第七十五

 数日後、承命宮の請願により、皇太子主導で雩祭あまごいまつりが行われた。黒宮の火を消した際、皇太子の龍の力で雨は降ったものの、ここずっと続く雨不足を解消するまでには至っていない。

 その為の、祭祀だ。


 太巫令の号令で、諸官が一斉に首を垂れる。皓月もまた、皇族用の席から、頭を垂れた。


 端正なあしおと。そして、例の辟邪香の香り。それで皇太子の入場したのが窺えた。が、今回のために幾重にも巡らされた帳の為、その姿は皓月にすら見えない。ただ、響いてくる跫はしっかりとしていて、特に異常はなさそうだ。


 官吏達は、ほっとしたようだった。一度として公式の行事に現れたことのない皇太子が、雩祭の場に現れるか否かは、最後まで気がかりだったのだろう。皇帝から命じられた、監国として処理すべき政務は、東宮の玉鱗殿に運ばれており、相変わらず臣下達の前には一切姿を見せてはいないという。


 ただ、最近囁かれ出したのは、皇太子が東宮からお出ましにならないのは、青龍の守護の影響で目が光に敏感過ぎる故、日の光を避けている為だという話だ。実際、瑞燿に出た時、彼は斗篷の帽を被った上に、扇で目元を覆ってもいた。


 後で聴いた話では、青龍の守護を持つ者には稀に、視力が強化され過ぎた結果、却って問題の生じることもあるらしい。――窈王の目が見えなかったのも、或いは関係していたのかもしれない。


 だが、皇太子が人前に姿を表さないのは、視力の問題云々以上に、その特異な外見が関わっているのは、先日の周貴妃の発言などから明白であろう。

 

 皇太子妃宮に皓月を送ってくれた時、女官達は彼の姿を目撃した筈であった。が、どうも彼女たちは、皇太子が現れたということはわかっていたが、皇太子がどんな見目をしていたかについては、記憶に無いようであった。おそらくは、それこそが、皇太子が言うところの、視力での認識に干渉する、青龍の守護の力なのであろう。


 祝文を読み上げる、朗々とした声が響く。


 聞き慣れた、あの声だ。

 ほう、と誰からともなく、感嘆の声が漏れる。柔らかくも、清らかな流水の如き滔々とした強さを秘めた――。


 程なくして、巫官見習いの少年少女、総勢16人による群舞が始まった。いずれも鮮やかな羽根飾りを付けた姿が視界の隅を横切る。


 気がつくと、周囲は暗くなっていた。厚い雲が空を覆い尽くしている。


 ぽつ、と。


 皓月の首筋を、冷たい雫が濡らしたのは、その時だ。


「――雨だ!」


 ざあっ……と降り出した雨は、忽ち勢いを増し、地面を潤していく。


「成功だ! 祈りが天に通じたのだ!」


 歓声と楽の音に混じった、端正な跫。それが一瞬だけ止まった気がして、皓月は顔を上げた。

 が、その時には、再びその跫は遠ざかって行ってしまった。


“――呪われたその身ゆえ、ろくに臣下達の前に姿も見せられぬ半端者が……! 一体誰が、そなたのその姿で、この国の皇太子と認めよう――”


 銀の髪に、銀の瞳、銀の爪の皇太子。

 そして、彼の――“旣魄”の名。


 彼は、あの姿を、呪いと思っているのだろうか。 

 それ故、人目を避け、姿を隠して生きるのか。


“生まれてすぐ、離宮へと追いやられたお前は知らないでしょう。あの女が後宮に入ってから、凄惨な事件が相次いだこと。宮中が混乱したこと。――どれだけの者が、恐怖に怯えたか――”


(……恐らく、姿は……。……だが……)


 既に彼の気配の無くなった祭壇を見遣り、皓月はそっと、掌を握りしめるのだった。






【〈巻一〉完】

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

また、いいねやコメント、お星様など、ありがとうございます。


次話は〈巻二〉の予告編です。


『昊国秘史〈巻二〉~元皇太女、幽迷宮の残夢に眩惑す~』

https://kakuyomu.jp/works/16818093072992812371

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