紀第六 声はなくとも
第二十三
「まこと美しい衣ですわ。これが彼の有名な、浩の“
斟の儀から
皓月は颱から伴ってきた侍妾達と、東宮の
そこへ、勅使がやってきて、斟の儀成功の褒美にと豪華な絹を置いていったのであった。名の通り、雲霞の如き柔らかな白から深みのある藍へとなだらかに色が変わっていくように染められており、地には雨を思わせる織りが入っている。そこへ、銀糸で幾つもの花紋が刺繍され、それらが組み合わさってさらに大きな花の柄を描くという、非常に凝った作りだ。近くから見ると銀糸が繊細優美な風情だが、遠くから見た方がより美しく見える。――対象から離れることによって、却ってそのものの美点を近く引き寄せるものだ、という寓意を含むという。また、龍を描かずして国の守護たる龍を想起させる、雲や雨をあしらったこの絹は、下賜される品の中でも最上級のものと言って良い。
斟の儀のときに発覚した、玄武の神像に施された術については
東宮に帰還した皓月は毎朝、巫澂の講義を受けては課題をこなし、合間に他の妃嬪や侍妾達のお茶の誘いを受けつつ、地味に繰り返される嫌がらせや、その度合いをやや逸脱したあれこれを処理していた。そうしているうちに、瞬く間に時は過ぎた。
東宮内の、皓月とは別の建物に住まう三人の
因みに侍妾とは、他国の皇族や士族に嫁ぐ際に、正妃と同じ一族の女子から選ばれ、一緒に嫁ぐ側室のことだ。
「皇太子妃殿下とご一緒でなければ、とっとと颱に帰っておりますわ」
そう言うのは、侍妾の一人、昔から気心の知れた
燕支は他の二人とは違い、皦玲の代わりに皓月が嫁ぐことが決まってから母皇が皓月とともに浩へ行くように命じた。颱から連れてきた側仕えの者以外では、入れ替わりを知る、数少ない人物である。幼い頃から親しい燕支まで欺く自信は無かったし、彼女なら協力してくれると確信していた。皓月が行くなら、と二つ返事で了承してくれた、ありがたい存在である。
彼女を含む侍妾達は、三人で
なお、他の三皇子の妻は、浩の属国の姫君が殆どである。そんな中、皇子たちの妻で、侍妾などというご大層なものを連れてきたのは皓月位だ。正直皓月も、三人も要るか、とは思った。
だが、担当の者に「国威のためです」と言われてしまえばそれ以上言い募る気にはならなかった。
相手は浩。長い因縁の相手だ。一体、どんなことに難癖を付けられるか分かったものでは無い。故に、基本的には古式の礼法に則って此度の婚儀は調えられた。
「そんなに酷いの?」
「昨日も素敵な贈り物をいただきましたわ。――ねえ?」
燕支の声に、他の侍妾達も、一人は苛立たしげに、もう一人は不安げに頷いた。
「官女達は」
「皇太子宮に元からいる者達は問題ありませんわ。問題は、……追加で皇宮から来た者達ですわ。後宮の妃嬪達か、官僚やらの息が掛かっているに違いありません」
ふんわりとした口調で言って、燕支は皓月から受け取った香炉から立ち上る香りを聞き、その横に渡した。颱で盛んな聞香の遊戯の一つである。主催者が、ある主題に沿って用意した数種類の香を、参加者が順に聞いて詩を作り、その優劣を競うというものだ。詩の評価は、それ自体の出来ももちろんだが、香との調和、主題への理解などの観点から総合的に評価する。
官女たちが、受け取った詩を、誰の作かを伏せた状態で朗誦する。主催者と参加者全員が、それらの詩の優劣で順に点数をつけ、最も点数が高かった者が勝ちになる。なお、同点者が居る場合は主催者の評価が高かった方が勝ちとなる。
「颱ではこのような優雅な遊戯が盛んなのですね」と、これには教養高い浩の官女達も興味を引かれたらしかった。
燕支が三勝、残りの二人がそれぞれ一勝したところでお開きの詩を主催の皓月が詠じ、散会となった。
「――詩の雰囲気が変わりましたわね、
すれ違いざま、ひっそり耳元で燕支が零していった。詩はその人のものの見方が如実にでる。“皓月”が出過ぎてしまっているから気をつけろ、ということだろう。宴などで公式に詠じられたものは記録として残り、写されて出回る。
皓月が過去に詠じた詩も、数は少ないが皦玲が詠じた詩も。
燕支以外の侍妾は、皓月とも皦玲とも関わりの浅い者達だ。さりとて、余りに雰囲気が違いすぎれば入れ替わりを疑われる。
修練が足りないな、と気を引き締め直して皓月は池の方へと出た。
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