第5話
政宗は午後には東軍陣営へと戻り、諸将の居並ぶ中で真田幸村とかわした停戦内容を伝えた。了解している者は少なく、多くの者は納得できない表情をしている。
「…この停戦、信じてもよろしいのでしょうか?」
昨日までは激しく敵味方で争ってきた間柄である。しかも、停戦とはいっても伊達・真田の間でかわしたものであり、停戦を保証する権威ある第三者がいるわけでもない。その内容を信じていいのかについては当然疑義も出てくるし、政宗に楯突く者も出てくる。
「信じぬというなら、それでも結構」
しかし、政宗は全く意に介さない。
「信じる者は次に向けて動くといい。信じたくないというのであれば、わしは無理に信じてほしいなどとは言わぬ、各々方で勝手になさればよろしい」
「む…」
反対していた者もそう言われると言い返せない。家康と秀忠が死んだという緊急事態にあって、時間を無駄に費やすことはお家の存続にも関わる話である。不承不承、諸将は次に向けての行動を考え始めた。
多くの大名は、従軍している者達は国許に帰国し、自身は江戸に、というものであった。徳川家の次の動きを早めに知っておきたいし、次の当主にいち早く挨拶をしておきたいという思いがある。
しかし、迷っている者も少なくない。特に九州北部の三人は苦悩していた。
細川忠興と黒田長政、鍋島勝茂である。それぞれ、小倉、福岡、佐賀を治めている。
彼ら三人に共通しているのは、「なるべくなら江戸に向かいたい」である。しかし。
(わしが不在の間に何かが起きるかもしれない…。動くとするならば島津と加藤。特に島津は危険だ)
三人は南九州からの脅威を無視することはできない。
関ケ原の戦いで成り行きから西軍に属し、敗戦濃厚となった段階から敵中突破という大胆な策で逃げ帰り、西軍に属したにも関わらず領土保全となっている薩摩大隅の島津家。
豊臣秀吉の股肱の家臣である清正の息子忠廣をはじめとし、豊臣譜代の家臣が大勢残っている肥後の加藤家。
この両家は共に家中の争乱があったということで、大坂には来ていない。
ただ、家中の争乱とはいっても、それはあくまで徳川家が天下を取る前提での争乱である。全く事態が変わった今、家中がずっと争っている保証はない。その場合に、特に島津が大人しくしている保証はなかった。
(とはいえ…)
どちらがより重要かと聞かれた場合には、江戸での動向となるのが自然であった。いくら島津や加藤が信用ならない相手とはいえ、挙兵するかどうか未知数であるし、挙兵したとしても一年や二年で九州全土を統一することは至難である。
(徳川家の情勢さえ決まってしまえば、少なくとも九州で大きな動乱が起きることはないだろう)
三人はそう考え、最終的には名代を国許に送ることにし、自身は江戸へと向かうことにした。徳川家の後継問題が、九州の問題に優先すると考えたのである。
これは結果として裏目に出ることになるのであるが、それが判明するのは今しばらく後のことである。
一方、政宗はその日の夕方、家康の首が届くのを待っている一方で、松平忠直の陣へと足を運んでいた。
「これは、これは、伊達殿…。戦時中ゆえ、このような恰好で失礼いたす」
本人自らがそう断ったように、忠直は甲冑をつけたまま陣にいた。停戦もなり甲冑を外して正装姿の政宗は仰天したし、一瞬、自分を切りつけてくるのではないかという恐れも抱く。
「越前のガサツ者ゆえお許しくだされ」
とはいえ、忠直の表情には敵意のようなものはない。これまで聞いている忠直についての話から謀殺という手段をとってくる男とも思えないので、政宗も気を取り直す。
「昨日は、見事な奮闘でございました。おかげでこの伊達も含めた多くの東軍諸将が救われ申した。この政宗、礼を申し上げます」
「何の、たいしたことではございせぬ。それがし、冬の陣ではいくつか失敗もしており、祖父からも叱られていたゆえ、その一部を取り返したまでのこと。伊達殿から礼を言われるほどのことではございません」
「越前様」
政宗が一歩詰め寄ってくる。
「今後のことについて少々お話が」
「何でござろう? 江戸では忠輝殿の味方をせよとでも?」
忠直の率直な言葉に政宗が小さく咳払いをした。
「それはどのような意味でござろう?」
「どのような意味もこのような意味も、伊達殿は忠輝殿を次の将軍にしたいのではないのか?」
「これは異なことを。上総介様が将軍に、となるのであれば筋目的には越前様の方が先でござらぬか?」
政宗は鋭い目つきで答えた。
(この若造が何を考えているのか、絶好の機会じゃわい)
忠直は大声で笑った。
「ハハハ、確かにそういう見方もできるのかもしれませぬな。しかし、それは現実的な話ではないでしょう。それがしとしては、別に忠輝殿がなろうが、竹千代がなろうが、気にはならないことでござる」
「…?」
「正直申して、それがしにとっては徳川家を誰が継ぐなどということはどうでもいいことでござる。我が父ですらなれなかったものを、それがしがなれるとはとても思いませぬゆえ自分がなろうとは思ってもおりません。では、誰がいいかと言われましても、秀忠公には恨みもございましたが、竹千代や国松まで恨むつもりにもなれませぬし、無論忠輝殿でも一向に構いませぬ」
「……」
政宗は絶句した。
もちろん、忠直が徳川秀忠に対して複雑な思いを抱いているということは知っていたが、ここまで宗家に対して冷たい考えを持っているとは思いもよらなかったのである。
「そうでございますので、勝手に決められればいいのではないかと思います」
忠直はそう言うと立ち上がり、後ろを向いた。政宗が視線を移すと、こちらにも着替えた武者達が数人、慌ただしく動いている。
「この物々しい動きは何でござろう? 怪しまれるのではありませんか?」
政宗の指摘に忠直はニヤッと笑う。
「これは異なことを申される。伊達殿が停戦を決めてきたので越前に帰国しようというまでのこと。何故止められる必要がありましょうか?」
「い、いや、それは大御所の首が返還されてのことであり…」
「それがしには関係ござらぬ」
忠直はきっぱりと言った。
「先程、真田殿との間に話がついたと申していたのは伊達殿でござろう。それがしはそれを信じて行動するまでのこと。他の者ならともかく、話をつけてきたという伊達殿に文句を言われる筋合いはござらぬ」
「む…」
政宗は返事に窮した。確かに忠直の言う通りである。
「仮に伊達殿が真田に謀られたのだとすると、そうだとしてもここから先は忠輝殿や竹千代かは分かりませんが、徳川家の戦でございます。それがしには関係がございませぬ。しからば、ご免」
忠直はそれ以上、話をするつもりはないとばかりに下がろうとする。政宗は一瞬呼び止めようとしたが、そのまま行かせた。
(うむぅ…。わしに対してこの態度をとるということは、本当に徳川家についてはどうでもいいと考えていそうだな…。一門の中の重鎮であるはずなのに、何と無責任な…)
そう思いはしたが、いないのならそれで対立候補が一人減るのも確かである。
(まあ、予想以上に相手にする必要がなさそうだということが分かったのは収穫か)
馬鹿にされたような思いはあるが、そう考え直し、政宗は自分の陣地へと戻っていった。
真田幸村の使者が徳川家康の首をもってきたのは、程なくのことであった。
政宗を相手にしなかった忠直は、そのまま帰国準備を続けていた。
「申し上げます。井伊様が来られました」
伝令が入ってくる。忠直は溜息をついた。
「今日は来訪者が多いのう」
徳川四天王井伊直政の息子直孝は忠直よりは五つ年上である。庶子ではあるが、「家康の隠し子ではないか」と噂が立つほどの厚遇を受け、江戸で将来の徳川政権の幹部候補生としての教育を受けてきた。徳川中枢から遠ざけられた忠直とは対照的な立場の違いがあるし、性格に軽いところのある忠直と、実直一筋の直孝と性格も全く違う。しかし、この二人、個人としては不思議と馬が合っていた。
理由の一つには前年の冬の陣で二人揃って真田幸村が籠る真田丸に攻撃を仕掛けて自軍に大損害を出したこともあった。本来ならば叱責のうえ帰国を命じられても不思議ではない失態であったが、「秀康や直政の息子であるから、激しい気性もあるだろう。若者は少々粗忽なくらいがちょうどいい」と家康から不問に処されたのである。お互い、「今度は汚名を返上しなければならない」と意気込み、失敗した者同士色々相談することもあったのであった。
その結果として、忠直は敗戦したとはいえ昨日の戦いで家康死後の真田・毛利隊を止めた功績をあげることができた。直孝は直接称賛を受けることはなかったものの、忠直の支えとして小さくない貢献があった。
そんな仲のいい直孝であるが、忠直自身は既に政宗と話をして疲れている。仲がいいゆえに、断ってしまおうと考えた。
「今、少々腹具合が悪いのでできれば明日で…」
そう言って追い返そうとしたのであるが。
「立花様もお出ででございます」
「うっ」
二人目の名前を出されて、忠直はうめき声を出した。
「…分かった。通してくれ」
前日の二人の奮戦には続きがあった。
真田・毛利隊の攻撃を止めるところまでは、二人の若者ゆえの思い切りの良さが奏功し、その進軍を阻むことに大きな貢献をした。しかし、その後、伊達政宗を筆頭に東軍が安全な場所まで下がるとなった時に、二人は殿という難題を背負うことになったのである。
ひたすら止めに入る、前に進むことはできる忠直と直孝であったが、退却の場面で正確に自軍を助けるよう部隊を動かせるほどの経験はない。前回の失敗は優勢な状態であったので被害を出しただけで済んだが、殿という局面での失敗は全軍崩壊という結果に直結しうる。迷った二人の目に、たまたま近くで小勢を率いて転進しようとしている立花隊の旗が目ら入った。
(東の本多忠勝、西の立花宗茂と称された人ならば…)
忠直はそう考え、直孝に。
「我々では無理だ。立花殿に任せよう。掃部は立花隊に駆け込み、指揮を仰いでくれ」
と主張したのである。
徳川の親族筆頭である越前藩の忠直と、譜代筆頭でもある彦根藩の直孝。この二人が歴戦の猛者とはいえ小大名の立花宗茂に指揮を仰ぐというのは恥と言えば恥である。しかし、二人とも「これ以上、無謀な失敗はすまい」という意識があったし、結果として、その決断のおかげで松平・井伊隊が防波堤となれたのである。
その恩があるし、前日の指揮を間近で見ていて「さすがに立花殿、素晴らしい人だ」と単純に尊敬の念も抱いていた。直孝はともかく、宗茂を追い返すのは失礼にあたると思った。
忠直が了承したので、伝令はすぐに二人を迎えに行った。程なく直孝と宗茂が入ってくる。
「越前様、随分物々しいですが、何をなさるおつもりですか?」
仲がいいとはいえ、譜代と家門大名とでは格が違う。直孝は忠直に対してへりくだった口調となる。
「う、うむ。帰国しようと思って、な…」
「帰国?」
「ほら、そろそろ大坂の真田殿から祖父の首も送られてくるだろう。停戦が発効するから早く越前に帰ろうと思ったわけだ。掃部も早く彦根に戻る準備をした方がいいぞ。立花殿も帰国準備をなされては? 棚倉は遠いでありましょうし」
直孝に対しては上からの口調だが、その年齢、経験と威厳の差もあってか宗茂に対しては丁寧な口調になる。
「いえ、それがしは小勢ゆえ、どうとでもなりまする」
「そ、そうでございますか」
宗茂の言葉は短いが、これまた威厳の差か、忠直が気圧されたようになる。
「…首の返還がないのに帰国準備をされることについては感心できませぬが、やむをえぬので了としましょう。越前様に伺いたいのは今後のことでございます」
直孝が再び切り出した。
「今後?」
「はい。停戦が成立した以上、まず徳川家の次の当主を決めなければなりません。それについての越前様の見解を伺いたく」
「ああ、それか。先ほど伊達殿にも言ってきたが、正直誰でもよい」
「…は?」
直孝が唖然と口を開く。宗茂は直孝ほど動揺していないが、僅かに眉根が険しくなる様子が忠直に感じられた。
「血筋を重んじるなら竹千代であろうが、こういう緊急事態であるから若年の竹千代ではままならぬという見方もあろう、それなら上総介でも構わないのではないか?」
「な、な…」
「…何だ?」
「何ということを申されますか!」
三町は聞こえようかという大声で直孝が叫んだ。
「伊達政宗めは上総介様を操って、徳川家を牛耳ろうと考えているのでございますぞ! 越前様はその第一の防波堤にならなければならないお方、そのお方が『正直誰でもよい』などと申すはどういう了見でございますか!?」
「いや、そんな大声だと伊達殿に聞こえるぞ…」
「越前様!」
「うわぁ、そんなに怒らなくてもいいではないか。本当にどうでもいいことなのだし」
忠直は改めて直孝の実直ぶりを理解する。
「掃部の立場は分からんでもないが、わしにもわしの立場なり考えがある。わしは本心からどうでもよいと思っているのだ。だから、越前から動く気もない。老中連中や女連中にあれこれ言われるのもまっぴらごめんであるしな。こればかりはいくら掃部の頼みでも聞くことはできん。分かってくれ…」
「越前様…」
忠直が言い切ったことで、直孝は意気消沈したようにうつむいた。
これで何とかなりそうだ、と考えたところに宗茂が口を開く。
「越前様、それがしからもお願いいたします」
「立花殿…」
「それがしは前将軍様には恩がございます。前将軍様の後継者決定がなおざりにされるのは何とか避けたいのです」
「…恩と申しますが、立花殿はむしろ我々徳川家によって、九州の所領を没収されたのではなかったでしょうか?」
立花宗茂も関ヶ原では西軍についており、そのために柳川十三万石を没収されたことはよく知られているところである。その後、徳川秀忠が宗茂の武勇を惜しいと思い、旗本として登用し、その後棚倉の領地を与えて、大名として復活できたものの、実質十万石を損したことになるのではないか。忠直はそう思っていた。
「それとこれとは違う話。それがしは前将軍様から多大な恩を受けたと考えております…」
「うむむむ」
忠直は唸った。直孝については気にするところはないが、宗茂に対して「嫌なものは嫌だ」と言い切ることは抵抗がある。
しばらく思案して、忠直は首を落とした。
「承知しました。越前に戻った後、江戸に向かうことにいたします」
「そこまで越前に戻りたいのですか?」
直孝が嫌味めいた口調で質問してきた。
「掃部、おぬしの言いようだと、まるでわしが越前に遊びに帰ろうとしているかのような言い方ではないか」
「違うのですか?」
「違うに決まっておろう! 忠昌と不在の間の取り決めをしなければならないし、領国でせねばならぬことは山ほどある。常に江戸にいる掃部とは違うのだ」
「それは聞き捨てなりませぬ。まるで私が領国をぞんざいにしているようではありませぬか?」
「違うのか?」
「当然です」
唸りながらにらみ合う二人。宗茂が小さく咳払いをした。
「…し、失礼いたした」
二人とも慌てて座りなおす。
「そうだ、こうしよう」
その時、忠直の頭に妙案が浮かんだ。
「それがしは江戸には向かうが、立花殿を代理に立てようと思う」
「…そんな勝手なことが許されますか?」
直孝が不信を露に尋ねてくるが、忠直は自信満々に笑う。
「ああ、許される。考えてみよ。これからの諸々について上総介が自ら出てくると思うか?」
「…代理で伊達政宗が出てくるでしょうな」
「そうであろう。上総介が代理を使うのなら、それがしが代理を使っても誰も文句を言うまい。それに立花殿が相手となると、伊達殿もそこまで強気には出られないだろう」
直孝は「なるほど」と納得したように頷く。
「…越前様は、時々賢くありますな」
「時々というのは余計だ。立花殿、そういうことでよろしいですか?」
「私はもちろん構いませんが、しかし、本当によろしいのでしょうか?」
「もちろんです。立花殿の決めたことであれば、それがしも納得いたしますので。そうであろう、掃部?」
「…当然でございます。越前様より立花殿の方が間違いはないですから」
「お前は一言多いな」
「越前様こそ」
またしても二人がにらみ合う。今度は宗茂も咳払いで止めることはしなかった。
その夜、越前隊は他の部隊の動きに合わせて帰国を開始した。もっとも早く準備をしていたのに、忠直が延々と直孝と言い合いをしているうちに、時間を無駄にしてしまったのであった。
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