第8話

 肥後・天草。

 天草は戦国時代から難治の土地として知られていた。豊臣秀吉が九州を統一した後、肥後は佐々成政に与えられたが国人一揆の解決に失敗し、切腹を余儀なくされた。続けて秀吉の家臣であった小西行長が赴任されたが、天草の国人はまたも一揆を起こしてその統治を妨げようとしている。

 それでも小西行長の統治の晩年には切支丹政策などもあって多少収まっていたが、その行長は関ヶ原の戦いで西軍に立ったことで処刑された。天草は唐津城城主寺沢広高の支配地となったが、この際、検地で実際の二倍にあたる四万二千石という石高に設定したため、過酷な徴収が行われることとなった。更に前年のキリスト教禁教令を受けて切支丹に対する弾圧も強まり、領民の不満は溜まる一方であった。



 その天草で、5月の後半以降、唐津支配を否定する活動を行う者が増えてきていた。

「天下は、徳川のものではない。徳川の処置に従う必要はない」

 簡潔な物言いで多くの領民を惹きつける三十代から四十代の男達。

 全員、小西行長の旧臣であった。行長の死後、重臣の中には他家に仕えた者もいたが、中堅から下の家臣達のほとんどは天草や南肥後に残っていたのである。

「禁教令にも従う必要はない」

 こうした活動を受けて、天草の状況は非常に不穏なものとなっていたのである。



 その天草から狭い海を隔てた九州側のところに、小西行長のかつての本拠地・宇土城があった。城とはいっても、加藤家によって破却されているので城跡という方がふさわしいのであるが。

 その石垣の跡地のようなところで、二人の男が座り込んでいた。一人は明らかに切支丹風の恰好をしている。もう一人は反対に仏教の僧侶といった風体をしていた。

 切支丹風の男は益田好次、僧風の男は後醍院宗重といった。

「栖本、大矢野、志岐はいつでも決起できる状況ですぞ」

 益田好次が語る。

「気づかれているということはないか?」

「気づかれるも何も、連中は徳川将軍が死んだということで右往左往していて、とてもそんなことをしている状態ではありません」

 好次はカラカラと笑いながら言い、後醍院宗重もつられて笑う。

「確かにそうであったか」

「とはいえ、連中も馬鹿ではありませんので、立ち上がるための保証を必要とはしております」

「保証?」

「島津様の保証でございます」

 今度は宗重が大声で笑う。

「殿は天草を直接支配するつもりはございません」

「と申しますと?」

「天草については、国人の好きに任せるつもりでございます。それならば切支丹信仰も守られましょう」

「…本当でございますか?」

「考えてみてくだされ。島津家は30年前の島津家ではないのです。九州全土に多面作戦を行うだけの戦力はございません。それにかつて佐々殿、小西殿を苦しめ、今また加藤殿や寺沢殿を苦しめるということを見たうえで、どうしてわざわざ天草に手を出そうといたしましょうや?」

「ふむ…」

「もちろん、そのことについての保証が必要というのであれば、鹿児島まで来ていただければお渡しはできます」

 好次が考えようとするが、宗重は尚も話を続ける。

「が、考えてみてくだされ。そもそも、天草の者達が後々になって話が違うとなった場合に、一体どこに物を申すつもりでございますか?」

 彼らが島津家久から所領安堵の書状をもらったとする。それを家久が破ったとしても、彼らにはどうすることもできない。既に何度も一揆を起こしているし、切支丹信仰まで復活させるとなると徳川方の大名は絶対に味方とはならない。

「なるほど。結局のところ、今回、島津様に加担した後については、自分達で守るしかないということでござるか」

「左様でございます。我が殿は家臣の私が言うのも何ですが、信義というものに何の重みも感じない方でございます。天草のことは天草で何とかすることをお勧めいたします」

 好次は吹き出した。

「自身の主に対して随分な言い方でありますな」

「そうとしか評することのできない方でございますので。しかしながら、何かしらの運もまた持っている方とも思います」

「そうでありましょう、な。委細承知いたしました。それでは月が変わりましたら、決起できるだけの場所で決起いたしましょう。そのうえで密貿易をして軍備も整えておけということですな」

「左様。それがあれば肥前にも攻め入れますし」

「島津様の気が変わっても、天草を自衛できる」

「左様でございます」

 二人は大声で笑った。好次の風体からすれば、誰かに気づかれれば大事になりかねないのであるが、この二人にそのようなことを気にするところは全くなかった。



 その間、熊本城はどうか。

 こちらは島津をけん制するための出陣という方向で決定はしたものの、準備が遅々として進んでいなかった。

 出兵の内訳などで今度はもめていたのである。

 何せ出兵の目的が牽制によって島津軍が日向に攻め込むのをやめさせようとするものであって、島津の領土に攻め入ろうというものではない。将来的に幕府から恩賞が出る可能性はあるかもしれないが、得るものが何もないのである。

 ということは、兵を出す側としては、その兵の維持費などを自分で賄わなければならない。要は出費だけ出して見返りがないものなのである。当然、そんなものに多くの負担をしたくないと思うのが自然であり、それがいつもの対立とも相まって文句や批判の応酬となるのであった。

 そうしたところに宇土、天草の状況が不穏であるという旨がようやく伝わってきた。

 当然ながら、激しい動揺が巻き起こった。

 天草はまだ遠いのであるが、宇土は熊本城からも僅か四里しか離れておらず、距離が近いという理由で行長の死後、宇土城の資材などを熊本城に持ち込んできているほどである。宇土で一揆でも起きれば熊本も危うい。

「こうなっては薩摩に攻め入るなど無理でござろう。まずは熊本を守ることに専念せねば」

 加藤正方が訴える。

「…左様でござるな」

 これには加藤美作守も反対しない。現実的に不可能であることが明白だったからだ。

「宇土に兵を派遣して、あらかじめ防備をさせるというのはいかがであろうか?」

「しかし、それで何もしなかった場合、軍費は共同負担となるのか?」

「何を言われるか」

 一つが決まれば別のことで揉め始める。

 いつまで経っても解決が見えることはなかった。



 熊本の動向は、町にいる切支丹などを通じてすぐに天草にいる益田好次の元に届けられた。

「殿の仇敵であった加藤家がこうもなろうとは、な…」

 好次は熊本の混乱ぶりに嘆息をつくと、傍らにいる千束善右衛門が笑う。

「寄る辺を三つも失っておるのだ。無理もないことだ」

「三つの寄る辺とは?」

「無論、清正、家康、秀忠でござる」

「なるほど」

「早い話が、加藤家の命脈は断たれたということでござるよ」

 善右衛門の自信満々の物言いに、好次も笑う。

「確かに島原の有家殿も準備ができておるという話だし、蘆塚、森の両名も程なく大坂から戻ってくる。島津家の力がなくても一揆を起こすには十分だ」

「おやおや、益田殿は、島津の使いにどうにか天草の保証を、と求めたと聞いたが?」

 善右衛門の言葉に、好次はニヤリと笑う。

「金がかかるわけでもなし、有利になることはいくらでも言っておいた方がいいだけでござるよ」

「ははは、違いない」

 部屋の中で談笑をしばらく続けているうちに、一人の女が走ってきた。顔には満面の笑みを浮かべており、誰が見てもいい知らせをもってきたのだろうということが分かる。

「甚兵衛(好次の通称)様、お生まれになりました、男の子です!」

「おお、真か?」

 好次も笑顔で立ち上がる。善右衛門もうれしそうな顔をした。

「一揆の前に待望の男子が生まれるとは…。これは吉兆ではないか?」

「そうだといいのだがな…、女子はいるが、男子は前の二人が早世しているからのう」

「今度は大きくなるさ」

「そうだといいのだが。名前は三郎としよう。天草三郎だ」

「はい。よね様もそう仰せでした」

「うむ。わしはもう少し善右衛門と話してから行く故、先に戻っておいてくれ」

 好次は使いの女を帰した。善右衛門が首を傾げる。

「上の二人がすぐに死んでいるのだし、次郎、三郎のような名前は良くないのではないか?」

「それならそれで神が所望しているのだと考えるしかあるまい。わしにできることは成人になる子が育つまで、頑張り続けることだけよ」

 好次は本当にそう思っているらしい、屈託のない表情で答えた。

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