第13話 長門方面

 豊前・小倉。

 松平忠直ら九州勢も今、この場に顔を会わせていた。

 細川忠興、黒田長政、鍋島勝茂、島津家久、田中忠政、毛利高政といった面々である。

 小倉城の二の丸において、最終確認が行われていた。

「毛利秀元については主力をわしと細川殿で引き受けて、別動隊を萩方面に向かわせたいと思う」

 松平忠直の言葉に、細川忠興が頷いた。それにつられて、他の者も頷いた。

「毛利秀元が強い、とは思わぬのだが、何かと不気味なところがあるゆえな」

「承知いたしました」

「萩よりも徳山から広島を突いた方が良いのではないでしょうか?」

 と尋ねるのは田中忠政。これに対して、島津家久が笑いながら答える。

「田中殿は、ご自身降伏しておきながら、毛利に対しては降伏の余地を与えとうないと申されるのかな?」

「…どういうことだ?」

「他が戦っている中で、我々が広島に進軍すれば、毛利は死ぬまで戦うことになろう。他も踏まえて、萩・岡山・姫路と占領していけば毛利も戦いようがないではないか」

「…ああ、そういうことでございますか」

「大要としてはそういうことじゃ。できることなら、毛利に死ぬまで戦わせたくはない。面倒だからな」

「…吉川広家も勝てないと判断すれば、交渉に来るかもしれませぬし、な」

 忠直の言葉を受けて、黒田長政も頷いた。

「そういうことだ」


 長門。雄山城では毛利秀元が、対岸の状況を青い顔で聞いていた。

「遂に徳川が本腰をあげて攻めてくるのか…」

「敵兵は3万ほどということです」

 伝令の報告に秀元が「ひっ」と短い悲鳴のような声をあげた。傍らにいる宍戸元続の顔を見た。商船の騒動を受けて、輝元に要請を出して派遣してきてもらっている。

「元続、どうなるのだ?」

 あまりにも情けない物言いではあるが、元続も状況を知って来ているだけに特別表情を変えるところはない。

「恐らくは広島を狙うものと思われますので、ここ雄山を突破すれば徳山へと向かうことになるでしょう。まずはできるだけ、雄山で時間を稼ぎ、頃合いを見て徳山方面へと撤退していくことが理想と思われます」

「そんなことができるのか?」

「い、いや、できるのかと申されても…」

「わしとわしらの兵に、そんなことができるのであろうか」

 秀元の言葉に、侍大将達も頷いている。

 宍戸元続がげんなりとなった。とんでもないところに来た、ようやくそのことを悟ったような顔つきであった。


 9月11日、徳川軍は小倉を出た。

 対岸の長門側も今回は本物の侵攻だということを把握している。挑発行為などは一切なく、黙って徳川軍が海峡を渡る様子を見守っている。豊前側も同じであり、固唾をのんで見守っていた。

「毛利軍は雄山に籠城しているようです」

 物見からの報告を受けて、忠直は頷いた。

「であれば、部隊を分けるには都合がいい。わしと細川殿は雄山を包囲する。その間に萩を頼んだぞ」

 島津家久、鍋島勝茂、黒田長政らが頷いた。15000の軍勢が北へと向かい、残る12000の軍が雄山へと向かっていく。


 徳川軍の動きがすぐに雄山へと伝わる。

「北へ向かった? 長門制圧に乗り出すのか?」

 徳川軍の動きは、宍戸元続にとっては意外なものであった。

「敵が二手に分けたのを黙って見ているとあっては、武士の名折れでござる。ここは士気高揚のためにも少数の兵士で討って出るべきではないかと?」

 元続の進言に対して、秀元は真っ青な顔で答える。

「そんな少数で出て行って、包囲でもされたら全滅するのではないか?」

「いや、そうならないために少数で出るわけですから」

 もちろん包囲されたらどうにもならないが、通常、少数の兵は機動力があるし、人数が少ない分意思決定も早い。

 …のであるが、秀元やその周りを見ている限り、そうした動きは期待できそうにない。

(よくもまあ、殿はこの人に雄山を任せるつもりになったものよ…)

 元続はあきれ果て、萩の奮闘を祈るばかりであった。


 その萩城を守っているのは毛利秀就であった。

 昨年、秀元と吉川広正とともに戦場をさまよい、敵も味方も翻弄した一人である。毛利輝元が広島に移ったため、萩を任されていた。

 伝令からの情報で萩に進軍してくると聞き、秀就は奮い立っていた。

「今こそ去年の雪辱を晴らす時ぞ!」

 そう言って、敵軍を迎え撃つ準備を始める。

 これに慌てたのが、福原広俊である。かつて、毛利輝元らが内藤元盛を大坂に派遣していたことに反発して隠居していたが、昨年の勝利の後、吉川広家が奔走して復帰していた。

「と、殿。敵軍の方が多勢なのですから、ここは籠城をして時間を稼ぐべきかと」

「何!? ここは我が長門であるぞ! それなのに負けるような物言いは何たること!」

「長門であるからこそ、無用な失敗が許されないのです」

 広俊は必死に止めながら、どうして吉川広家が必死に自分の復帰を求めてきたのか、その理由を理解するのであった。


「…ということで、敵は萩に籠城していますが、毛利秀就と福原広俊の足並みは乱れているようでございます」

 切支丹の領民などを通じて、状況が黒田長政のところへもたらされる。

「ということらしいが、どうしたらいいだろう? 島津殿?」

 島津家久に尋ねた。

 この軍勢、当初は「一番の大身であるし」ということで島津家久を総大将にしようとしていたのであるが、家久が「わしは故あったとはいえ一度徳川に弓引いた者である。黒田殿がふさわしい」と辞退したため、長政が総大将ということになっている。

「敵の足並みが乱れているのであれば、それを浮き彫りにできればよいのではないですかな」

「…それはつまり、毛利秀就を挑発するということかな?」

「しかり。ああいう馬鹿大将は簡単に釣れるのではないかと」

 長政と家久は顔を見合わせ、どちらともなく「フフフ」と笑い声をあげた。


 それに先駆けて、早くも松平忠直と細川忠興の軍は雄山城の包囲を開始した。

 雄山の兵は8000ほどであるから、籠城をするには多い。

 宍戸元続がそのことを指摘すると。

「ならば、多い兵士は徳山に派遣しよう」

 元続が思わず声をあげる。

「は? …いや、どうせなら萩に向かう徳川の方を後ろからつつくなどした方がよいのでは?」

「わしの兵士達にそんな器用なことができるはずがない」

「…広島に向かわせるようにいたしましょう」

 元続はこの場にいない毛利輝元や吉川広家に「何故こんな連中を最前線に置いていたのか」と抗議したい気持ちを必死に押さえていた。


 2000ほどの兵士が広島へと移動していき、6000の兵で雄山城に籠城する。

 雄山城は串崎城とも呼ばれることがある。かつて、元寇の際に討ち取ったモンゴル兵の首をこの周辺に埋めたことからついた名前と言われていた。

「そうした物騒な名前もあるところではあるが…」

 忠直が城を見上げる。小型の城とはいえ、力攻めで落とすには骨が折れることは明白であった。

「正直、わしらはひとまずここで他の結果を待つだけじゃ。平和なものよのう」

「確かにそうですな」

「筑後川でもそうだが、わしにとっての戦というものはすっかり変わってしまった。わしがやることはただの作業になってしまったのに、負けた時の責任だけは大きくなる。祖父はようこんなものを我慢していたのうと今更になって分かってくる」

 忠直の言葉に、忠興は「左様でございますな」と苦笑しながら応じた。

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