第二十二

 玄武廟の泉から神水を斟む直前、皓月の鼻腔を僅かな刺激臭がかすめた。


「……神水とは、斯様ながするものですか」

「におい、でございますか……?」


 歯切れ悪く巫澂が問い返した。弱いにおいだ。巫澂には感じ取れなかったのだろう。試みに、皓月はすぐ足下に落ちていた葉を拾い上げ、巫澂がそうしたように川の水で一度清め、中に浸す。と、見る間にしおれてしまった。


「神水は霊木に捧げるもの、と伺いました。それが果たして植物に害を及ぼすでしょうか」

「……神水に何らかの問題が生じているのは確かなようですね……」


 巫澂は、思考を巡らすように頭に手を当てた。 

 蛇の口から滴り落ちる水はごく微量。ひっそりそちらのにおいも嗅いでみる。こちらからはただ水のにおいだ。が、蛇の口から落ちる雫の量はあまりに少ないため、問題の生じているのが溜まっている方だけなのか、元の方からなのかは皓月にも判別がつかない。


 巫澂の様子を窺う。彼は何か思う所があってか、玄武像を調べていた。


「この神像に、何らかの術の痕跡がございます。詳しく調べてみなければどういった術かはわかりませんが。すでに祝文は火にくべてしまった以上、儀式は続行しなければなりません。解決するには皇太子妃殿下のお力が必要です」

「わたくしの?」

「皇太子妃殿下は白虎の守護をお持ちですね」

「そうでなければ皇子の身分はいただけません」

「わたくしから詳しくは申し上げられませんが、この水は大地に眠る玄武の力を集めた神水です」

「玄武の。……成程。仰りたいことは分かりました」


 皓月は玄武像の背に触れた。その指先から、手から、腕から全身を仄白い光が炎の様に立ち上る。


 “金は水を生ず”。そもそも皓月が今回司水の役を命じられたのもそれが理由だった。こうなることを見越していた訳ではなかろうが。


 ごく微量にしか落ちていなかった水が、にわかに勢いを増してどっと溢れた。

 

 余りの勢いに、筒を持つ手が震えた。縁に落ちた水が跳ねて皓月の衣を濡らす。斟んだ水にまた葉をつけてみる。今度は問題無く、寧ろ葉も青青として、生命力を取り戻したようにも見えた――。



 

 くして、無事神水を斟み、皓月たちは皇宮に帰還したのだった。

 確認を終えた巫祥が、中へ皓月達を案内する。進んでいくと、青龍廟の前には、大臣達が列を連ね、最奥で皇帝が待ち構えていた。


「皇太子妃、戻ったか。大儀であった」


 見ているようで見ていない、例の目でそう労うと、稽首を解くように促された。


「これが我が国の霊木だ」


 四方を囲われた巨大な一木を指して、皇帝が言った。下から見上げる皓月からでは、その頂点を極められぬ程に高く、どっしりと聳えている。その威容に、思わず皓月は言葉を失い、圧倒された。


「これが……」


「斟んできたのはそなた故、そなたの手で注ぐといい」


 反応に困って巫澂に目をやると、巫澂は小さく頷いた。


 皓月は、神水を用意されていた盆に移し、指を浸して霊木に振りまく。銀の輝きを放ちながら霊木に降り注ぐ神水を受けた霊木もまた仄かに光を帯びる。


 と、見る間に青青とした葉が枝から次々に伸び、大きな茂みを作り出す。


「……これは……!! ……まさか……」


 戸惑いにも似た驚きの声が、口々に大臣達の口から漏れた。


「……流石は玄武の神水。これほどの力とは」


 そう言う皓月を、すぐ後ろに立つ巫澂が無言のままに見つめているのに、彼女は気付かなかった。

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