第11話 壇ノ浦①
「一体、何があったのだ?」
急使は確かに息を切らした状態であった。小倉と福岡の距離を考えれば、ここまで急いで来るというのは余程のことであり、それこそ毛利軍が九州方面に動き出したのかと思われるようなことであった。
「はい。九州側の商人の舟が、対岸の連中に沈められ、商人達の気が荒くなっております」
「商人の舟が?」
巨大な川のような関門海峡であるから、両軍ともある程度は通行を黙認されている。兵士が乗っていそうな舟であればともかく、商船が沈められたとなると穏やかではない。
「殿が毛利秀元に相応の代償を求めておりますが、それが受け入れられない場合には」
「報復するということか」
それはやむを得ないことではある。舟が関門海峡を行き来することを認めているのは、敵対関係にあるとはいえ、お互いの領民同士が常に不自由を強いられるのは良くないという暗黙の了解にある。それを守らない以上、反撃するのは仕方がない。
(これでますます舟の行き来が面倒になるがのう…)
「いえ、それだけでなく、商人達の間から、毛利領への全面攻撃に踏み切ってくれという話も出ているようでして」
「全面攻撃?」
「はい。商人達は『毛利秀元なら簡単に倒せるだろう』と殿を焚きつけておりまして」
「毛利め、商人にまで馬鹿にされているとは…」
忠直は呆れてしまった。
とはいえ、毛利秀元の戦下手についてはある程度周知のところとなりつつある。昨年、夏の陣に出向く途中に摂津あたりで無為に一月近い時間を過ごし、敵も味方も翻弄したという話がちらほらと伝わってきているし、何といっても関ケ原の際に吉川広家に止められて全く動かなかったということもある。
「ただ、勝てるということと攻めるべきかということはまた変わってくるからのう」
小競り合い程度で意気を上げるのならともかく、本格的に長門に攻め込むとなると戦略も必要になるし、勝った後の方針もなければならない。
参謀の松平信綱がいない状況で勝手に戦線を開くことは避けたいところはあったが…
「伊予の豊臣秀頼に攻撃が可能であるか確認してもらえるか?」
豊前から長門に、伊予から安芸にと同時に攻撃することができれば、毛利軍の主力に圧力をかけることはできるであろう。
「毛利の出方次第では、攻め込むことも考えねばならぬか…。そうでなくても金銭や糧秣に不安があるのにのう…」
松平忠直は苦手な算段に取り組まなければならないと考え、溜息をつく。
(だが、今回の件はあくまで長門の商人の暴走なのか、あるいは毛利秀元が何かしたいと考えているのか。それとも、吉川広家が関係しているのか?)
竹野川で立花宗茂さえ負けたという報告は松平忠直も聞いている。
吉川広家が何らかの作戦を考えているとしたら…。そう考えると、頼れる存在がいない忠直は安易に動きたいという気持ちにはなれなかった。
但馬・竹野川で勝利した毛利軍であったが、大きな領土拡張はないまま、主力は因幡・鳥取城に戻っていた。竹野湊は占領したものの、徳川方が本気になればすぐに取り返されることは明白であるため、大きな活用はしていない。
立花宗茂に勝利したという事実は大きいものの、勝利を生かしきれないという点では広家の誤算であったのは既に見た通りである。
「吉川殿」
鳥取城の吉川広家の屋敷に、坂崎直盛が訪ねてきた。
「どうかしたか?」
「我々は東を目指しているが、安芸や備前は大丈夫なのであろうか?」
「四国の豊臣秀頼が動くのではないかということか?」
「うむ…」
「四国が動くとすれば、北九州も動くであろう。豊臣にしても、松平忠直にしても、地の利を有しているわけではない。共同で動かなければ利点がない。もっと言えば我々が一番困るのは播磨、因幡、長門、安芸に同時に攻撃を仕掛けられることだが…」
「吉川殿は、徳川はそうしてこないと考えているのですか?」
「特に九州は昨年一年間戦続きであったからのう。正直、秋口まで動きたくないと思っているはずだ。四国の豊臣軍には余裕があるだろうが、連携を細かくできるほど両者の経験があるとは思えぬ」
「なるほど…」
「わしはどちらかというと、徳川に全面攻撃をしかけてほしいのだ。もちろん毛利も小さくない打撃を受けると思うが、徳川は三年続けて全国の兵を動員することになる。そのようなことをすれば、どうなると思う?」
「中から崩れるということですな」
「逆に一番まずいのは、徳川に息をつかせて、資金や糧秣を回復させることよ。何とか徳川を動かし続けて、それによって干殺しにできれば早いのだが…」
「とは申しましても、私の備前もまだまだ手をつけたばかりゆえ…」
「ああ、そうであった。それは申し訳ないことをしていたな。坂崎殿は一旦備前に戻られても良かろう」
「…?」
要望が容れられたこと自体は嬉しいが、あまりにあっさり容れられて、逆に不安になる。
「それで大丈夫なのですか?」
「こちらとしては当面全面的な戦いはするつもりはないし、徳川もしたくないだろう。しばらく備前の経営に集中されるがよろしいかと」
「…分かりました」
「防備に不安なら、安芸に願えばある程度は送ってもらえるはずだ」
「…本当に大丈夫ですか? 四国の豊臣秀頼を侮り過ぎなのでは? 確か安芸には福島正則の部下もいたと思いますが」
昨年、早い段階で安芸を追い出された福島家の兵士は備前、播磨と東に向かって抗戦をしたあげく、池田利隆の降伏により毛利軍に加わることになった。兵士達は自由にしたが、重臣達は結局十年以上過ごしていた安芸に戻っている。
ここ一年弱は毛利の者と働いているが、福島家の股肱の家臣である以上、何かあった場合に四国の豊臣秀頼に内通する可能性は十分に予想できた。
「そんなにわしや景治のやっていることが不安かな?」
「…出過ぎたことを申しました」
「さすがに細かいことまでは坂崎殿にも申し上げられぬが、手は打ってあるゆえ安心してほしい」
「はい。それでは備前にしばらく戻ります」
直盛は屋敷を出た。
(何をしているかは一言もなしか、わしの周囲にも何かしらの対処をとっているのかもしれぬのう…。恐ろしや)
坂崎直盛が鳥取を出るのと、ほぼ同じくして、清水景治が鳥取にやってきた。
倉吉の里見家との間に交渉をしていた帰りである。
「里見と正木に十分な恩賞を与えられなかったのも誤算だった…」
景治を前に、広家が溜息をついた。
竹野川の戦いで、川向うの徳川軍を油断させるため、それなりの手を打った里見・正木の両軍の軍功は大きかった。そのまま但馬を取れれば但馬を与えるつもりであったが、京極家が自重したことにより、新規に獲得した領地はなく、保留となっている。その不満をなだめるために、清水景治に今後の方針と与える所領について説明させていたのであった。
「坂崎に備前一国は多すぎたかもしれませんな」
「そうは言うが、奴も宇喜多一族であることを考えると一国保証しない限りは動かないだろう」
「確かにそうですが」
「猪武者かと思っていたら、先程は四国の豊臣秀頼が福島正則を通じて、安芸にいる福島正則配下と連絡をとるのではないかという心配をしておった。竹野川の時もそうだが、意外と頭を回すこともしおる」
「安芸が落ちれば備前も危ういですし、気をもむのは仕方ないか。手の内については?」
「そこまで話すはずがなかろう。あれは能力もあるが、能力以上に野心があるのが困ったところではあるからな。変に手の内を知ると、それを利用しようとしていらぬことをする可能性がある」
「確かに」
「豊臣秀頼はそうしてくるかのう。わしとしては、そうしてほしいのであるが…」
「ふふふ。そうですな」
二人は含み笑いを浮かべ、程なく次の話題に移り、国内情勢について語り始めるのであった。
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