第三十七

 急な問いに、巫澂は少し驚いたようだった。その肩が跳ねる。

 先日の品茗会で王妃たちが言っていた。

 皇太子殿下が千秋紅を掬花にお贈りになった、と。

 何度考えても、思いつくのは、昏礼の翌日に官女達が皓月の髪に挿してくれたあの花だけだ。恐らくあの花の名が「千秋紅せんしゅうこう」というのだろう。

 では、“掬花”とは何か。

 女官達は言っていた。

 新床における浩の風習だ、と。


「……我が国では、婚儀を古くから“昏礼こんれい”と書くことは以前申しましたね」


 ややあって、巫澂は口を開いた。心なし、何か葛藤しているような声音に聞こえた。


「ええ。新月の日の黄昏夕方から行うからと」

「月は死と再生の象徴です。昏礼の夜を以て新婦の魂は一度死し、婚家の者としてあしたに生まれ直す、そういった意味がございます。人の魂は髪に宿ると申します。一度死した新婦の魂を呼び起こすのは新郎の役目です。そして、その目覚めた魂を髪につなぎ止めるのが掬花です。正式には“掬魂花きっこんか”と申します」


 異国人である皓月からすると、なかなかにぞっとする風習だ。

 勿論本当に死ぬ訳ではない、あくまでも象徴的な死、ということなのではあろう。王妃たちの言葉からすると、そういうことに胸をときめかせるものなのかもしれないが。仮にこれがもし贈られていなかった場合はどうなのだろうという疑問も湧く。


「その花に千秋紅を選んだ、というのは?」

「……掬花にどの花を選ぶか、というのは新郎自身に委ねられています。その季節の花を選ぶ場合もありますし、無論、先程申しましたように何かしらの……意味をもたせることもございます」


 とすると、妃達が「素敵」と言い、「深いお心」などというのも、“千秋紅”の持つ意味そのものにあると言うことだろう。


 名にある“紅”とは花の色そのものであろう。

 ならば“千秋”とは? 

 すぐに思いつくのは詩にうたわれる「一日見ざれば三秋の如し」から転じた“一日千秋”の語。ある物事や、人が早く来てほしいと願う情の強さを言い表す言葉だ。

 つまり、この場合ならば“皦玲きょうれい姫”を待っていた、という意味にとれなくもない。

 が、いやいや。そんな筈はない。

 それならこんな風に放置していない筈だ。

 気を取り直し、背筋を伸ばし、皓月は更に尋ねた。


「この花の意味とは、何なのです?」

「それは、先程の書物の中に。――お時間ですので、本日はこれにて失礼いたします」


 口調はあくまでも落ち着いてはいたが、いつになく、その言葉と言葉の間隔が速いような気がした。

 これ以上の説明を避けるようでもある。


 巫澂が帰った後、彼に渡された『萬花草木圖彙ばんかそうもくずい』なる本を携え、皓月は再び御苑へ向かっていた。


 ある程度、実際に花を見ながら確認するのが手っ取り早いと思ったのだ。

 無論、……題名から察せられる通り、御苑にあるものも、ここに記載されているもののごく一部ではあろうが。凄まじい情報量である。


「颱の皇女が、こんな場所に何用か?」


 顔を上げると、斟の儀の時に突っかかってきた喬将軍きょうしょうぐんだった。恫喝するような口吻は、並の女人なら思わず泣き出してしまいそうな程だったが、修羅場を幾つも切り抜けてきた皓月には通用しない。


 歴戦の将の眼光をまともに受け止めている皇太子妃を見て、倒れてしまうのでは、と門衛達が心配そうに皓月の様子を窺っていることにも、気付いていなかった。


 殺気を帯びた目を向ける将軍の横を、皓月は無視して通り過ぎようとした。が、肩を押さえられて足を止める。無礼な、と叱りつけそうになったがすんでのところで止

めた。


「無礼者!! 妻でもない女人の体に斯くも気安く触れるとは」


 皓月の代わりに、傍に控えていた阿涼が前に出て鋭く咎める。真っ直ぐに喬将軍を見返す阿涼の目は、侮りを寄せ付けない迫力がある。


「不審者から皇族をお守りするのが我らの役目だ」

「皇太子妃殿下が浩の皇族に名を連ねているのは皇上がお認めのところ。喬将軍は皇上の御意を何と心得ていらっしゃるのです?」

「たかが女官風情が、俺に口答えするか」


 ぐっ、と皓月の肩を押さえる手に力が込められる。


「阿涼。いいわ。行きましょう。わたくしはただ御苑の花を見に来ただけですもの」


 皓月の声とともに、突風が喬将軍目がけて吹きつける。前触れも無く吹き荒れた激しい風に気を取られ、喬将軍が手を離したところで、皓月はまた歩みだした。阿涼が続く。


「腑抜けた皇太子と蛮族の皇太子妃が。――今に化けの皮を剝がしてやる」


 前回同様、またしても捨て台詞を残して喬将軍は去って行った。皓月はやれやれと息を吐く。とことん直情的な男である。


(それにしても……わたくしに悪意を向けるのは理解できるが、皇太子まで悪し様に言うとは)


 浩の朝廷も複雑である。

 皇后亡き今、これといった後ろ盾のない皇太子では仕方ないのかもしれないが。


 阿涼を門の近くに休ませておいて、御苑に入る。中は深閑として、皓月の他、誰も居ない。花々を辿り、奥へ奥へと進みながら、他の人間の気配が無いか窺う。……この間のようなことは、二度と御免被りたい。


 幸い、今日は他の者の気配は無いようだ。


 一つひとつ、じっくりと見ていくと、最初に来たときに思ったよりもずっと多くの種類の木花が植えられていると気付く。


 皓月は書物を開き、まず“千秋紅”を探した。季節毎に分類された草花の図は、美しく彩色されている。


 知の集積を担う巫官たちが属する承命宮しょうめいきゅうで管理しているものの一つであろう。咲く季節毎に並んでいるらしく、千秋紅は名の通り秋の花だという。昏礼は春であったから、季節の花だから選んだ、ということではないのは明らかだ。


 寧ろ、皇太子はこの花をどうやって手に入れたのだろうか。

 この花でなくてはならない、明確な理由があったということだろう。名の由来は、概ね皓月が想像した内容で合っているらしく、皓月を困惑させた。――が。


「……は?」


 その花の持つ意味の項を読んだ皓月は、予想外の内容に、再度眉を顰めた。


(あの皇太子、本当に一体、何を考えて――)


 動揺のあまり、書物を閉じた皓月だったが、その拍子に間に挟まっていた紙片が風に巻き上げられた。

 一体なにが挟まっていたのかは分からないが、思いがけず高く飛びあがったそれを追う。



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