【追記あり2024/10/14】〈巻二〉予告編

 たいの皇都・晄風こうふうより南。馬の足で2週間程の距離に、豈山がいざんという山がある。その頂には人知れず“茗香閣めいこうかく”なる扁額を戴く殿閣が存在した。嶮峻な岩肌に張り付くように存在しているそれが、一体いつから存在するかは不明である。ただ、常人の立ち入りを拒む険しさ故、その存在を知る者は多くない。

 かろうじて、颱の古い地書に、豈山に離宮があったという記事は存在する。だが、その離宮とこの殿閣とが同じかどうかは判然としない、という。


 その門前に、所在なく座り込んでいる者が、一人。


 しなやかに鍛えられていることが窺える均整のとれた体つきは、いかにも武人然としている。白金の長髪を高い位置で結い上げ、纏う衣も動きやすさを重視した簡素なものだ。抱えるように持っている武骨な刀が厳めしい。颱人の習慣である銀の額飾りには、希少な赤琥珀がはめ込まれ、鋭くも品のある端正な顔立ちに仄かな艶を与えている。


 一体いつからそこにいるのか、その人は疲れた様子で嚢槖のうたく(荷物袋)の中から取り出した干し肉を手づかみで口に運び、思いのほか野性的な仕草でかみ切っては咀嚼する。


 一頻り腹を満たした後は、少し眠気が差したらしい。或いはただ疲れただけか。ごろりとその場に横になってしまった。


 涼風が吹き、緑深い木の葉を飛ばす。その一葉が飛来して、その人の額に触れる。

 

 直後、高らかな鳥の鳴き声が谺した。

 その声に、寝っ転がっていた皞容こうようは文字通り、飛び起きた。


 重たげな扉は、すでに開いていた。風に乗って鼻腔をかすめたのは、重厚な茶の香り。

 扉からゆっくりと姿を現した人物を見て、皞容は相好を崩した。


太子太傅たいしたいふ!! お久しぶりです!! ――やぁっと、閉関を解かれたのですね!!」

 

 風に艶やかな黒髪をなびかせ、大麗ダリアの簪を挿したその人の肩口に、飛来した鳥がとまる。


「相変わらず、暑苦しい奴よの。そう呼ぶなと言うておるであろう。――そなたがわざわざ我を待ち構えておるとは、一体どうしたのだ」

「だってもどうしても!! 皇太子殿下が最近変なんですって!!」

皓月小月が変? ――何を今更」

「聴いてくださいよ!! もう何ヶ月も!! 琥珀宮に閉じ籠もってろくに出てこないんですよ!? 私とも全然遊んでくれませんし!!」


 それを聴いて、漸く太子太傅――幽寂ゆうじゃくは顔色をほんの少し変えた。


「悪友のそなたを放って? また皓璉こうれんにどやされたのか? それとも、まだ妹の婚姻の件で拗ねているのか? とはいえ何ヶ月もとは……確かに、尋常ではないの」


 皓璉、とは颱帝の名である。平然と御名を呼びつけにした幽寂にぎょっとして、皞容は視線を彷徨わせたが、気を取り直して再び唇を開く。


「そんなんじゃなくって――だから!!」

「声が大きい。落ち着きなさい、皞容王子こうようおうし


 途端、皞容は渋い表情をした。


「その呼び方はやめてくださいって! 柄でもない!!」

「ならばそなたも改めよ」

「――わかりましたよ、幽寂先生」


 太子太傅とは、皇太子の師として教え導く存在である。

 見た目は20代後半程度。しかし、紫羅藍の瞳には、若輩の侮りを許さぬ老成した理智の光が宿る。

 本名、生年、出身どころか、性別までもがすべて不詳のこの人。いかにも仰々しい官名で称されることをよろこばず、通称の「幽寂先生」で呼ばれることを好んだ。


 麗人。その人を形容するには、その言葉が最も適しているだろう。

 人々をして羨望嫉視せしめる、艶やかで洗練された美貌。その美しさの前では、性別も年齢も、瑣末なことであった。

 本来ならば、素性の明らかでない者を太子太傅に任じることなどあり得ない。が、颱においては、「幽寂先生だから」の一言で全て済まされるのがこの人であった。


「――師傅しふ


 二人の間を、鈴の鳴る様な声が裂いた。


「おや。そなたか」


 雪白の艶やかな髪を複雑に結い上げ、金の虎方冠を戴き、計算され尽くした配置で連なる玉簪が華やかさを添える。金銀で豪奢な刺繍が施された純白の衣を優雅に翻し、両腕には金釧を連ね、柳腰に提げたるは神虎魄玉珮。

 玉の中に揺らめく霊光と、それによって浮かび上がる白虎の紋様。二頭の白虎が描かれているものは颱の皇帝、一頭の白虎ならば皇太子の証として代々受け継がれている、この世に二つしか存在しない、颱国の至宝である。

 

「お久しゅうございます、師傅。風皓月が師傅にご挨拶申し上げます。またどうか、この不肖の弟子をお導きください」

「皓月? そう……ふふ。、の。――ほんに、……――不肖だこと」


 幽寂は、大麗のように艶やかに微笑んだ。

 その肩にとまった鳥が、バサリと羽をばたつかせた。



  * * *



「――少し、休みませんか?」

「いえ、まだ・・・・・・歩けます」


 皓月は、荒く息を吐いた。

 寒気が全身を襲い、身震いがした。そのくせに頭は照りつける太陽に熱されたように、ぼうっとした。

 一歩先すらも見えぬ、深淵の闇。

 自分の手を引き、前を歩く男――浩の皇太子にして、夫である水適すい・せき――の気配を探り、歩く。


 ひどく現実味がない。

 足下すらもあやふやで、夢の中を歩いているようだった。

 細く続く隧道は、広いところもあれば、上背のある皇太子が通るのにやっと、というほどの狭さの所もある。

 暗闇の中、時間の感覚が遠い。

 入って来た時には昼頃だったが、今は何時であろう。早く外へ続く道を見つけなければと思うのだが、只管に続く闇の為か、不調の為か。全ての感覚が鈍化している気がする。風の流れが全く感じられない。


 なぜ、こんなことになっただろう……?


 盧梟と交戦中の母帝が、この山で行方不明になった、と知ったのがそもそもの始まりだった。


 皓月ならば母帝の白虎の気配を追える。故に、他の者に捜させるよりも遙かに効率よく捜せる。その上、皓月は母帝に訊きたい……いや、確認しなければならないことがあった。


 皇太子の多忙を見越して、皓月は替身影武者もしっかり用意して抜け出そうと試みたのだが、なぜかあっさり見つかってしまった。

 そして、紆余曲折の末、彼とともに、玄冥山までやって来た。政務は大丈夫だろうか、と思うのだが。


 兎も角、玄冥山に入り、母帝を捜索していたところ、黎駽れい・けんに出くわした。

 玄冥山を巡って敵対関係にある、盧梟の統領である。

 彼は、怪しげな巫師を伴っていた。

 

「魄の生き残りがまだこの地にいようとは。それも――とは! 何たる幸運。何たる僥倖。あなた様はご自身の幸運に感謝すべきしょう、な」


 笑い含みにそう嘯きながら放たれた術。

 それは確かに、皇太子を狙っているもののように思われた。何しろ、出くわしてからその巫師は寸毫も彼から目を離さなかった。


 皓月は咄嗟に、皇太子に向けて、師が護符代わりにと持たせてくれた包みを投げていた。

 それが、放たれた術をはじき返すか、或いは効果を弱めるかしてくれる筈であった。


 ――が。


「――、邪魔をされてはかなわぬ」


 それは突如軌道を変え、皓月を襲った。

 

「――!?」

 

 そのままの勢いで弾き飛ばされ、皓月の体が宙を浮く。強かに壁に打ち付けられ、呻き声が漏れた。


 直後、激しい揺れが洞窟全体を襲った。

 と、同時に。吐き気を催すような強烈な悪臭と、重苦しい――毒気が、肺腑を灼く。


 倒れ込みながら、己が今立っていた地面よりも、なお深く。何かを超えて。


 ただ、どこまでも。

 

 ――堕ちる――。


 遠のく意識の向こうで、叫ぶような声が聞こえた気が、した。






“――様、こんな……どうか……許して、……ください……”


“……皆、お前が、殺したのか? 大雅朱雀に飽き足らず……残虐な……”


“確かに。……皆、私が殺した。あの外道も、皇后殿下いもうとも、そなたの愛する素素そそも。あと、ほんの少しでも……そなたの来るのが早ければ、彼女の死に目には会えたであろうに。――青龍の。本当に、そなたは遅い。だからそなたは、最愛の情人こいびとも、無二の知音しんゆうも、何も、守れぬのだ……!”




『昊国秘史〈巻二〉~元皇太女、幽迷宮の残夢に眩惑す~』

https://kakuyomu.jp/works/16818093072992812371)に続きます。


――――――――――――

【注記】

閉関:外界との接触を遮断し、修行に専念すること。


【御礼】

ここまでお読みいただきましてありがとうございます。


〈巻一〉では、皓月と皇太子がしっかりと「出逢う」迄を描きました。

〈巻二〉では、今回、不明なままに終わった皇太子の出生の謎や、

二人の関係性の深まりを描いていこうと思います。


宜しければ、引き続きお読みいただけると嬉しいです。


【御礼2】

お陰様で、10000PVを超えました!

誠に幸甚の極みです。

本当にありがとうございます。


記念SSをアップしました。

宜しければお読みいただけるとありがたいです。


また、♥、コメント、お星様を下さった方々、

ありがとうございます。大変励みになっております。

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