大逆転! 夏の陣
第1話
慶長20年、5月7日。大坂。
昼間から開始した合戦は、混沌とした展開を描き、毛利勝永・真田信繁両軍が徳川軍の奥深くまで食い込んでいる。「本陣が危うい」の声がいたるところで流れるが、戦場に広く展開した東軍の反応は鈍い。
それは当然、徳川家康には信じられない光景であった。
しかし、どこかで見た光景であるようにも感じられた。
「大御所様! 早くお逃げを!」
若い雑兵が本陣から戦況をうかがっている家康のもとにかけつけてくる。それほど身分の高い兵士ではない。確か名前は平助と言ったのではないか。
「真田隊が近くまできております。この場も危険になるかと…」
「たわけ」
家康は孫のような雑兵をたしなめる。
「これだけの兵力差があって、逃げたなどとあっては示しがつかぬわ」
「しかし、敵は少数ながら意気軒高、お味方は多勢なれど他人事のような部隊も多くございます。今は一時の恥をしのんでくださいませ」
(おお、そうだ、この光景…)
平助の言葉が、家康の記憶を蘇らせた。
(そうだ…。子供の頃に見た、石合戦の光景だ…)
まだ竹千代と名乗っていた時代、家康はとある川で子供達の石合戦を見物していたことがある。片方が他方の倍の人数を擁しており、配下達は「数が多い方が勝つに決まっておりますぞ」と進言してきた。しかし、家康は数の少ない側のやる気を勝った。また、多勢の側が人数差に安心しきっていることも見て取れた。「少ない側が勝つ」家康はそう言い切り、事実、その石合戦は数が少ない側が勝った。
「ふ、ふふふ…」
家康の口元に笑みが浮かぶ。
「そうであったのう、戦いは、数だけではなかったのう…」
もし、竹千代がこの合戦を見ていたらどう評しただろうか。「真田と毛利が勝つ」と言い切ったかは分からないが、今朝の家康のように「負けることはありえない」とは思わなかったであろう。
「大御所様?」
側近達がいきなり笑い出した家康に奇異の念を抱いたのか、不安げな視線を向けてくる。家康はその時点で覚悟を決めた。
「平助。秀忠に伝えよ。後はおまえに任せたと、な」
「何を言われます!?」
平助が悲鳴のような叫び声をあげた。
「わしは、天運に恵まれてここまで来た。天運がわしをまだ憐れんでいるのなら、助かるであろう。そうでないのなら、わしはこの場で死ぬだろう。いつ死んでも構わぬ年齢だ、今更じたばたするのも見苦しい。徳川家のことは全て秀忠に譲り、任せてある。だから、秀忠は勝たねばならぬが、この老いぼれまで無理に生き延びることはなかろう。死ぬとあらばそれが運命よ」
「お、大御所様…」
「わしの言ったことが聞こえなかったのか!?」
「は、ははーっ!」
平助は深々と頭を下げると、東へと走っていった。
その間にも銃声や歓声が近づいてきている。家康は付近を見渡した。
「あそこの高台に移動するか」
側近達は顔を見合わせる。彼らにとって家康の指示は絶対であるが、先程の「死ぬなら運命」というような言葉を聞いた後だと、無条件に従うことには不安もあった。ただ、不安があるとは言っても彼らにはそれほど戦の経験がない。どう行動すればいいのか分からない。
結局、家康に言われた通りに高台へ向けて移動を始めた。
「酷いものだのう」
高台に上り、戦況を確認した家康は、自軍の惨憺たる有様を見て溜息をつく。
「しかし、毛利…。あれほどまでとは…」
真田隊の活躍も凄いが、毛利勝永の活躍はそれを上回るように見えた。事実、彼らの部隊が東軍の先鋒隊を短時間で潰走させたことが、この波乱の状況を生み出したのである。
「あれは明石か…」
遠くで動いている少数の部隊がいる。およそ戦力となりそうにない規模の軍勢に見えたが、明石全登もまた武名をもって知られる存在である。無謀な突撃を考えているのではないだろう。
と、その時、正面側の方から足音が聞こえてきた。ややあって、赤い甲冑の武者が数人の供を連れて入ってくる。
お互いが吃驚の声をあげるが、度合いとしては後から来た側の方が大きい。
「真田左衛門佐か?」
家康が落ち着いた声で尋ねた。相手もそれで自分の正面にする老人が誰であるか理解したのであろう。
「左様でございます。前将軍様」
真田信繁の言葉に赤い甲冑の周りの兵士が色めき立つ。一方、家康の側近は恐怖で腰が抜けたのであろう、次々とその場に倒れ伏した。
家康はニヤリと笑った。
「お主達親子には、最後まで祟られることになったな」
「恐れ入りましてございます。しかしながら、父と某も前将軍様には苦しめられましてございます」
真田信繁の父安房守昌幸は何度となく家康を苦しめたのではあるが、最終的には関ケ原の後高野山に蟄居処分とされ、その地で生涯を終えている。信繁にしても同じ場所に幽閉されており、大坂の陣が始まるとなって初めて出たのであった。
両者の間には、確かに因縁がある。
「そうであったな…」
家康はその場に座る。その意味するところを察し、信繁は部下を制して刀を抜く。
「不束者ではございますが、介錯つかまつります」
「うむ、この歳にもなってあまり苦しみたくはないからのう」
家康は短刀を抜き放つ。
「…もう十分過ぎる程生きた故、悔いはない。ただ、この国の行方を見届けたかったのう…」
家康はそう言うと、短刀をもつ手に力を込めた。
伊達政宗率いる部隊は、前日の道明寺での戦で被害を被っていたこともあり、この日は大和路方面についていた。傍らで腹心の片倉重長も戦況を様子見している。緒戦から大坂方が優勢で、芳しくないことは見て取れたが、兵力差では大きく勝ることもあり、戦況を見る表情には余裕があった。
そこに伝令が駆け込んでくる。
「と、殿!!」
伝令は政宗の姿を認めると、走り寄りながら大声で叫ぶ。
「大御所様、討ち死にっ!!」
一瞬の静寂。
政宗は緩慢とした動きで傍らにいる重長に視線を向けた。唖然とした様子で、締まりなく口を開いている。無論片倉重長はそのようなほうけた人間ではない。父景綱に勝るとも劣らない大器と称されている。その人間がこうなるほど、徳川家康戦死という衝撃は大きかった。
「…真か?」
「はい。真田・毛利両軍の攻撃に耐え切れずに…」
「左様か…」
政宗は高台に登り、遠く天王寺方面へと視線を向けた。
確かに真田の赤備えと、前日に戦死した後藤基次・木村重成の残軍を加えた毛利勝永の部隊が縦横無尽に動き回っており、東軍の各部隊は散り散りになっている。伝令の言うことがあながち嘘であるとは思えなかった。
次いで政宗は岡山口の方に視線を向けた。
岡山口には現征夷大将軍徳川秀忠がいる。仮に家康が死んだとしても、秀忠が健在ならばそれほど大きな問題ではない。
しかし、政宗の視線にはそれとは違う期待が込められていた。
(もし、秀忠も死ねば…)
先ほどまで岡山口方面も苦戦していたことを政宗は確認している。もし、家康に続いて、秀忠まで死ねば徳川家に大きな混乱が生じることは間違いない。
その状況は本能寺の変で織田信長、信忠が死んだ時と近い。その後織田は没落し、現在は信雄ら数人が小大名として生き残っているにすぎない。そして織田の天下は羽柴秀吉が取り、その後徳川家康が取ろうとしていた。
(俺には秀吉になる資格がある)
政宗の天下への野望は秀吉にも家康にも劣らない。そして、当時の秀吉よりも政宗は徳川家に食い込んでいた。家康の六男で、この戦にも従軍している松平忠輝は政宗にとっては義理の息子である。また、秀忠の死という条件を加えれば最年長でもある。
(うまく忠輝を使い、この戦の退却をしてのければ、後々有利になるかもしれない)
政宗はそう思ったのであるが…
程無く政宗の表情には落胆が見て取れるようになった。
徳川秀忠のいる岡山口の東軍は確かに押されてはいる。だが、崩れているという様相は呈しておらず、あくまで相手の意気に押されているという程度であった。
(…こちらの主軍は大野治房か。治房程度ではどうにもならんな…)
政宗は、一瞬だけ抱いた天下への野望を捨て去り、現実的に徳川の将として対する方策を考えようと、高台を降りようとした。
「む…?」
降りようとして、足を止める。
「いかがなさいました?」
片倉重長が下から尋ねる。
「いや、たいしたことではない…」
政宗は重長に答えて、そのまま下に降りる。
一瞬感じた違和感の正体は大坂方の遊軍として控えていた明石全登の部隊が岡山口方面に向かっていたことであった。
(明石は大野よりは戦上手だが、奴が加わっただけではどうにもならぬわ)
「殿、いかがなされますか?」
「大御所様がご不在の中でのんびりしているわけにもいくまい。主軍の支援をしつつ引き上げるしかなかろう」
その後のことは、分からない。大坂側は意気上がるだろうし、こちらは意気消沈となることは必至である。戦況としては依然として有利ではあるが、それ以上攻めさせる覚悟が秀忠にあるのかどうか。
「分かり申した」
政宗の方針を、同じ大和路にいる各部隊にも伝える。
それぞれも一様に家康戦死の報に混乱していたが、この近辺の部隊の中で一番経験も地位もある伊達政宗が方針を示したということは大きい。もちろん、この方面の責任者は松平忠輝であるが、彼が政宗の意見に異を唱えることは考えられない。部隊は順調に動き出し、やや遅まきながらではあるが、岡山口方面に動き出そうとする。
「も、も、申し上げますっ!!」
その間はほぼ四半刻だったか、準備がようやく整ったところに岡山口方面からの伝令が駆け込んできた。
「将軍様、ご自害!」
「何だと!?」
政宗は今度こそ驚きを露わに伝令に近づく。今にも殴り掛からんばかりの勢いである。
「馬鹿を申すな! わしは先ほどまで岡山口の方を見ておったが、明石が加わったところでそのようなこと起こるはずもない!」
政宗の怒りを受けた伝令はいい迷惑ではあるが、平伏して反論する。
「前田筑前守が、寝返ったのでございます!」
「前田が!? ええい、もうよい。わしの目で確認する」
政宗は再度高台に登り、岡山口の方を確認し、目を見開いた。
ほんの少し前まで整然としていた東軍は、前後を大坂勢に囲まれ、次々と皮を剥くように削られている。
前方、つまり城の方から攻め寄せているのは大野治房の部隊と、明石全登の部隊であった。 そして、後方にいる部隊は…
(確かに前田勢だ…)
前田利常の梅鉢紋の軍勢が、岡山口の徳川方の後退を妨げている。攻撃は仕掛けていないが、その動きは味方の後退の妨害をしているようにしか見えないし、妨害をしている以上は寝返ったという見方は間違っていない。
(だが、前田が寝返ったとしても、逃げることならできようものを)
全包囲されているわけでもないし、数自体は徳川の部隊の方が圧倒的に多い。天王寺口の東軍は撃破された部隊の兵が、そのまま後続の徳川方部隊に逃げ込んで大混乱を起こし、収拾のつかない状況になっていたが、岡山口はそこまでには至らない。であるから、粘り強く采配を執れば反撃も不可能ではなかったはずであり、そんな状況で諦めて自害というのは政宗にはにわかには信じられなかった。
(とはいえ、秀忠だからな)
家康と比べると遥かに采配の劣る秀忠である。家康の死の報告も受けていたであろうし、瞬間的に絶望したのだろうと政宗は納得した。
(結果的に、これで伊達にとっては面白いことになる)
政宗は一旦諦めた野心を再び呼び起こし、思わず頬をゆるめた。
(しかし、前田は何故に寝返った…?)
それは政宗にとっては腑に落ちないことであった。
前田利常は23歳と若いが、関ヶ原で寝返った小早川秀秋に比べると遥かに聡明で知られているし、政宗も評価していた。
それほどの人物であるから、単に目先の状況で利益に走るとも考えられない。仮にこの戦いが大坂方の勝利に終わっても、それで西軍が勝てるという状況でもない。前田利常が寝返ったとなれば、新しい将軍が誰になるとしても前田家は目の仇にされることになる。それだけの重荷を背負うだけの利益が前田にあるのか。
「明石殿との間で示し合わせていたのかもしれませんな」
高台から降りてきた政宗に対して重長が口を開く。
「明石と…?」
「豊臣が挽回できたとしても、秀頼公と母君に心から従う者はたかが知れておりましょう。そうなるとより人望があり、かつ関白様恩顧の者に期待が集まります」
「なるほど。備前宰相を八丈島から連れ戻し、前田と宇喜多で豊臣を支配しようということか」
政宗は頷いた。備前宰相とは関ケ原の戦いで西軍方の主将として戦った宇喜多秀家のことである。現在は八丈島に配流の身となっており、忘れられた存在となっているが、豊臣秀吉の偏位を受けた若い世代の中ではもっとも実績のある人物であった。
明石は宇喜多秀家の旧臣であるし、この秀家の正室は前田利家の娘豪姫である。すなわち前田利常にとっては姉にあたる。
秀吉が最も信用していた前田家、秀吉亡き後もっとも奮戦した宇喜多家。
両者が結びつくことは、理由がないことではない。
しかし、この局面、徳川家を裏切ってでも結びつくだけのものがあるのかは、政宗には判然としなかった。
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