第十六

 鋭い金属の音が響いた。

 

 暗器が風を切る音で咄嗟に身を返した皓月こうげつと、羽厳が皓月を背に庇うのと、どちらが速かったか。

 

 彼の剣は、飛来した暗器を悉く打ち落としていた。

 殺気に鋭く視線を向ければ、黒装束のいかにもな風体の侵入者が、3人。


「侵入者だ!!」


 剣戟の音に気付いたらしい衛士達が、声を上げながらこちらへ走ってきた。


 羽厳は、1人で危なげもなく3人を相手に立ち回る。否、寧ろ圧倒している。三合と切り結ぶこと無く相手を昏倒させてしまう。


 巫澂ふちょうの言う通り、並の遣い手ではない。


 端正な動きは力強く、且つ雷霆いかずちのように鋭い。もし戦場で敵として出くわしていたら、是非とも一度刀を交えてみたいと思う程の腕前だ。

 

 そう見て取りながら、周囲の気配を探る。木々に隠れて、様子を窺っているのが他にもいる。

 

 数の増えてきた衛士に不利を悟ったらしき侵入者は、大量の暗器を投げつけてくる。皓月に向かってきたものは、羽厳が全て打ち落とした。そこへ、巫澂や羽騎も到着する。


「――禁」


 左右の手を絡み合わせ、巫澂の禁呪きんしゅうを唱える声が、短く、そして重々しく響いた。向かってきた暗器が見えない壁に遮られたように動きを止めたかと思うと、ことごとく元の持ち主へ向けて跳ね返っていく。


 人や獣、鬼魅きみを制圧して身動きを封じ、病を癒やし災厄を治め、またやじりのような器物を自在に動かすという巫術の一種。

 これを総称して禁気術きんきじゅつという。

 禁ずることのできる対象は、術者によって異なる。

 院子の木に身を潜めていたらしき侵入者がどさどさと地面へ落ちる音がした。見たところ、巫澂は禁人きんじん禁鏃きんぞくを同時に行っている。

 複数の、それも異なる性質のものを禁じようとすれば当然難易度も上がる。


「――お~!! さっすが巫澂様!!」


 羽騎が茶化すように言う。が、その術を逃れた者もいた。


「おっ~と、逃がさねえぞ!!」


 羽騎がその後を追う。振り返り様、再度敵が暗器を放つ。羽騎は軽く笑いながら剣で暗器を打ち落とす。軽俊な動きは、端正で重厚な兄・羽厳のそれとは対照的だ。しかし、空気を切り裂くその音の鋭さが、兄同様、彼もまた非凡な腕前であることを十二分に伝えていた。

 皓月はそっと息を吐く。直後、敵が何かに足を取られたように体勢を崩して転倒する。


「おっ! 巫澂様、ありがとうございま~す」


 敵は素早く立ち上がろうとしたものの、追いついた羽騎に再度足を掬われ、取り押さえられた。


「? その者には、私は何もしておりませんが」

「ってことは……勝手にすっ転んだってことですか? ははっ。間抜けな刺客だなぁ」


 そう言い、笑いながら敵を縛り上げていく羽騎から皓月は目を逸らす。今のは、皓月のしわざである。風を操って転ばせたのだ。


 姓や国号に「風」の字を使っていることからも窺えるように、毒を無効化する能力同様、白虎の守護による能力の一つである。

 一般に、白虎の守護の最も基本的な力と思われている。それも確かではあるが、目に付きやすい能力で本質を隠す、一種の戦略としてそのように思わせているところもある。


 それぞれの神獣の守護により、どのような能力を発現するかというのは、無論神獣の性によるところも大きいが、個人差も非常に大きい。皓月自身、白虎の守護によって得られる力の全てを分かっているわけではない。

 青龍の守護ともなれば、分かっていないことの方が多いだろう。

 逆もまた然りである。


 衛士達に侵入者の捕縛の指示を出した羽厳は剣を鞘に収め、皓月を振り返り、膝を着いて頭を下げる。

 巫澂、羽騎や残る衛士たちもそれに倣った。


「皇太子妃殿下。お怪我はございませんか」


 大丈夫だと返すと、羽厳と巫澂、それぞれが安堵したように表情を緩める。

 混乱の為に、一人で薄暗い院子に出てきたのは皓月の落ち度だ。その為に彼らに余計な心配を掛けさせてしまった。

 

 彼女が一人で歩いたとしても、危機に陥ることはまず無い。

 皓月を知る者ならば、そう考えるだろう。刺客に襲われても大抵は皓月自身で対処出来るし、一人の手に余るような強敵だったとしても、彼女には白虎の守護や“影”の護衛がいる。

 だが、巫澂や羽厳達からすれば、皓月は守るべき非力な皇女である。

 狙ってください、と言わんばかりに一人で院子に出てしまった皓月に、さぞ肝を冷やしたことだろう。


(――否。颱でも、一人だけいた。いつも心配しすぎるほど心配性な配下が。)


「心配を掛けました」

「ご無事で何よりでございました。お疲れでしょう。本日は、早めにお休みになられては」

「……そうね、そうするわ」

「承知致しました。では、すぐに食事と夜の沐浴の準備をさせます」


 そうだ、沐浴それがあったのだった。こういうことがあっても、いや、あったからこそか。

 早めに、とはいえど、ゆっくりと休めるのはまだまだ先のようだった。


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