第10話 信仰
松平信綱と益田好次を見送ると、松平忠直は改めて内藤如安を呼び出した。
「いかなるご用向きでしょうか?」
呼び出された方は明らかに不審の顔が見える。条件を丸任せにして送り出して、この上まだ問いただすことがあるのだろうか、そういう様子である。
「いや、協定の内容のことではないのだ。あれはわしらの手を離れたからのう。わしが呼び出したのは、単純な興味というやつじゃ」
「興味? 切支丹に対する興味ですか?」
「いや、お主の主君に対する興味かのう」
「我が主君?」
「地域柄ということもあるのかもしれん。ただ、お主もそうだし、ついていった面々も含めて全員が小西行長の家来だった者達じゃ。わしは一度も会ったこともないし、正直九州に来るまで名前も聞いたことがなかったが、結構たいしたものなのかのうと思うてな」
「そういうことでございましたか」
如安は少し考え込む。
「こういう話を、越前様にして分かっていただけるか…」
「何じゃ、その言い方は。まるでわしの頭が悪いかのような言い方だのう」
忠直は苦笑して応じた。
「そういうわけではありませぬ。こう申しては何ですが、殿は素晴らしい人徳者だと褒め称えられるような方ではありませんでした」
「む? 人徳者ではなかったのか?」
「素晴らしい方ではあったのですが、元々商売をしており、あこぎなこともしていたと聞いております。また、武士として取り立てられて以降も、商人であった経験を生かして辣腕をふるい、それで出世していったというようなことも申しておりました」
「ふむう。それだけ聞くと、そなたら切支丹が小西行長に影響されたことは不思議じゃのう」
「ただ、そのような悪事というのは、どうしても行ってしまう部分もございます。例えば、越前様は今まで人の道に背くなと思うようなことを一切してこなかったと言えますか? 誰かを騙したとか、傷つけたとか…」
「それは、言えぬな。普通の者よりも問題が多いかもしれぬ」
「戦にしてもそうでございます。もちろん、少なくとも片方に戦をする理由があるから戦が起きるのでございますが、とはいえ、戦場で起きることはとても人の道にかなったものとは申せません。殿のなしてきたことについても、殿は好き好んで誰かを騙したり殺したりしていたわけではありませぬ。もちろん、世の中にはそうしたことを好き好んでする者も僅かにおりましょうが、大半の者はそうではありません」
「左様であるな」
「それを一々悔いていては生きることができなくなります。悪事というものは生きていれば生きるほど積もり積もっていきますものゆえ。しかし、ならば、そのような悪事は仕方ないものであると言ってしまえるのでしょうか?」
「ふうむ…」
「そう言ってしまう者もおります。しかし、殿はそうではありませんでした。『それでは救いがないではないかと。悪事をなすことは仕方ないが、その救済を願うべく自分達は神にすがっているのだ』と」
「なるほど言わんとすることは分かるが、それはそれで責任転嫁というような気もするがのう」
「はい。責任転嫁でございます。しかし、そうすることで悔いなく生きることで、人の一生に意味は出てくるのだと思います。日々のことに頭をとられて、満足に生きられなかった場合、一体人は何のために生まれてきたと申せましょうか?」
「それを教えてくれたのが小西行長であったというわけか」
「殿は我々よりもより人の悪辣な面を見ておりましたからのう。生きる上での悔いというのは武士も農民もあるものです。お分かりいただけましたでしょうか?」
「分かるには分かった」
忠直は中庭の方へと向かう。庭の風景を眺めて、再度如安を見た。
「人が満足して生きるうえでの澱を、神に拾い上げてもらう、そういう考えは分かるのだが、実際にはどうだろう。その神を言う面々が人の生き方を曲げているということも多くないか? 切支丹はそこまでではないかもしれないが、例えば一向一揆などはそういうものであったように思うが」
もちろん忠直は一向一揆も目にしたことはない。しかし、三河での一向一揆は本多正信をはじめ、徳川家でも参加する者が多かったため、代々語り継がれてはいる。もっとも、忠直の記憶には父秀康が「正信は一向一揆では父に反した裏切者のくせに、今では父にこびへつらいおって」という愚痴のような形で聞かされていたのであるが。
「左様ですな。そうしたこともありますし、それは決して神の本意ではないと思いますが、そこにも神は何らかの問いかけを用意しているのではないか。我々はそう考えることにしています」
「つまり、仏の道も神の道も中々に踏破は難しいということか」
「全てをなすことは」
忠直は元の場所に戻り、頬杖をついた。
「そうすると、結局進んだのやら戻るのやら分からんことになるのう。まあ、ただ、徳川にしろ、豊臣にしろ、前田にしろ毛利にしろ、日ノ本を統一した後に人の生き方とかあり方について教えることはないだろうからのう。ああしろこうしろと言うことは言うだろうが。そういう点では、武士に足りないものを神や仏が補うのかのう…。おっと」
忠直は何かを思い出したかのように姿勢を正した。
「小西行長について聞いていたのに、知らぬうちに人の在り方とか考えていてしもうた。難しい話をすると、こういうことが多くあるから困る」
「左様でございますな。話を逸らしたつもりはございませんが失礼いたしました」
「いや、小西行長については大体分かった。確かに単純に自分の行いのみを考えるとそういうところは多々あるし、わしの目の前にいたらついて行ったかもしれぬ。如安、わざわざすまなかった。また、何か聞くかもしれぬが付き合ってくれい」
「はい。それがしでよろしければ…」
内藤如安と入れ替わりに鍋島勝茂がやってきた。
「肥前の方は問題ない状態でございます。長崎の方の整備も整ってきておりますので、秋には港町として使うことができるものかと」
「そうか」
「門のところの警備体制も現在整えておりますが…」
「何かあるのか?」
「あのあたりは地形が入り組んでおりますゆえ、切支丹が舟で肥前国内に入ることはそれほど難しくないと思います」
「なるほど…」
以前、松平信綱が対馬と長崎で切支丹との交易をし、その内部であれば信仰も許すという方針を打ち立てていた。そのための調査を鍋島氏に任せていたが、切支丹の信仰が長崎の外に出るかもしれないという点は由々しきことであった。
とはいえ、地図を見れば、長崎近辺は地形も入り組んでいるし、小さな島が多数あることが分かる。その気になれば小舟で近くの島に潜み、そこから九州へと移ることは難しくなさそうである。これを警戒するとなると警備費がかかる。警備費を負担するのは鍋島家、もしくは鍋島家と徳川家ということになるから、軽くみられる話ではない。
「例えば、交易を長崎に限り、信仰を対馬に限るという方法もございますが」
「それは宗家が反対するであろう」
交易と信仰は飴と鞭のような関係である。一方に鞭だけというのでは納得しないであろうし、この場合、信仰を認めることが鞭になることは明白である。
「それがしもそう思います。ただ、警備を担当する者としましては、現状の長崎で完全な警備を行うのは難しいと言わざるを得ません」
「分かった。ひとまず、信綱らの答えも見なければいけないゆえ、それまでは現状のままで進めておいてほしい」
「承知いたしました」
鍋島勝茂が下がると、忠直は畳に横になった。
「うーむ…、信綱を出してしまったから、こういう話をする相手がいなくなってしまった。細川忠興にでも聞くかのう」
そのまま、更にしばらく天井を見上げる。
「そういえば、こんな風に一人で横になるのは何時以来になるのだろうか」
おそらく、昨年の大坂の戦の後、駿府にいた時くらいであろうか。
「今は色々と窮屈じゃのう…。北ノ庄ではもう子供が生まれておるのだろうなぁ…」
昨年、最後に話をした時には年初に生まれるという話であった。ということは、既に生まれて三か月くらいが経っていることになる。
「忠昌と代わりたいと言って、代わるわけにもいかぬし…」
「申し上げます」
そこに長宗我部忠弥が入ってきた。
「小倉の細川様より急使が参りました」
忠直は身を起こして、首を傾げた。
「急使?」
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