第七十四
黒宮の一件の後、しばらく朝廷は大混乱に陥った。
窈王と窈王妃が皇帝陛下の暗殺を企て、その上、兄皇子達を害そうとしたとして、それを幇助したとして巫官一名が、また、恭王を刺したと恭王妃が、黒宮に火をつけたと尚王妃が、それぞれ獄に入れられた。
だが、何よりも激震が走ったのは、皇帝陛下が、周貴妃を自ら断罪したことだった。事件から二十数年を経て明るみになった、皇后の暗殺。
皇帝より監国を命じられた皇太子は、皇帝が病で不在の間、滞っていた政務を次々とこなす傍ら、周宰相以下、皇后暗殺に関わった者達と、その真相を解明していった。その中で、先の皇太子妃・
その手腕には、その件に無関係の者をも含む、百官をして恐懼せしめたという。
国内にこれといった後ろ盾がないということは、何の
皇太子の処断は迅速で迷いもなく、また的確であった。大国・颱の皇女を正妃に迎え、皇帝から直々に監国を命じられた皇太子を止められる者など、周宰相無き今、士族にも皇族にも居ない。
「――で。何故黒宮の火を消したのがわたくし一人の功績とされているのです?」
数日後。刺繍と格闘していた皓月は、目も上げず、現れた尚王に尋ねた。
すでに、巫医の処置を受けて完全回復したらしい。皇帝の方も、尚王達より毒された期間が長かったために時間は掛かっているが、順調に回復してきているという。
「実際、嫂子がほとんど消したのでしょう? 私も遠くから拝見しておりましたが、いやぁお見事でした」
扇を優雅に繰りながら尚王が笑う。母や弟の件で、基本的には謹慎中の筈だが、何故ここにいるのか。などと思うが、彼にそれを尋ねても、恐らく無駄だろう。
「最終的には皇太子殿下がお消しになったのです。わたくし一人では消しきれなかったでしょう」
他人の手柄を奪ったようで、どうにも寝覚めが悪い。東宮に戻ってきた皓月の元には、連日のように官人士族たちや後宮から、見舞いと称してご機嫌伺いにやってくる者が後を絶たない。
東宮に帰ってきた翌朝、皇太子が医官を寄越してくれた。環境の悪い黒宮で過ごしていた割に調子は良かったが、足がどうにも痛むと思っていた。
それもその筈。
足の骨が折れていたのである。火災時の話をしたら、「その程度で済んだのは奇跡でございます」と顔色を変えていた。
この上、槍を振り回して青龍と戦ったことを言えば卒倒しそうな様子だった。
絶対安静を言い渡され、散歩も禁じられた。
「まあ、仕方の無いことでしょうね。“引きこもり”と称されていた兄上が嫂子を助けようと御自ら動かれたのです。その意味は軽くありません。そもそもこれまでも、兄上の嫂子への態度を計りかねていた者は多いのです。有り体に言えば、兄上がお渡りの様子は無いのに、お贈りの掬花は、兄上が嫂子を重んじていることの窺えるものでした。兄上の腹心である巫澂を寄越したこともです。少なくとも、穆妃の時にはありませんでした」
「……穆妃、ですか」
今回の件で、皇太子の先の妃が、周宰相一派によって殺されたことも明らかになった。
「因みに穆妃には、兄上は徹底して関わらなかったので、会ったことすらなかった筈です。一方の穆妃も、かなり内向的な方でしたから、嫂子のように、自ら兄上の居所に踏み込むような、積極的な方ではありませんでしたからねぇ~」
「な、なぜそれをご存知なのですか?」
「あっはっはっはっ。――私も案外、色々なことを知って居るんですよ。何故か皆さん、私相手だと気が抜けるようで」
「ああ。……成る程」
真顔で頷く皓月に、尚王は「あれ? そこで納得しちゃいますー?」と笑みを深めた。が、その後黙り込んだ皓月に、声を低め、にやにやしながら尋ねてきた。
「どんな方だったか、気になります? まあ、東宮の方々には訊きにくいですよねえ。ええ。ええ。分かりますよ~」
尚王は、思い出すように視線を上向かせた。
「――ま。私も話をしたことは殆どありませんでしたが。何しろ自宮から滅多に出てきませんでしたし。敢えて言うなら、いかにも儚げな、雨に打たれる海棠のようなお方、でしたかね。傍にお仕えしていた者たちからは慕われていたようですが。如何せん、東宮で生き抜くには、儚すぎる方だったのでしょうね。――ところで、それはもしかして、兄上に?」
皓月の手元に目を落として、尚王が尋ねてくる。
「御覧の通りです。今度、殿下の主導で、雩祭が行われるのでしょう。慣例だと伺いまして。ただ、間に合うかどうか、微妙ですが。――そうだ。ちょっと尚王殿下、立ってみてください」
首を傾げながらも、尚王は立ち上がる。女官に衣を渡し、その肩に当てさせてみる。
祭祀や宴で使う夫君の衣を調えるのは、浩では細君の仕事という。皇太子からは何も言って来ていないし、本当に使うかどうかは知らないが、一先ず用意するだけしておこう、と大急ぎで用意しているのだ。
「皇太子殿下と殿下、大体体格が同じくらいでしょう。わたくしは男物の装束など、作ったことはないのです。――問題はなさそうですかね」
「あぁ……えーと。……兄上に見られたら、殺されそう……」
「何を今更。そんなことにはならないでしょう」
皇太子には、黒宮を出た日以来、会っていなかった。とんでもなく忙殺されているらしい。
ただ、外出を禁じられた皓月への見舞のつもりなのか、様々の花が届けられるようになった。それを、女官達が毎朝良い笑顔で飾っていくので、妙に居たたまれない。皓月の髪にも飾ってくるので尚更である。どうも、この浩の習慣には未だ慣れない。
が、やさしい花の香りは、閉じこもりで鬱々とした気分を和ませてくれた。
それにしても、千秋紅もそうだが、今の季節には咲かない筈の花が混ざっているのは気のせいだろうか。謎である。
巫澂の講義も、ずっと休みだった。
皓月の前に現れていた「巫澂」が皇太子だと判明した今、まさか皇太子本人が今後も続けるとは思われないが。
本人は「大丈夫」と言っていた、あの日負った――怪我は大丈夫なのだろうか。
「ええぇと……こほん。因みに、兄上の方が、拳一つ分位は高いですよ。出逢った頃は、同じ位でしたが」
「出逢った頃……?」
皇太子が尚王と手を組んだのは、一体どういう経緯だったか。謎の一つである。
首を傾げた皓月に、いつも通りのヘラヘラ笑顔で片目をつぶって見せた尚王は、些か慌てたような様子で出て行った。
「――あの人、まだ通ってくる気なのかな。一体、誰が旦那なんだか」
一息付いた皓月の前に、慎が現れる。
「それにしても、俺らのこと、皇太子にバレてるかなーって思ってたけど、思いっきりバレてたよね」
皓月が黒宮に囚われたあと、巫澂が阿涼を尋ねてきた。皇太子妃については皇太子が動いているということが告げられ、早まった行動はするなという指示があったという。表向きは、阿涼に向けての指示だが、実際、慎達“影”に向けての言葉であることは明白であった。
その上で、その存在を黙認する代わり、今回の首謀者のあぶり出しを手伝えと
勿論、慎が付いてきていることに知っていたからこその人選であろう。元々、慎は皓月が瑞燿で助けた少年が、皇宮の庭園で見習いとして働いていることには気付いていた。
霊木の世話をしていた彼の祖父が拘束されたということが判明した段階で、慎は、羽騎とともに彼の居所を訪ねた。すると、怪しげな風体の者達が少年を襲ったところに居合わせ、一先ず保護したということだった。恐らく口封じの為であったのだろう。間一髪だった。
それにしても、軽快な雰囲気の割に気難しいところのある慎がよくすんなり協力したものである。
「ん。ああ、……まぁ、姫を助けるためだったし。それにまぁ、……姫へのあれこれはと兎も角、割と嫌いじゃないかな、少なくとも、あの人よりは?」
直後、皓月の瞳に暗い焔が過った。
「――あれの話はするな」
「……だね。ごめん」
調査では、庾安の居所から役鬼符が発見された。捕らえられた巫官・祥は神霊を使役する役神・役鬼術を得意としたという。それで少年の両親の亡魂を操り、少年が皓月に害意を抱くよう仕向けていたとのことだった。例の産婆の幽鬼の役鬼符を書いたのも、彼ではあったらしい。ただし、それが尚王妃に憑依し、火を放ったことについての関与は認めて居ないという。確かに、瀏客がその符を見つけた時には破れていた。産婆の幽鬼が自力で支配を破ったということも考えられた。
窈王に協力していた理由について、巫祥は黙して語らないでいるという。
窈王との戦いで辺りを取り巻いていた妙な霧。睡眠効果と青龍の守護を持つ者への毒効果、その上認識阻害の効果まで付与されたものであったことがわかっている。認識阻害の効果が、窈王の力というのは確からしい。が、それ以外については分からないことが多いようだ。
また、巫祥が四霊封じの術を使えた理由も不明である。少なくとも、承命宮に、巫祥がその伝授を受けた記録は無い。また、皇帝や霊木、更には皇太子や尚王を苦しめた毒も、未知のものらしい。
唆した者がいたとはいえ、窈王の陰謀に加担し、霊木に毒を仕込んだ庾安の罪は重く、いずれ何らかの罰が下されることだろう。
今回の一件に関わった人々やその背景、心中などに思いを致した皓月は、小さく息を吐いた。
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