第3話
7月に入ると、駿府城に池田氏が毛利に降伏したという情報が届いてきた。
「何かの間違いではないか!?」
家康・秀忠の死亡以降、大きな驚きを示すことがなかった伊達政宗が久しぶりにうろたえるところを見せる。
「ここ十数年の、厳しめの措置が徳川家不信という形となったのでしょう」
立花宗茂は表情こそ落ち着いているが、表情は暗い。
もちろん、井伊直孝にとっても衝撃的な情報であった。
(一〇〇万石近い勢力を有していた池田家が、最後まで戦うことなく毛利家に下ることを選択するとは)
もちろん、幾つかの不利な要素はあった。徳川と池田は婚姻関係があったが、その関係がまさに二月に絶えたばかりである。その他、池田家内部でも苦しい状況が続いているという情報があった。
しかし、それでも池田家が寝返ってしまうとなると、今後、どの大名家を信じたらいいのか分からなくなってくる。
「伊達殿、これは数か月前の形に戻すという方向性は諦めた方がよいのでは? このままだと、既に戻っている西国の大名達も雪崩を起こすかのように崩れていきますぞ」
宗茂も同じ思いなのだろう。政宗に進言する。
「うむ…」
政宗としても、宗茂の指摘は認めざるを得ないらしく、殊勝に頷いている。
関ケ原以降、徳川はその圧倒的な権威で諸大名を従わせてきていた。諸大名もそれに従ってきていた。しかし、その強圧的なやり方は当然不満も抱かせている。家康・秀忠という二人がいなくなり、権威に従わなくなった者も出てきたし、今後はこれまでの処置に不満を抱いている者などが従わなくなる可能性がある。
「伊達殿、事態は急を要しますが、今は新しい徳川家支配というものが必要となります。ここ一日、二日でその形を考えたうえで、諸大名の了解を得て進めていく方がよろしいのではないかと」
「そうだな、立花殿、井伊殿にもご協力いただきたい」
「ははっ」
直孝も二人に返事はした。だが、一方で二人との差も感じずにはいられない。
(このような状況の時、それがしは何もできない)
直孝は会議が終わると、特に考えるでもなく松平忠直の屋敷へと歩いていた。
池田利隆が姫路に戻って以降、四国や九州の大名は四国経由で領国に戻っていた。今も尚、駿府にいるのは、伊達政宗、立花宗茂、井伊直孝以外だと、池田家の援軍に行くかもしれないという中途半端な形で取り残された松平忠直や譜代大名の連絡役などばかりである。
(今日も女達を呼んで遊んでいるのだろうか…)
近づいていくが、いつものように音楽が聞こえてくることはない。
更に近づくと、屋敷の整理をしている者達が見えてきた。
「これは?」
明らかに屋敷を整理している最中である。
「おお、直孝ではないか。どうかしたか?」
忠直が後ろから現れた。どこかの茶店で菓子でもつまんでいたらしい。爪楊枝を咥えていた。
「それはこちらの言葉でございます。一体どうなされたのですか?」
「うむ。そろそろ出陣も近いだろうと思ったのでな、帰国の準備を始めておったところじゃ」
(何故、誰にも聞かず勝手に決めるのだ、この御仁は)
と思ったが、それを口にしても仕方がない。
「出陣は、一旦なしになりそうです」
「何?」
「池田は毛利に降伏したとのこと」
忠直が「おっ」と声をあげた。さすがに池田の降伏は予想外だったのであろう。
「そうだったのか。確かにそれなら、援軍の必要はないな。しかし、本当の情報なのか?」
「伊達政宗も立花殿も少なからず動揺しておりましたゆえ」
「なるほど、お主はともかく、伊達殿や立花殿は騙されぬからのう」
「それはどういう意味ですか?」
直孝の抗議を忠直は無視して、運び出されている家具などを眺めた。
「参ったのう、まだ帰れぬか」
忠直は参ったとばかりしばらくその場を回ったりしていたが。
「まあいい。家具がなくとも寝ることくらいはできる。食事は誰かの世話になるか」
「…分かりました」
目の前でそういうことを言われては了承するしかなかった。
半刻後、直孝は忠直を井伊屋敷に案内し、夕食をとっていた。
改めて直孝が溜息をつく。
「しかし、池田殿が毛利に降るとは…」
「まあ、仕方なかろう」
「しかし、仮にも大御所様の姫君の入っていた家ですぞ」
「それを言えば、大御所の息子の家たる越前家も、場合によっては寝返るかもしれんぞ」
「……」
忠直の発言は既に何度も言っていることであり、事実であることは承知している。
「わしやお主などは、子供の頃から徳川家が他家を従わせてくるのを見ていた。しかし、その少し前は徳川家も含めて太閤秀吉に従っておったわけだし、その前もある。全員が、全員、徳川家の支配を当然のものとは思っておらんということじゃ、な」
「となると、日ノ本はまた大いに乱れるということでしょうか?」
「うーむ、伊達殿と立花殿の計画がうまくいかなかったなら、その可能性もあるかもしれぬのう」
「となると、大御所様や前将軍様がなされたことは何だったのでしょうか? 無駄であったということなのでしょうか」
直孝は思わず目頭の熱さを感じた。下を向いて、目のあたりを押さえる。
「まあ、あれじゃ。九州や中国はここまで来てしまうと中々厳しいが、それでも徳川家に近い大名もまだ沢山おる。となると、足利尊氏公や義満公のようなことをするのが良いのではないか?」
「尊氏公? つまり、九州に向かい、そこで勢力をまとめあげるということですか?」
「そういうことじゃ。尊氏公や直冬公は自ら向かい、勢力を築き上げた。義満公は今川貞世を九州に派遣した。とはいえ、今の徳川家は義満公の時に比べると勢威が小さいだろうから、やはり尊氏公のように将軍家の力を徳川家直々に見せつけることになろうな」
「…それはつまり、越前様が九州に向かわれるということですか?」
「戯言を申すでない。何故、わしが行かなければならぬのじゃ」
「…では、越前様に伺いますが、今の徳川家の中で誰が九州に行けるというのです?」
家光を派遣するのは年齢的に不可能である。同様の理由で忠長も難しい。
となると、忠輝か忠直しかいないが、忠輝は伊達政宗との関係もあるので、行くとはいかないであろう。家康の下の子供達は実績も家格もなく問題外である。
結局、残るのは忠直一人となる。
「……」
「いや、実際、妙案でございますぞ。九州の細川殿、黒田殿、鍋島殿は優秀ではございますが、個々では弱い。しかし、越前様がこの三家の上に立つ形で指揮をとれば、うまくいくのではないかと思います。立花殿を軍師として連れていけば完璧でございましょう」
「待て、待て。わしが仮に九州をまとめあげたとしたら、今度は徳川で内戦になるとも考えられんか?」
「間違いありません。尊氏公や直冬公がそうでしたし。しかし、それならそれで問題ありませぬ」
「何故じゃ?」
「どちらが勝っても徳川が日ノ本をまとめるからでございます」
堂々とした物言いに、忠直が呆れた顔をした。
「お主はそれでいいかもしれぬが、他の者はどうするのじゃ? 日ノ本はお主のような者ばかりではないぞ」
「関係ありませぬ。それがしは徳川譜代、それがしにとっては徳川家が勝つのならそれでいいのでございませぬ。他の都合は他の者で勝手につけてもらいます。あっ!」
直孝の頭に突然、閃くものがあった。
「何じゃ?」
「忠長様を西国目付として、その後見人として越前様をつければ、よろしいのではないでしょうか」
「そうなったら、最後が家光と忠長の争いになるかもしれぬではないか」
「いえ、忠長様が家光様と争うのならば、越前様は止めようとするはずです」
「何故?」
「西国を仮に統一できた場合、それはほとんど越前様の手によるもの。そこまで苦労をしておきながら、忠長様の我儘を許すとは思えません」
「そこまで行ったら、わしが忠長を排除して、自分が上にいるかもしれんぞ」
「もちろん考えられます。しかし、先程申しました通り、その場合は徳川対徳川。それがしにとっては構わぬところでございます。それに、越前様が天下を取るなら、それはそれでありではないかと」
「おいおい、お主、酔っているのではないか?」
「ああ、そうでしょうか。しかし、それがし、明日か明後日か、伊達と立花殿に提案してみますぞ。うまくいけば上総殿も派遣することになって、うまく拮抗が取れることになるかもしれませぬ」
それほど酒を飲んでいるわけではないが、確かに気持ちはいい。
沈むことばかりだったところに、急に明るい話が出てきたのである。それが少しばかりの酒の効果を増したことは十分にある。直孝はそう考えた。
また、この日、政宗と宗茂を相手に何もできなかった自分が、次の機会には思い切った提案ができるという嬉しさもあった。
「どうせならとことん楽しくやりましょう。誰か呼びましょう」
「おいおい…、日頃真面目な奴ほど、突然とんでもないことをすると言うが…」
この夜に限っては、騒ぐ方と、黙る方が逆転していた。
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