第九

「皇太子妃殿下。斟の儀についての勅令はもう届いていらっしゃいますか?」


 翌々日。いつものように皇太子妃宮へやってきた巫徴が、開口一番に尋ねてきた。


「――しんの儀?」

「毎年行う祭祀の一つです。都の水源に赴き、神水を斟んで霊木に捧げるものです。汲み上げた神水は、皇帝陛下から指名された方がお運びすることになっています。そうすることで神性を損なうことがないとされています。この度、皇上は皇太子妃殿下をご指名なさいました。特に皇太子妃殿下は金の性を持つ御方。“金生水(金は水を生ず)”の理に照らし合わせても、最も適任、とのご判断です」


「――皇帝陛下のご命令です!」


 外から声がした。宦官特有の、男にしては甲高い声である。

 

「ああ、ちょうど勅使がいらっしゃいましたね。参りましょう」


 皓月と巫澂は外へ出た。勅使の宦官の前に膝を着く。

 宦官は、颱には存在しない。存在は知っていたが、実際目にするのは浩に来て初めてのことだった。


「皇太子妃・風皦玲を斟の儀の司水に命ず。明日より瀏如宮りゅうじょきゅうに赴き、斎戒沐浴して臨むよう。以上」

「謹んで拝命いたします」


 勅使が去った後、皓月は受け取った勅書を広げた。


「司水、というのが先程仰っていたお役目のことですか」

「その通りです。準備については女官長にお伝えしておきます。私も随行いたします。詳しい手順につきましては、瀏如宮にてご説明させていただきますね」

「そうですか。それなら安心です」


 微笑みを浮かべてそう言うと、巫徴がこちらの様子を窺うような素振りを見せた。


「どうか、よくよくお気をつけください」

「……今回わたくしがこの任に就くことで、妨害を働く方が出てくる可能性があるということですか」

「斎戒を怠ったり、神水に何か問題があると判断されたりすれば責めを負うことになるでしょう。神水は一年に一度、一定量しか斟むことができません」

「決して失敗できない、ということですね」


 他国の者ならば兎も角、その口ぶりでは、身内でも手を出してくる輩がいるということだ。

 己の欲や権威の為に神祇や祖霊をおかそうとするとは。

 国の根幹を揺るがし、民を不安に陥れる行為である。だが、我欲のためにそのような振る舞いをする者がいることも、皓月は理解していた。


「その通りでございます。どうぞお気をつけください」





 その日の講義後、巫徴が帰って暫くして、後宮から宮女がやってきた。


「周貴妃様より、皇太子妃殿下を本日これから行われる品茗会おちゃかいにお招きしたいとのことでございます」


 早速来たか、と皓月は内心げんなりしながらも淑やかに微笑んで頷いた。


 当日、それも始まる直前にいきなり誘ってくるとは。

 先程の巫徴の話もあるし、高確率で何か仕掛けてくるに違いない。正直、行きたくない――心の中で呟きながら、深く静かに息を吐く。

 

 さりとて、後宮の実力者の誘いを無視もできまい。


「貴妃様のお招き、喜んでお受けします、とお伝えして」


 案内された後宮の苑では、既に大勢が集まっている気配がした。案の定、皓月が最後のようだ。


 ひっそりと眉をひそめる。花や茶の香りに混じって、僅かに流れてくる、匂い。


(……これは……)


“斎戒を怠ったり、神水に何か問題があると判断されたりすれば責めを負うことになるでしょう”


 巫徴の言葉が脳裏に蘇り、皓月は、相手の目論見を瞬時に察した。


(……随分お粗末なだな) 


 皓月は、内心鋭く笑みを浮かべた。

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