第16話 岡山包囲①

 九月に入ってから、吉川広家は鳥取で慌ただしい時間を過ごしていた。

 何よりも痛恨だったのは、これまで中立を決め込んでいた京極家が徳川方で参戦することが決まったということである。

 備前の不安に、京極家の参戦という要素で山陰側も崩れる可能性が現実味を帯びてきたという事態に歯噛みする。

(いよいよ、終着点も考えなければならないか…)

 しかし、広家は、そうした内心を表に出すことなく、もたらされる情報を整理する。

「徳川義直は香住近辺で待機しているということです」

「ふむ…。ひとまず備前の状況を見ようということか…」

 傍らにいる清水景治に目を向けた。

「備前はもつかのう…」

「内藤元盛がおりますし、容易には落ちないかと」

「何とか持ちこたえることを期待するしかないか」

 広家は溜息をついた。

「逆に、備前が落ちれば、降伏の条件を考えねばならぬな…」

「…左様でございますな」

 清水景治も否定をしなかった。


 岡山城の包囲が開始されて三日。

 坂崎直盛は余裕の様子で包囲する豊臣軍を眺めていた。

「何、いくら包囲されても岡山は簡単には落ちぬ。美作にいる内藤殿が援軍に来るだろうし、西の状況が落ち着けば広島からの援軍もある。いくらでも逆転の余地はあるわ」

 城内の兵士を鼓舞して回る。空元気ではなく、実際にそうなると思っているので、その鼓舞には偽るようなところはない。


 城外の豊臣秀頼も、状況を楽観視してはいなかった。

「岡山城は簡単には落ちそうにないのう」

「はい。坂崎直盛も最初から籠城前提で構えていたようですな」

 緒戦で児島を簡単に占領でき、岡山まではたどりついた。領民の協力もあるので滞在に苦痛はないが、城方の意気は高く簡単に動かせそうにはなかった。

「美作から援軍が来るかもしれぬし…」

 東の播磨は毛利勝永がいるので、池田軍が動く余地はないはずである。西の広島も備前よりも長門・周防方面を支えなければならないので動く危険性は小さい。しかし、美作の内藤元盛はどこかの機会で必ず援軍を送ってくるはずである。

「毛利が池田家を降伏させたのも、内藤元盛の活躍が大きかったと聞いている。油断はできぬのう」

「殿、それなら、こういう手を使ってみてはどうでしょうか?」

 蜂須賀至鎮が耳打ちをした。聞いている秀頼は、逐一頷き、最終的には笑う。

「いいだろう。少しでもうまくいく見込があるのなら、やってみて損はないな」


 美作・津山城では内藤元盛が連日、悩んでいた。

 戦争準備は既にできていた。降伏した森忠政にも指示を出し、既に六千ほどの軍勢は揃っている。

 しかし、この六千の動かしどころが容易には決まらない。

 もちろん、備前方面が一番緊迫しているということは元盛にもよく分かっている。ただ、備前は切支丹の領民を中心に毛利家よりも徳川家を望んでいるふしがあり、予期せぬ抵抗がありうるという不安があった。

(援軍として期待されているという立場もある)

 昨年、姫路を救援すべく動いた池田利隆を捕らえて、姫路城を開城させただけに援軍の逆効果というものをよく分かっている。援軍を出したが失敗した場合、岡山などの失意は大きく、一気に傾く可能性がある。

 従って、情報を精査して確実に失敗のないようにしなければならない。

 慎重な姿勢に周囲は不満も溜めていたが、結果として、この姿勢は、当人達の予想外のところで活かされることとなった。


 京極家の軍が竹野湊を出発し、赤碕を狙うという情報がもたらされたからである。


「京極家が?」

 吉川広家は最初、その情報を冗談ではないかと思った。

 京極家が徳川方についたという話は聞いていたものの、水軍を動かすという話は予想していなかったのである。いや、そもそも京極家にしっかりとした水軍がついているということも予想していなかった。

 まさか海賊達を懐柔して、彼らに京極家の旗を掲げさせているということは想像もつかない。

 想像もつかない事態であったが、赤碕を取られてしまっては広い毛利領が寸断されてしまうことは火を見るより明らかである。

 だが、残っている部隊はというと美作にいる内藤元盛しかいない。

「津山に使いを出して、赤碕へと向かわせよ」

 鳥取からの使いが津山へと走った。


 書状を受け取った内藤元盛もまた、赤碕が狙われている事態に仰天はしたが、吉川広家の指示通りに動かなければ山陰方面が挟撃されることは明白であった。

「赤碕へと向かうぞ」

 内藤元盛はその日のうちに、北西へと向かっていった。


 津山からの情報は、翌日のうちに岡山に届けられる。

 もっとも、内藤元盛からの書状を見るまでもなく異変が起こったことは岡山城にいる者には見て取れた。

 領民からの報告で、既に城外の豊臣勢が美作勢の赤碕行きを知り、喝采の声をあげていたのである。そうした変化を城内の者が気づかないはずがない。

 さすがの坂崎直盛もこの情報には絶句した。来ると期待していた援軍が来なくなったのであるから当然である。

 それでも、直盛も簡単には屈しない。

「それならそれで半年の間籠城するのみよ」

 戦況の不利は認めるが、それでも城内には十分な準備がされている。籠城を続けていればそれだけ自分の評価が上がることになり、仮に負けたとしてもそれなりの待遇は与えられるはずである。

「毛利のためではないぞ、わしらのために頑張るのじゃ!」

 直盛は城内の兵を改めて鼓舞した。兵士達も、城主の激励に大きな声で応えるのであった。


 十日ほどが経った。

「ここ二日ほど、包囲軍の様子が変だな」

 直盛が城の外を眺めながら言った。

「変と申しますと?」

 隣にいた息子・坂崎重行が疑問を呈する。

「何やら元気がないように思われる」

「そうでしょうか?」

「うむ。こうしたことは戦の場数を踏んでないと分からぬものだ。おまえには分からないかもしれないな。具体的にどう、と言われると困るのだが、何か良くない情報でも受けたように思える」

「としますと、例えば姫路や赤碕で我が方が勝ったのでしょうか?」

「ううむ…」

 そうであると有難いとは直盛も思った。とはいえ、僅か十日のうちにそこまで戦線が好転するとも思えなかったのも事実である。

「申し上げます」

 そこに伝令がやってきた。

「先ほど、敵本陣の様子を見ていたものが、本陣に医師が駆け込む様子を見たと申しております」

「何、敵本陣に? ということは、秀頼めが病気になったのか?」

「そこまでは分かりませぬが…」

「本陣に医師が急行したとなれば、秀頼以外ありえぬではないか。ふうむ、面白い…」

 直盛が舌なめずりをした。

「わしは去年、千姫を貰えるという話がありながら、反故にされたからのう。わしの手で秀頼を討ち取れるとあれば、その恨みも晴らせるし一石二鳥じゃ」


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