第三十九

 付いてくると言い募る尚王や、なにやらぼうっとした感じの恭王と別れた後、皓月は阿涼とともに東宮へと引き返していた。


「さっきのは一体、何だったの」

「姫様……。皇宮内は人が多うございます故、どうか前を――」


 阿涼に言われる少し前に、皓月は人の気配に気付いたのだが、足を止める前に、角を曲がってきた人物とぶつかってしまった。

 皓月の方は手に持っていた本を落としただけだったが、相手側が見事に転んでしまった。


「申し訳ございません。大丈夫ですか?」

「……ええ……、」


 ぶつかってしまった相手を見ると、緩やかに波打つ明るい青の髪が目に入った。もう見なれた藍衣を着ているからには、彼もまた皇族であろう。よく皇族に出くわす日である。


 少年は、地面に両膝を着いて、皓月が手から落としてしまった書籍に触れていた。探るような手つきでそっと持ち上げ、汚れを払うような動作のあと、物思うようにその書物の題簽しょめいのあたりを撫でる。奇妙な動作に、皓月は首を傾げた。戸惑う気配に気付いたのか、少年は立ち上がり、書物を皓月へと差し出した。


「どうぞ、皇太子妃殿下」


 こちらへ向けられた目元を覆うように、白い布が巻かれているのを見て、はっとした。


 目が見えていないのだろう。年回りなどからも考えれば、第四皇子の窈王ようおう水遼すい・りょうと思われた。

「ありがとうございます。……なぜ、わたくしだと?」

「目が見えていないのに、……ですか?」


 苦笑交じりのその声に、皓月は、己の非礼を悟って、すぐに詫びた。


「失礼を。窈王殿下」

「……巫官とも異なる香のかおりを漂わせていらっしゃる方は、浩の皇宮にはあなた方の他にいらっしゃらないでしょう。一緒にお連れになった侍妾の方がたは皇宮には自由に出入り出来ませんし。玉佩の音が聞こえましたから、すると、官女でもない。となれば皇太子妃殿下しか考えられません」


 何と言うこともなげな声音。ろくに日に当たっていないと思しき肌は青みを帯びてすらいる白だし、腕は棒きれのように細く、全体的に控えめな佇まいだ。〝影〟達の調べでは、穏やかな人柄から、下の者達から慕われる一方、若年で目も見えず、その性格などもあって、侮られることも多いということだった。

 皓月は、そんな彼の声音に滲む微かな諦念と、確かな矜恃とを読み取った。


「改めて、お詫び申し上げます」


 皓月は礼の形を取った。窈王は、「いえ、……」と遠慮した様子で礼を返してきた。


 彼の周囲を見回す。目が見えないとしても、否、だからこそ、窈王が、皇宮で誰かとぶつかるなど、あってはならない話だ。彼の護衛は一体何をしているのだろう、と窈王の背後を見る。すると、武官が一人、やる気のなさそうな様子で突っ立っているのが目に入った。主の身に危険が迫っても対応せず、転んだ主を助け起こす素振りすらない。主を侮っている態度も露わなその男に、皓月は不快感がした。


 皓月の視線に、非難の色を読み取ったか、その武官は鼻白んだように目を逸らす。


「窈王殿下、戻りましょう」


「――それでは、皇太子妃殿下」


 口元に微笑みを浮かべた窈王は、武官の態度に頓着した様子もなく、その場を去って行った。


 皓月は軽く手を振った。

 窈王の身辺を探れ、という合図である。


 応じる気配があって、皓月は歩き出す。

 

 あれほどの矜恃がありながら、周囲には無害を装うのなら、彼には恐らく、目的があるのだ。それは、何か。はっきりとはしないが、用心しておくに越したことはない。それを、皓月の前で垣間見せたのは、警告か、挑発か、あるいはそれこそ単なる侮りか――。


 再び皓月は足を止めた。慎の気配だ。


「――何が?」


 が、慎は答えず、動き始めた。付いてこい、という事だろう。阿涼と目を見交わし、皓月は慎の気配を追った。

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