第六十八
「そなた、皇太子と共謀して実の母を陥れるとは……!」
「何だ、しっかりとお分かりではございませんか。ですが、これもご自身の身から出た錆、自業自得というものです。貴妃様が動かれなければ、私とて、いくら何でも、ここまでする気は無かったのですが」
「そなた――!」
いつものへらへらとした笑みをすっと収めて、尚王が水晶の様な薄蒼の瞳を開く。
「貴妃様のその憎しみは、常軌を逸しております。それで一体、どれだけの方を、これまでに陥れてきたのです? ――まこと、見境のない。その上、颱の皇女にまで手を出すとは。余程彼の国を怒らせ、戦をしたいとみえる。貴女は、ただ見ていれば良いのでしょうがね。私は、不毛な争いなど御免です」
私は、平和主義者ですからねえ~などと嘯く尚王を射貫く周貴妃の目は、もはや母が子を見る目ではない。憎悪というものは、かくも人の容貌を醜悪に歪めてしまうのだろうか。周貴妃の艶やかなその
「この、狂疾者が!! そなたの両肩に、どれほどの命が、と――あれほど――」
「人を踏み躙り、命を徒にし、数多の血と
(――皇太子と、尚王が、繋がっていた?)
政治上、皇太子に対抗する勢力の頭とも言うべき尚王が。
恐らく尚王側の者達も、予測はしていなかっただろう。だが、確かに、彼はしょっちゅう東宮に気軽に出入りしていた。それが可能だったのは、あの性格故、色々許されているのかと思っていた。黒宮の件同様、恐らくは、それもあっただろう。が、何よりも東宮の主である皇太子が、尚王の出入りを許していたからだったのだ。
「
「黒宮の傍らに倒れていましたので、連れて参りました。火をつけたのは彼女のようです」
「成る程――尚王妃」
声を掛けられた尚王妃は、不安を覚える程の不均衡な動きで、ガクリと顔を上げる。と、恐ろしく整った皇太子の顔立ちを、夢見るように無感情な、頼りない目で見上げた。尚王妃、と冷気をも漂わせながらもう一度皇太子が言う。と、突如我に返ったが如く、尚王妃が物凄い勢いで額づいた。
「火をつけたのは、そなたか」
「……わ、わたくしは……確かに、火をつけようとしましたが……つけたのは……」
「黒宮に火を放ち、我が妃を害そうとしたのは、そなたかと訊いている」
整い過ぎているが故の迫力を漲らせた皇太子に睨み据えられ、尚王妃は、ガタガタと震え出した。
「しょ、尚王殿下が、――黒宮へ、皇太子妃様にお会いに――わたくしを――」
しどろもどろに言うが、出てくるのは、ますます訳の分からない言葉ばかりだ。
恐怖を濃厚に滲ませながら、皇太子を見上げていたその目が突如、生気を失う。涙が、血の赤に染まって、白い肌に、真っ赤な二本の筋を描く。
『――腹立たしや、ああ……あの小娘。――焼き殺してやろうと思ったのに――』
「――何、」
『お前の目。あの女と同じ。その顔。その髪、――ああ、――不吉な』
『――憎らしや、不吉な銀の女の産んだ忌み子、お前のせいで……!!』
湖面のような皇太子の目元に、かすかな動揺が走る。それを認めた皓月は、声を張った。
「皇太子殿下、その者の声に、耳を傾けてはいけません――
玲瓏とは、皦玲の白虎の名である。声に応じ、月靈は
『―――うっううううう――!!』
「な、何? ――――――きゃあああああっっ」
月靈の口にくわえられ、大暴れしている幽鬼の老婆の姿に、周貴妃が悲鳴を上げた。腰を抜かしてしまったように、這って距離を取る。皇太子と尚王もまた、驚いたように目を見開いた。
「この老婆、亡き皇后殿下の産婆だったそうですが。黒宮で夜毎、わたくしにこの声を聴かせるものですから、正直、閉口しました」
「へ、閉口で済むんですか……? ……いや、嫂子、……恐ろしい胆力ですね……は、はは……」
尚王が引きつった声を上げた。尚王妃から引き剥がされ、再び目と舌とを失った幽鬼は、なおも暴れる。が、神である白虎に敵う訳も無く、その前肢に押さえつけられている。
「そ、そなた。まさか――何故――」
周貴妃は幽鬼を目のあたりにしたこと以上の恐怖をその目一杯に宿し、恐慌状態に陥っている。周貴妃の狼狽ぶりに、もしや、と思う。だが、硬直したままの皇太子は何も言わなかった。
「産婆が秘密を漏らした士族というのは――」
「ええ、……まあ、そう言うことです」
独白のような皓月の呟きを拾った尚王が小さく頷く。
月靈によって幽鬼と引き剥がされ、一瞬気を失っていたらしき尚王妃が身を起こす。が、血涙を散らして喚く幽鬼を見て、周貴妃同様、悲鳴を上げ、また気を失ってしまった。忙しいことである。
『人を唆し、罪を起こさせた挙げ句、姫の命を狙うとは――』
月靈が幽鬼を押さえつけた前肢に力を込める。幽鬼は苦しげに四肢をばたつかせ、口を動かした。
『“自分はただ、あの女が黒宮に火をつけて姫を殺したがっていたから、背中を押してやっただけ”――だと? ふざけるな』
怒りに満ちた月靈の声が響いたかと思うと、その姿は四散して消えてしまった。
なぜ尚王妃が取り憑かれたのか、不思議だった。そもそも皓月を殺そうとして黒宮付近をうろついていたがために、産婆に目を付けられたらしい。
幽鬼が霧散した後に、朱筆で書かれた符がひらりと舞い落ちる。それを、瀏客が拾い上げる。
「
「術者が誰か、分かるか」
「少々お待ちを」
既に何らかの確信を得ているらしき風情で皇太子が尋ねると、瀏客は役鬼符を手に、低く何事か唱え、中空に放つ。ふわり浮かんだ霊符は、そのままどこかへ向かって行く。
「――追跡なさい」
誰にともなく言う。と、応ずる声がして、身を隠していた巫官が剣を抜いて追っていく。例の巫官装束で顔は見えないが、応じた声や体格などから恐らく、瀏如宮で世話をしてくれた巫官の一人、
「尚王殿下! 恭王殿下をお呼びしたのですが……」
尚王の部下と思しき武官が進み出る。その後ろには、恭王妃が立っているばかりで、恭王はいない。心底恨めしげに尚王妃と皓月とを睨んでくるその目には、楚々とした美姫の影もない。皓月はぎょっとした。
「恭王妃様が、恭王殿下を、刺したのです」
耳を疑った。
「とうとう、恭王妃も爆発した訳だ……可哀想に。まあ、あの色狂いに付ける薬はないからなあ。刺されて治れば儲けものかな?」
淑やかな恭王妃が、恭王を刺した? 俄には信じがたい話である。一体、何が彼女に刃をとらせたというのだろう。
まあ、恭王と尚王妃の振る舞いを見ていれば、刺されても仕方の無いことかもしれない。
だが、恭王と不貞の関係にあった尚王妃を恨むのは分かるが、何故自分まで、親の敵のような目で見られているのだろう。
恭王妃は、護送の武官が佩いている剣に手を伸ばし、奪おうとした。
だが、案の定阻まれ、もみ合いになる。
「――お
一体、その細い体のどこからそんな力が出ているのか、髪を振り乱し、恐ろしい形相で皓月を睨む恭王妃は、押さえにかかった武官を体当たりで突き飛ばし、跳ね飛ばし、皓月につかみかかろうとした。
が、素早く移動してきた羽騎と羽厳が、二人がかりで恭王妃を押さえ込む。
「――この、男をたぶらかす毒婦が!! 我が君までもその毒牙にかけるとは!!」
「たぶらかす? 恭王妃。どうか落ち着いて下さい。わたくしが、いつ、一体、どなたを? 貴女の如き淑女なら兎も角、わたくしなどにたぶらかされるような君子がどこにいらっしゃるというのです?」
一生懸命に猫を被ったところで、皓月が被っている猫は、同じ仲間でも猫ではなく虎である。
この時皓月は、思わず、皦玲としてではなく、皓月として返事をしてしまっていた。かつて同性から、このような扱いをされたことが無く、却って対処に窮したのである。が、完全に悪手であった。
無自覚に煽っていることに気付かない皓月に、皇太子と尚王のみならず、羽騎や羽厳までもが物言いたげな目をした。瀏客だけ、居心地が悪そうに目を逸らしている。だが、男女間の微妙な機微に疎い皓月が気付く筈も無かった。よって、気付かないまま、追い打ちのように更なる言葉を言い放つ。
「恭王殿下とは、一度御苑で尚王殿下に紹介されて簡単に挨拶を交わしただけでございますし、恭王妃がお疑いになるようなことは、何一つないのですよ?」
ここまで意識も、相手にもされていない恭王を憐れむべきか、という思いが一同の胸中を駆け巡る中、いよいよ恭王妃の目の鬼気が頂点へと達する。
「――おのれ、放せ!! 下郎ども! そなたらが触れて良いとでも!?」
叫んだ恭王妃の動きが、ぴたりと止まる。
「お揃いですね、兄上方」
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