第四

 ばったりと勢いよくしんだいへと倒れ込んだ皓月こうげつは、深く深く息を吐く。


「姫、おつかれー。大変だったね」


 軽やかな声でそう言いながら現れたのは、皓月が擁する諜報集団“影”の一人、しんである。


「素晴らしい歓迎だったねえ。短気な姫がよく耐え抜いたなーって。偉い偉い」

「うるさい」


 歓迎されていないのは先刻承知。これまでの両国の関係を考えれば、熱烈に歓迎される方が嘘くさい。と、それなりに覚悟して赴いた祝宴だった。正直、不愉快過ぎて、大いに愉快だった。


 夫婦で行うと聞いていた天地や父母への拝礼を、皓月は一人で行った。それぞれに含むところありげな浩の皇帝と、不在の皇后の代理として立つ周貴妃の視線。周囲の花嫁に対する侮り、軽んじるような雰囲気は隠しきれない程であった。


 正直、こんな婚儀が婚儀として認められようとは思いもしなかった。

 自分は一体誰と婚姻を結んだのであろう。

 皇族の婚姻とは国同士の結びつきという意味合いが強い。とすればこれは、まさしく皓月と浩国と、ということであろうか。

 全く笑えない。

 

 これからの事を考えるべきだ、とは思いながらも、意識は先程まで参加していた、宴へと引き戻される。




「――颱の皦玲姫きょうれいひめは類い稀なる琴の腕前をお持ちとか。ご披露なさっては?」


 恥を必死で耐え忍んだ“昏礼”の後に始まった宴。


 その宴の中で、皓月にそう言ってきたのは、周貴妃であった。皇族が宴の様な公の場で舞楽を奏することは、浩では礼法上、あり得ない。

 それは婢妾ひしょう娼妓しょうぎの役割であった。特別な祭祀で神に献上する舞だけは例外だが。


 颱の皇女として、皇太子の正妃として、皇后や皇子達同様、「殿下」という尊称を特別に認められたこちらとしては、受けてはいけない申し出である。

 だが、受けねば角が立つであろう。颱にはそんな礼法などないので、皦玲が宴の席で琴を奏でることはよくあった。


 しかし、今、ここで受ければ、浩における颱の皇女としての立場を自ら失うことになる。とはいえ、先に礼法に反したのは周貴妃である。


 舞楽を披露するよう言うことは勿論、「皇太子妃殿下」と呼ぶべきところを「皦玲姫」と呼んだ。皓月の配下達が時に親しみを込めて「姫」と呼ぶのとは意味が違うのだ。――と、その後の顛末を思い出して、皓月は小さく息を吐いた。




 歓迎されるとはもとより思ってなどいなかった。

 が、夫となる皇太子と一度も会わないまま婚姻を結ぶ事になろうとは、流石に予想外である。


「で、どう? 見事に全部すっぽかされた気分は。いや~ホント、姫相手に凄いよねえ」


 茶化した言いように睨み返すと、「おお怖」と身震いするふりをかましてくる。


「そもそも、姫にこういう役回りが向いてるとは思わないけどねー」


 それは皓月自身、自覚のあることではあった。が、母皇にやれと言われた以上、拒否は出来ない。


「何か、分かったことはありましたか」


 にっこりと微笑み、皦玲の口調で言うと、慎は顔を青くして「きもっ」と口走った。ただでさえ苛々していた皓月は、その口を切り裂いてやりたい衝動に駆られた。


 浩との縁組みがもたらされてから、皓月は以前にも増して、浩の情報を念入りに集めていた。主要な人間の外見的特徴、性格や人間関係はほぼ頭に入っている。


 例えば、第二皇子の妃と第三皇子が人目を忍ぶ仲だとか。

 それを知る第三皇子の妃が嫉妬に怒り狂っているだとか。

 当の第二皇子は変わり者で、そんな醜聞を知ってか知らずか、何処吹く風で、貴妃が怒り心頭だとか。

 これも、慎をはじめとする優秀な皓月の影達のお陰である。


 本当は、少しでも皦玲の役に立てば良いとの思いからであったが。結果として皓月の役に立っている。皮肉なことだ。


「……やっぱり本命がねぇ。全然出てこないんだよねえ」


 皇帝や貴妃を始め、世継ぎ候補と目されていた、皇太子以外の三人の皇子。彼らの情報はそこそこに揃ってはいたが、肝心の皇太子の情報だけが殆ど無い状態だった。


 分かっていることといえば――姓名を水適すい・せき、字(呼び名)を璧志へきしといい、年は二十七。

 今は亡き皇后の生んだ皇子であるということ。――そして、


「街でも聞いてみたけど、やっぱり有名みたいだねえ。皇太子殿下がだっての」


 そうなのである。

 この皇太子殿下、生まれて以来このかた行方不明だったのを、何年か前に皇帝が連れてきて皇太子に指名したのだという。


 が、皇太子として入宮する以前、どころか以後の情報も、皆無なのである。


 皇太子ともなれば、様々な宮中の儀式・儀礼に参加する義務がある。

 ところがそういった場に、一度たりとも出てきたことがないというのである。

 それでよくも皇太子で居続けられたものだ。皇帝がそれを許しても、これだけ皇族が多ければ周りが黙ってはおるまいに。


 皇太子の住まいである昇龍宮には、日々決裁すべき書類が持ち込まれ、確かに決裁されて出てくるらしい。

 だが、その姿自体は全く見えない。

 おまけに、皇太子の居所は、皇宮内でも随一の警護の厳重さで、皇帝の御寝にすら難なく忍び込む慎にさえ、未だ忍び込むことを許していないというのだから驚きである。

 ここまでくれば、間違いなく、皇太子には重大な秘密があるに違いない。

 それは一体、何か。


「俺から見ても、ヤバイのがいるからね。姿は全然見えないんだけどさ。――もしかして、あれが浩の青龍ってやつなのかな?」


 慎にそう言わせるほどなので、余程だろう。


「そうですか……下がりなさい」

「はーい」


 軽く応えた慎の気配が遠ざかる。


 軽く息を吐き、婚礼の時よりは幾分ましではあるが、それでも十分に重たい衣を脱いだ。生地からして違うのだろうが、浩の衣服は重すぎる。


 しんだいに就こうとして、また先程の紅い花が目に留まった。


 なんだか無性にムカムカして、その花片を床に払い落として横になった。

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