第七十

 皓月は、いつの間にか姿を消していた月靈に語りかける。だが、黒宮に捕らえられていた時同様、反応はない。

 やはり、四霊封じだ。


玿兮しょうけい、母上を頼んだよ」

「はい、殿下」


 すでに貴妃も恭王妃も意識を失っていた。が、窈王妃とその周囲の者達はしっかりと目を開いて立っている。彼女が、傍の者に命ずると、貴妃や王妃達を下がらせた。


 こちらへと突っ込んできた龍の攻撃を、大きく横に跳躍して躱す。同じように攻撃を避けた皇太子が、口を開く。


「窈王は、四霊封じの陣を予めここに用意していたようです。――恐らく、巫祥がどこかに隠れて術を操っている筈」


 それで、空気が変わったように思ったのか。自分達で用意したのであれば、自分の青龍はその封じ込めの対象外にするのもできるのだろう。全く姑息なことである。 

 だが、ある意味大胆とも言える。皇族の力を封じる、四霊封じの陣を無許可で施すことは大逆罪に等しい重罪である。


 そもそも四霊封じの術は、ごく限られた者にしか伝授されない禁術。その方法を得ている巫祥とは、余程高位の巫官ということなのだろうか。


「巫祥の方は、巫澂達に任せております。この程度の規模の四霊封じは、巫澂なら破れますので」


 既に巫澂の姿は消えていた。巫祥を探しに行ったのだろう。


「つまりは、」


 今度は尾が飛んできて、身を伏せてやり過ごす。


「それまで持ち堪えよ、ということですね」


 四霊封じさえ解けてしまえば、こちらには守護を持つ者が複数いる。向こうは一人だ。負けはすまい。が、それは向こうも分かって居る筈。だから、短時間で終わらせようとするだろう。

 次の攻撃の予備動作に入った青龍の動きから目を離さず、立ち上がる。


「はい。ですから、ここは私と尚王に任せて、お下がりください」

「いえ、わたくしも戦います。頭数は、多い方が宜しいでしょう?」


 引っ込んでいるのは、性に合わない。未だによく分かっていないところもあるが、窈王が、此度の一件の元凶だというのなら……仕置きはしてやらねばなるまい。


「しかし、……わかりました。どうかお気を付けて」


 言い掛けた皇太子だったが、皓月の表情を見て、引く気がないことを悟ったのだろう。微苦笑を浮かべ、慣れた動作で剣を抜いた。

 皓月は、霧に巻かれて気絶した武官の手から転がり落ちていた槍を拾い上げて構え、具合を確認する。


(久しぶりの感覚だが――悪くない)


 その口元に小さく笑みが浮かぶ。闘気を帯びた瞳が、その精彩を増して煌めいた。微かに、先程挟まれた左足が痛むような気がするが、まあ大丈夫だろう。


「は~い! ちょっと耳塞いでいてくださいね~!」


 告げるや否や、尚王が箜篌をかき鳴らす。恐らくただの演奏ではない。これが尚王の攻撃なのだろう。案の定、青龍が苦しげに龍身をうねらせた。尚王の動きが止まるのを見て取って、皇太子が奔る。皓月は、反対方向に駆けた。


 まず青龍が狙ってきたのは、皓月の方だった。


 体躯が大きい分、鈍重かと思いきや、鎌のように鋭い爪を持った前肢が、思いの外の速さで振り下ろされる。皓月は、その軌道を読みながら無駄のない動作で回避すると、その腕に飛び乗り、駆け上る。

 反対の腕が、鬱陶しげに伸ばされる。皓月の体など、簡単に串刺しに出来そうな程の鋭さ。それを、軽やかに跳躍して避ける。


 白と藍の衣が華やかに翻った。体重を感じさせない動き。それは、風に戯れる蝶を思わせた。だが、着地するや否や、一転して今度は獲物を狙う獸のように、低い位置から一気に速力を上げて距離を詰める。振り払おうと、青龍が腕を振る。が、一拍早くその気配を察した皓月は、逆にそれを踏み台代わりに活用して、再び高く跳躍した。

 

 落ちかかる三日月の青い光が、その輪郭を柔らかに縁取る。その存在感は、あまたの星々を従え、夜に君臨する、月の女神を彷彿とさせた。


――時の止まるが如き、一瞬間。


 中空に風をつらまえ、くるりと転回したかと思えば、青龍の鼻面へ向けて槍を揮う。

 まるで背に翼が生えているような自由さだ。

 融通無碍に繰り出される鋒が、対象を捉えんと動く青龍を翻弄し、切り裂いた。


 様子見程度の攻撃だったが、案の定、巨躯を誇る青龍では、小針が刺さったか、鳥に少しつつかれたか、程度の威力ではあろう。されど、小針程度の衝撃でも、回数を重ねれば、軈て無視出来なくなる。守護の力を制限された現在、人間や普通の獸ならば兎も角、青龍を相手には、一撃の有効性にも限界がある。その上、借り物の槍では、皓月の本来の力を十分には受け切れないと思われた。


 故国に置いてきた愛刀が懐かしい。だが、それを嘆いても詮方ないこと。故にこの場合の攻め方は、可能な限り無駄なく動き、当たる数を稼ぐ、これだろう。どれくらいの攻撃が有効か、先程のはそれを見極めるための攻撃だった。


 直後、反対側から近づいていた皇太子が青龍に斬りつけた。――見た者の血も沸騰する様な、雷霆の如き一閃。

 

 咆哮と血飛沫が上がる。


 同時に、膨れあがるように生じた剣気の余波が、未だ青龍の頭上にいた皓月の肌をも震わせた。


「――なんという……」


 無意識に呟く。

 剣気の衝撃で生じた、ただの余風ですら、刺し貫かれたかと感じさせる程、深く鋭く、重い一太刀。その片鱗は見えていたが、随分と力を抑えていたのだと悟る。己が斬りつけられた訳でも無いのに。この感覚――一体、どれ程の死線を潜ってきたら、これ程の境地に至ることであろう。


 炎のような派手さではない。寧ろ、氷の如く静謐に、雷霆の如く激烈に、重く、ただ確実に一点を刺し貫く、研ぎ澄まされ、練り上げられた純然たる剣気。優雅な雰囲気からは想像もつかぬ鋭さからは、彼がこれまでに歩んできた道の険しさが窺われた。

 

 気を取り直して青龍から飛び降り、着地した皓月は、皇太子の攻撃を受けて身の均衡を崩した青龍の、露わになったその腹部を、槍で鋭く突いた。


 再度、青龍の苛立ちを含んだ声が上がる。もがく龍の巻き添えを食ってはひとたまりもない、と距離を取る。


「――っ……何を、したのかな? 窈王」


 援護に回っていた尚王が声を詰まらせた。その顔色が悪い。――まさか。


「効いてきました? 存外元気に動いていらっしゃるので、効いていないのかと心配になったのですが。直接飲んだのとでは、やはり効き方も違うのですね」

「……皇上と、霊木に用いたものと同じ毒か……」


 軽く眉を顰めて零した皇太子に、青龍の爪が、迫る。皓月が回り込み、槍でその爪を受け止める。衝撃に、槍が、支える腕が、震える。


「――毒?」


 槍の軋む音を聞きながら、皇太子に尋ねる。その白皙の美貌は、夜闇の中では浮き上がる程に白すぎて、尚王のように毒にやられているのかどうか、顔色からではよく分からない。


「妃。何を……」


 涼しげな無表情から一転、驚愕をその目に浮かべた皇太子が、口走る。


「? 共闘とはこういうものでしょう? 大丈夫ですか?」

「――ええ」


 動けそうだと見て、槍を払い、青龍から距離を取った皓月に、皇太子が申し訳なさそうに頷いた。


「まったく、四霊封じに、毒とは、いちいち姑息なことだな!!」


 力強さを保っている皓月の声に、窈王は探るように少し首を傾ける。


「――ふむ。やはり颱の皇女殿下には効きませんか。青龍の守護持ち用ですから致し方ありませんね。それとも、流石は野蛮な颱の皇女と申しましょうか」

「野蛮、野蛮と。全く、浩人というのは。そればかりだな!! もう少し見識と語彙力を磨いては?」


 青龍の守護持ち用。そんな毒があるのか。

 とするとそれは、体内の“気”の巡りに関連するものだろうか。

 そもそも万象にあまねく、人の体内に巡る「木」「火」「土」「金」「水」の五気は、体調や精神の安定などに影響を及ぼすもの。それぞれに属する強大な気を身に帯び、扱う守護持ちは、常人とはその気の構成が異なっている。

 強大な力には、代償が必要。体内の気の乱れは、常人でも心身を損なうものだが、守護持ちはそれが殊に顕著である。悪くすると、最悪、命に関わることもある。故に幼い頃から、その扱いを徹底的に学び、常日頃から意識して生活する。


「恐らくは、この霧の中に窈王が言う毒も含まれているのかと」

「――霧――」


 だが、同じく青龍の守護を持つ窈王が平気だということは、解毒薬かなにかを用いているのだろう。


 五行において、青龍が掌る木に打ち克つのは金である。逆に、金に打ち克つのは火。そして、木は火を生ずる。となると、過剰に生じた金気に打ち克とうとして木気を大量に火気に転じようとしている状態ということか。とすると、火気を補ってやるか、金気を弱めるか、その二択。


 考えている皓月に、再び狙いを澄ましてきた青龍に向かうべく、皇太子が動く。先程、彼が傷つけた所に再度斬りつけた。


 いかにも頑強な青龍の右腕がすっぱりと斬り落とされ、どくどくと血を大地に迸らせた。逆上した青龍の反対の腕が、己を傷つけた皇太子を切り裂かんと迫る。冷静な月虹の瞳がそれをひたと見据え、直後また、彼の剣が唸った。今度は、反対の腕に長々とした疵が生じた。


『――ああ、よくも――許さない――許さない』

「……灑泠さいれい……?」


 自身の青龍の悲鳴をふくんだ声に、窈王の顔に、戸惑いが浮かぶ。


 痛みのため、激しくのたうち回る尾が、しきりに地面を打ち、度に地面が抉れる。

 人間に当たったら、骨が砕けるばかりか、内臓が破裂するに違いない。気をつけねば。


 と、そんなことを思った直後。

 足もとの木の根に引っかかり、左足首に鈍い痛みが走る。妙に力を入れたせいか、全身に衝撃が奔り、がくりと力が抜けた。


 もともと、先程火災を収めるため、皓月は既に、かなりの力を消耗していた。颱の地でならば、それでもまだ然程の影響はなかった。が、ここは浩の地。勝手が違う。自分で自覚している以上に、力を消費していたのだった。均衡を崩した皓月の目前に、青龍の尾が迫る。


「しまっ――」

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