第四十七

 それから二人は更に街の中を歩き回り、市の開かれている界隈までやって来た。これまで通ってきた中でも、一際人が多い。呼吸するのにも気を遣う程の人混みだ。


 皓月と巫澂は、端から目に付いたみせを覗いていく。扱っている品はどんなものなのか、品質はどうか、物価はどのような水準になっているのかなどを細々見ていく。


「肆の配置は、どうやって決まっているのでしょう」

「それは――」


「――待て!!」


 答えようとした巫澂と皓月との間を、一人の少年が駆け抜けていった。かと思うと、凶相を浮かべた男達が後に続く。ほんの一瞬、目にしたばかりの少年の顔に浮かんでいた、感情もの――追われることの恐怖ばかりではない――それに気付いてしまった皓月は、躊躇無く、彼らの後を追いかけていた。


 背後で巫澂が驚きの声を発したが、すでに皓月の意識の外である。


 少年を追いかける一群を更に後ろから追いかけ、皓月は瑞耀の街をひた走る。

 人々の喧噪を横目に、次々路地を抜ける。入り組んだ地形はまさに迷路だ。

 少年が急に立ち止まった。行き止まりにぶつかったらしい。


「やっと追い詰めたぞこのガキ! 手間かけさせやがって――ぐあっ」


 熱した鉄に触れたような勢いで、男は少年から手を離した。


「な、何だこりゃあ……簪?」


 少年を掴んでいた手の甲に、細工の美しい銀の簪が刺さっていた。乱雑に引き抜いて地面に投げ捨てた男は、怒りに血走った目で辺りを見回す。


「大の大人が子ども相手に寄ってたかって、とは――」


 皓月は、暗がりからゆっくりと姿を現した。その目が、暮れ方の日の中、黄金色の輝きを宿して、男達を射貫く。この時、男たちを睥睨していた皓月の心中には、先日、打擲される雨霄を物陰から見ているしかなかった、あの時の、嵐のような感情が吹き荒れていた。


 黄金きんの視線を受けて、男たちは狼狽うろたえた。突如現れた女人は、月の仙女・嫦娥じょうがもかくやと思わせる麗姿を、今まさに宵闇に沈まんとする夕日のもとに晒し、おかしがたい、静謐で清冽な空気を漂わせて、彼らの前に立ち塞がっていた。足下から立ち上るようにして吹き上げる風が、酷く冷たい。――身を潜ませた肉食獣が、獲物を一気に仕留めようとする直前の、極限まで張り詰めた糸のような――緊張感を感じてか、誰知らず、身震いした。


 皓月は、にっこりと、邪気なく微笑んだ。


「わたくしは、とてもむしゃくしゃしているんだ。そなた達ならぶちのめすのにちょうど良さそうだな」


 粗末な身なりながら、全身から高貴な身分を思わせる雰囲気を立ち上らせた皓月の口から「むしゃくしゃ」だの「ぶちのめす」だのといった物騒な言葉が飛び出したのに、対した男たちは目を白黒させた。


 その間に、皓月は一番近くにいた敵に掌打をお見舞いする。


 間髪入れずに蹴りを。その振り向きざまに髪に挿した簪を抜き、背後から斬りかかってきた者の剣を受け止め、敵が瞠目した隙を狙って顎を蹴り上げ、宙を一回転して着地した。簪を抜いた拍子に、結い上げていた豊かな雪白の髪がバサリと滝のように背中へと流れ落ちる。


「な、なんで……」


 呆然としていた少年を庇うように立つと、少年は、ただそればかりを言った。


「まだいたのか。わたくしはで忙しい。――早く行きなさい」


 殺気立った男達から視線を逸らさず、皓月はそれだけを言うと、鋭く微笑んだ。

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