琥珀宮に閉じ籠もってろくに出てこないんですよ!? 私とも全然遊んでくれませんし!!」
それを聴いて、漸く太子太傅――
「悪友のそなたを放って? また
皓璉、とは颱帝の名である。平然と御名を呼びつけにした幽寂にぎょっとして、皞容は視線を彷徨わせたが、気を取り直して再び唇を開く。
「そんなんじゃなくって――だから!!」
「声が大きい。落ち着きなさい、
途端、皞容は渋い表情をした。
「その呼び方はやめてくださいって! 柄でもない!!」
「ならばそなたも改めよ」
「――わかりましたよ、幽寂先生」
太子太傅とは、皇太子の師として教え導く存在である。
見た目は20代後半程度。しかし、紫羅藍の瞳には、若輩の侮りを許さぬ老成した理智の光が宿る。
本名、生年、出身どころか、性別までもがすべて不詳のこの人。いかにも仰々しい官名で称されることを
麗人。その人を形容するには、その言葉が最も適しているだろう。
人々をして羨望嫉視せしめる、艶やかで洗練された美貌。その美しさの前では、性別も年齢も、瑣末なことであった。
本来ならば、素性の明らかでない者を太子太傅に任じることなどあり得ない。が、颱においては、「幽寂先生だから」の一言で全て済まされるのがこの人であった。
「――
二人の間を、鈴の鳴る様な声が裂いた。
「おや。そなたか」
雪白の艶やかな髪を複雑に結い上げ、金の虎方冠を戴き、計算され尽くした配置で連なる玉簪が華やかさを添える。金銀で豪奢な刺繍が施された純白の衣を優雅に翻し、両腕には金釧を連ね、柳腰に提げたるは神虎魄玉珮。
玉の中に揺らめく霊光と、それによって浮かび上がる白虎の紋様。二頭の白虎が描かれているものは颱の皇帝、一頭の白虎ならば皇太子の証として代々受け継がれている、この世に二つしか存在しない、颱国の至宝である。
「お久しゅうございます、師傅。風皓月が師傅にご挨拶申し上げます。またどうか、この不肖の弟子をお導きください」
「皓月? そう……ふふ。そなたが、の。――ほんに、……――不肖だこと」
幽寂は、大麗のように艶やかに微笑んだ。
その肩にとまった鳥が、バサリと羽をばたつかせた。
* * *
「――少し、休みませんか?」
「いえ、まだ・・・・・・歩けます」
皓月は、荒く息を吐いた。
寒気が全身を襲い、身震いがした。そのくせに頭は照りつける太陽に熱されたように、ぼうっとした。
一歩先すらも見えぬ、深淵の闇。
自分の手を引き、前を歩く男――浩の皇太子にして、夫である
ひどく現実味がない。
足下すらもあやふやで、夢の中を歩いているようだった。
細く続く隧道は、広いところもあれば、上背のある皇太子が通るのにやっと、というほどの狭さの所もある。
暗闇の中、時間の感覚が遠い。
入って来た時には昼頃だったが、今は何時であろう。早く外へ続く道を見つけなければと思うのだが、只管に続く闇の為か、不調の為か。全ての感覚が鈍化している気がする。風の流れが全く感じられない。
なぜ、こんなことになっただろう……?
盧梟と交戦中の母帝が、この山で行方不明になった、と知ったのがそもそもの始まりだった。
皓月ならば母帝の白虎の気配を追える。故に、他の者に捜させるよりも遙かに効率よく捜せる。その上、皓月は母帝に訊きたい……いや、確認しなければならないことがあった。
皇太子の多忙を見越して、皓月は
そして、紆余曲折の末、彼とともに、玄冥山までやって来た。政務は大丈夫だろうか、と思うのだが。
兎も角、玄冥山に入り、母帝を捜索していたところ、
玄冥山を巡って敵対関係にある、盧梟の統領である。
彼は、怪しげな巫師を伴っていた。
「魄の生き残りがまだこの地にいようとは。それも五体揃った――とは! 何たる幸運。何たる僥倖。あなた様はご自身の幸運に感謝すべきしょう、な」
笑い含みにそう嘯きながら放たれた術。
それは確かに、皇太子を狙っているもののように思われた。何しろ、出くわしてからその巫師は寸毫も彼から目を離さなかった。
皓月は咄嗟に、皇太子に向けて、師が護符代わりにと持たせてくれた包みを投げていた。
それが、放たれた術をはじき返すか、或いは効果を弱めるかしてくれる筈であった。
――が。
「――また、邪魔をされてはかなわぬ」
それは突如軌道を変え、皓月を襲った。
「――!?」
そのままの勢いで弾き飛ばされ、皓月の体が宙を浮く。強かに壁に打ち付けられ、呻き声が漏れた。
直後、激しい揺れが洞窟全体を襲った。
と、同時に。吐き気を催すような強烈な悪臭と、重苦しい――毒気が、肺腑を灼く。
倒れ込みながら、己が今立っていた地面よりも、なお深く。何かを超えて。
ただ、どこまでも。
――堕ちる――。
遠のく意識の向こうで、叫ぶような声が聞こえた気が、した。
“――様、こんな……どうか……許して、……ください……”
“……皆、お前が、殺したのか?
“確かに。……皆、私が殺した。あの外道も、
『昊国秘史〈巻二〉~元皇太女、幽迷宮の残夢に眩惑す~』
(https://kakuyomu.jp/works/16818093072992812371)に続きます。
――――――――――――
【注記】
閉関:外界との接触を遮断し、修行に専念すること。
【御礼】
ここまでお読みいただきましてありがとうございます。
〈巻一〉では、皓月と皇太子がしっかりと「出逢う」迄を描きました。
〈巻二〉では、今回、不明なままに終わった皇太子の出生の謎や、
二人の関係性の深まりを描いていこうと思います。
宜しければ、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
【御礼2】
お陰様で、10000PVを超えました!
誠に幸甚の極みです。
本当にありがとうございます。
記念SSをアップしました。
宜しければお読みいただけるとありがたいです。
また、♥、コメント、お星様を下さった方々、
ありがとうございます。大変励みになっております。
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