紀第十一 静夜踏破
第四十一
声がした。
「申し訳ございません、主君!!――臣は大罪を犯しました」
額突いて何度も床に頭を打ち付ける男を見下ろす己の目が、これ以上無いほど冷ややかである。そういう自覚があった。打ち付ける勢いの激しさ故、男は額から血を流していた。が、それを見て、皓月の中の怒りは収まるどころか、却って油を注がれた炎のように激しく燃え上がった。
「大罪を犯したという自覚があるのなら、二度とその面をわたくしの前に見せるな」
怒りのまま、愛刀を鞘から抜く。叩き斬ってやろうと思った。本気で。
「皇太子殿下!!」
恐らく、何人かの武官が皓月を止めようとした。が、構わずに刀を振り上げた皓月の前に、尽く弾き飛ばされた。全身から陽炎のように立ち上る気迫に、再度挑む気概の有る者はいない。
無論、彼らが弱いという訳では、決してなかった。
皦玲の皇子宮の侍官達は、余りの皓月の剣幕に震え、床に額づいていたり、皦玲を守るように盾となって皓月の前に立ち塞がったりしている。
「――お許し下さい!! お姉様っ」
あの子は、涙を浮かべ、全身を震わせながら、そう言って皓月の前に立ち塞がった。――涙に濡れた金緑の瞳。
それが、一瞬で、冷然としたものに変わる。あの目は……。
「――こうなっては仕方有るまい? 皇太子、――皓月よ。そなたが浩にゆけ」
――墜ちる。
黒く深い、谷底へと。よすがを求めて伸ばした手は、むなしく空を切る。凍り付いたように、そのままの姿勢で、ただ墜ちていく。
見上げた皓月を、甘えを一切許さない、金緑の瞳が、声が、皓月を貫いた。
(――
「――はうえ……!!」
夢を見ていた。眼が覚めてやっと気付いた。
夢の中で猛り狂っていた怒りと恐れとが、まだ激しく
喉の渇きを覚えて、
“高潔なる魂”或いは“繊細な美しさ”そう云う意味の花であるらしい。
だが、そのどちらの言葉にも相応しい自分であるような気がしない。
後宮の女官に打ち据えられた
そこでようやく、なぜ雨霄が後宮まで出向いたのかということを聞き出せたのだった。
あくまで皓月を煩わすまいと身を削って対処しようとした雨霄の眠る横顔を眺めて、皓月はただ、己を恥じた。秘密を守るためとはいえ、あの時の皓月は保身を選んだ。自宮の者を守ることよりも、己の秘密を守ることを優先した。
「皦玲らしくないからやめた方が良い」と云う慎の言葉に甘えて、自分で考えることを放棄した。
思う程に、不快さがこみ上げた。己の行動を「らしさ」という言葉に当てはめて制限されることに。無力さを思い知ることに。そう思いながらも甘んじて受け容れてしまう自分に。
そんな不快感に打ち震えながら、はたと気付く。
或いは皦玲も、今の自分のような思いを抱いたことがあったのでは、と。
自分を始め、周りが「か弱い皦玲」像を押しつけていはしなかったか、と。
鏡の中に映る己と、目が合う。国を出る前、皦玲に少しでも外見を近づけようと切りそろえた前髪。
自分なのに自分ではない、その姿を見るのは、未だに慣れない。
逆に、皦玲が皓月を装う為、皓月自身がいつもそうしていたように、真ん中で前髪を分け、衣服を換え、化粧を変えて、向き合った瞬間。皦玲の金緑の瞳に浮かんでいた――あれこそが、答えでは無かったか。
少し恥じらいながらも自信に溢れた微笑みを浮かべた皦玲。あのとき、皓月は、足下が崩れるような衝撃を受けた。
この子は、誰だろう。
いつも伏し目がちにこちらを見ていた皦玲は。まるで――別人だった。
そして、皓月は、知った。
颱の皇太子として、これまで全力を尽くしてきた。国の為に在らねばと。
それでも。
――「お前の代わりなど、他にもいる」と。
その瞬間、突きつけられたのだ。
明かり一つ無い室内には、黒々とした闇が凝っている。まだ夜は長い。それなのに、夢のせいか、目が冴えてしまった。
(……少し歩くか)
皓月は、付いて来ようとする阿涼と荷香を止めて、一人外へ出た。
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