第12話 壇ノ浦②

 長門・雄山城。

 毛利秀元は浮かない顔をして海峡を眺めていた。

 もちろん、その原因はというと商人同士の対立による豊前の商船撃沈である。

 これに対して、どのように手を打つべきか頭を悩ませていた。

 この問題の原因はどこにあるかというと、根本的には豊前側商人の横暴によるところがあった。ただ、その根本原因は毛利秀元の戦下手なことで、「いざこざになっても勝てる」という優越感が豊前商人にあり、それが態度に出ていたことによって、長門側の商人が不満を抱いていた。

 その申し出に対して、秀元がはっきりした回答を示さないことで業を煮やした長門側の一部の商人が暴発したのであった。そういう経緯があるため、商人側の態度も硬化しており、平和裏に解決を図ることは無理な状況であった。

(これ以上、始末書を書かされるのはもう勘弁なのだが…)

 秀元の脳裏に、広島城での輝元の叱責が思い浮かぶ。

 姫路での失態の後、毛利秀就、吉川広正とともに叱られたわけであり、秀元一人だけの責任ではなかったわけであるが、元服間もない広正と、21歳の秀就という若僧二人に並んで毛利の重鎮たる自分が叱られるのは無念極まりない話であった。


 秀元は急いで広島にいる輝元に状況を伝えたが、まだ返事は返ってきていない。

 そもそも、伝えたところでどうなるかも難しいところであった。豊前側が報復体制を整えてくる可能性があるので応戦態勢も整えなければならない。

(しかし、わしが指揮をして勝てるのだろうか?)

 秀元も世評は知っている。有体に言えば自信喪失状態であった。

(わしの戦下手は家中も知っているのだから、せめて清水景治なり坂崎直盛なり、戦のできる者をつけてくれてもいいのではないか!?)

 遂には自分一人に守らせる毛利家中枢に文句を言い出す始末であった。


 とはいえ、安易に戦に踏み込むことに抵抗があるのは豊前・小倉の細川忠興も同じであった。踏み込んだ場合、その戦線維持を細川家で行わなければいけない。もちろん、松平忠直や黒田、鍋島も多少の支援はしてくれるであろうが、そこに限界があることは忠興もよく知っている。

(仕掛けるには時期尚早)

 と思っているのであるが、そうした忠興の心境を下の者はよく分かっていない。関門海峡を占領すべしという声は時を追うにつれ大きくなっていた。

「父上、越前様が参りました」

「お、越前様が来てくれたか」

 忠興はいそいそと出迎えに行った。

「忠興、委細は聞いた。面倒なことになったのう」

「はい。報復はするとしましても、大きくなると全面戦争になる恐れがありますので」

「ううむ」

「ひとまず、勝手な報復はしないようにという触れは出しております」

「対岸の毛利秀元には?」

「抗議文と何らかの措置をするようにと求める文は出しております」

「その返答が来るまではこちらからは無用な暴発を防ぐようにするしかないか」


 とはいえ、この地域に限らず瀬戸内の商人達の中には、かつては水軍として活動していた者も多い。そうした者達の中には「何者の指示も受けない」というような海賊意識のある者もいる。

 触れ書きだけで行動を封じ込めるということは不可能であった。


「殿! 門司から出た商船が長門側に火矢を仕掛けました!」

 その夜、松平忠直と細川忠興の下に報告がもたらされる。

「何たることだ!」

 と頭を抱える忠興であるが、そもそも抑え込むことが不可能であろうことを感じていたのも事実である。

「こうなってはやむをえません。両船団の動向に合わせて、対岸を占領することも含めて軍を出すしかありません」

 忠興が起床してきた忠直に進言し、忠直も頷く。

「かくなるうえは仕方ないのう」


 対岸の毛利秀元にも状況が伝わった。

「ぐむむぅ。こうなったからには、一戦はせぬわけにはいかぬか」

 と、動員令をかけて、関門海峡へと向かっていった。両軍とも3000程度の兵を揃えて向かい合うが、その間に長門と豊前の商人の船団が間に入って、既に交戦をしていた。

「何ともややこしい戦だのう」

「下手に打ちかけると同士討ちになりますな」

 関門海峡は狭いところでは五町(500m)程度の距離しかないが、その狭い間に船団が集まっている。下手に打ちかけても味方の舟に当たるため、両岸に揃った細川軍と毛利軍はただ眺めているだけであった。


「かつて…」

 門司側で戦況を眺めている松平忠直が口を開いた。

「かつて、ここでは源平合戦の決着がついたというが、壇ノ浦の戦いもこういうものだったのかのう」

「左様でございますな。戦況は風と潮の向きによって決まったということですが…」

「毛利軍もそれほどやる気はなさそうであるな…」

「ただ、但馬ではそれで徳川方が相手を甘く見てしまい、敗れてしまったということもございます。ゆめご油断なきよう…」

「うむ。そうだな」


 前日の深夜から始まっていた一戦(といっても、両国の武士団はいない)は朝になっても決着がつかず、昼になろうとしていた。

「む?」

 忠直が目を見開いた。豊前側の船団が押し始めてきたのが見えてきた。

「潮の流れか、本当に押しているのか?」

「風はこちらに吹き付けてきましたから、どうやら豊前の方が押しているのでしょう」

 風に乗って細かい砂が吹き付けてくる。細川忠興は薄目を空けながら戦況を確認していた。


 徳川方が「押している」ということは、毛利方にとっては「押し込まれている」ということである。

「い、いかん。奴らを上陸させたら町が大変なことになる。打て! 打て!」

 毛利秀元が命令した。侍大将が目を白黒させる。

「い、今打ったら味方にも当たりますぞ!」

「構わぬ。打て!」

 大将の命令は絶対である。壇ノ浦側の高台にいる兵士達が鉄砲や矢を射かけた。

 しばらくして秀元が気づく。

「誰じゃ!? 火矢を射ている者は?」

「えっ? 水戦に火矢はつきものでは?」

「馬鹿者! 敵味方入れ乱れている中で射るものがあるか」

「え、ですが、味方に当たっても構わないと殿は申されましたよね?」

「火矢のことまで考えておらんかったわ。あんなものを射かけたら舟が火だるまになるではないか! このまま町に来られては町まで燃えてしまうではないか!」

「風は向こうに吹いていますぞ…」

 毛利秀元が「あっ」と声をあげ、紙を空に投げた。海の方に飛んでいく。

「…そうか。なら、町は大丈夫か」


「うおおっ! 毛利軍め、味方の舟に火をつけおった!」

 門司側から見ていた徳川方が一斉に驚いた。

 長門商人の舟が火に包まれていき、それが風に押されて豊前商人の舟にぶつかり、両方を燃やしていく。もちろん簡単に延焼しないようにと舟も工夫されているが、水軍にかけては一日の長のある毛利家である。火矢もなるべく効果をあげるような造りになっている。

 また、商人達はお互い頭に血が上っていたから、とにかく駆り出せる舟は全て使っていた結果、あまり質の良くない舟も混ざっていた。

 結果、毛利軍の攻撃から半刻もしないうちに両部隊の船団が火に包まれていく。こうなるとお互い海に飛び込むしかない。

 風が長門から豊前の方に吹いているとはいえ、門司の方まで舟が流されることはない。沖合には、燃え尽き、沈んでいく舟と、木片にしがみついている血の気の多い商人達が残されていく。

 そこに長門側から軍の舟が出されていく。さすがに救援されてまで尚争うものはいない。


「うむぅ…、毛利秀元め、何ということをするのだ」

 松平忠直が呻くように言う。

「風向きを計算して、敵味方の舟を全て燃やしてしまうとは…」

 一番に相争っていた者がいなくなってしまった以上、徳川にも毛利にもこれ以上戦う理由はない。どちらも本心で戦いたくなかった以上、引き上げることになる。

「これで喧嘩両成敗ということで勘弁してほしいと申してくるのでしょうか」

 帰り際、細川忠興が言う。松平忠直が溜息をついた。

「償金くらいは払ってもらいたいが、そなたの言う通りになりそうだのう…」

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