第4話

 最後の戦いから十日が経った。

 この日、竹千代と国松を連れたお江与が駿府に到着し、お福の迎えを受ける。

 立花宗茂を取り込むことに失敗したと知り、お江与は落胆するが、いつまでも落胆してもいられない。年齢面で松平忠輝、松平忠直に見劣りするとはいえ、竹千代は前将軍の嫡男という正統性があり、譜代大名を中心に支持は高いし、外様大名の中にも竹千代を推す者はいる。

 そうした者を結束させて、更に支持を広げていくしかなかったし、駿府について以降、そうした者の面会も多く予定していた。

 立花宗茂の取り込みに失敗した今、お江与とお福が期待をかけているのは佐竹義宣と上杉景勝であった。

 上杉景勝と直江兼続の主従は、関ケ原でこそ敵対したが、その義理堅さ、独特の気風は健在であり、徳川家に臣従するとなった今はその気風からして裏切りは考えづらい。実際、大坂の陣でも特に冬の陣では少なくない武功を立てていた。夏の陣では京都の防衛に当たっており、直接的に加担していないが、仮に上杉軍が戦場にいたら違った結果になっていた可能性も否定できない。軍神とも称された上杉謙信の威光は半世紀を経てもなお健在であった。

 一方の佐竹義宣も、関ケ原では西軍寄りの立場に立っていたため、常陸を没収されて出羽・久保田に移転していた。領地も半分以下となってしまったが、その状況を何とか切り抜け、心機一転徳川家に対して貢献している姿勢には評価が高い。

 ただ、上杉景勝、佐竹義宣のどちらも人間性は高く評価できるものの、乱世に必要なずる賢さ、図太さという能力には欠けている。乱世の独眼竜・伊達政宗や、今、新たに羽ばたこうとしている前田利常と比較すると見劣りするところもあった。

 とはいえ、直江兼続から。

「今は確かに世情が乱れておりまして、多くの者が利を求めて動こうとするかもしれません。しかし、徳川家には重厚な譜代大名層が築かれておりまして、これは一朝一夕に崩れ去るものではございませぬ。利を求めて来た者は、利がないと去るものでございます。当面は耐えしのいで時間を稼げば、最終的には徳川家の譜代大名層の厚さが勝利へとつながるものでございます」

 と説明を受ければ、お江与もその気になる。お江与は徳川秀忠に嫁ぐ前には豊臣秀吉の甥である秀勝に嫁いでいたのであり、その頃に家の主であった秀吉が「直江山城に天下を差配させてみたいものよ」と言っていたこともよく覚えている。

「しかし、譜代大名の大半は、この15年ですっかり様変わりし、戦いでは役に立たぬ者が増えてしまいました。妾は心細いです」

「御台所様。それは対立している者とて同じです。全ての大名はこの15年間に徳川に臣従するという路線を身に染みて覚えております。なるほど、伊達陸奥守殿は依然として戦国の気風を漂わせております。しかし、宇和島にいる遠江守(秀宗)はいかがでしょうか。また、譜代大名の若い世代も満更捨てたものではないと思います」

「なるほど…」

 確かに酒井忠勝や松平正永など、竹千代に近侍している年少の者にも見どころのあるものは多い。

「年少者を育成し、筋を通した政を行えば、必ず勝てるものと思います」

「おお、直江山城殿、そなたの言葉を聞いて、妾は大いに勇気をもらいましたぞ」

 と、感激したお江与であったが…。



「…とはいえ、5年後の勝利のためにも、今を最低限に凌がねばならぬ。そのためにはどうしても手詰まり感が…」

 屋敷に帰り、冷静に考えるとまたぞろ不安が募ってきたようで、そわそわとし始める。

「御台所様、慌てても仕方ありませぬ。ここは心を静めてまいりましょう」

 一旦はお福に励まされて、心落ち着かせたものの、

「申し上げます。伊達陸奥守様が参られました」

 という家人の言葉にまた動転する。もっとも、これについてはお江与だけでなく、お福もびっくりしていた。

「伊達様が来られたと?」

「はい。いかがなさいましょうか?」

「いや、通さぬわけにはいかぬが…」

 一体何の用で来たのか、見当もつかない。

 ともあれ、面会を許可すると、程なく政宗が供も連れずに入ってきた。お江与を前にすると丁重に平伏し、頭を下げる。

「御台所様、ご無沙汰しておりました。伊達陸奥守でございます」

「ご無沙汰しておりました。この度は、伊達様にも大変苦労をかけました」

 動転していたお江与もさすがに将軍の妻だけあり、本人を前にすると開き直ったかのような威厳を見せる。

「とんでもございません。徳川家のためとあらば、例え火の中であろうと水の中であろうと」

「ありがとうございます。伊達様こと徳川家の柱石…」

 とお互い心にもないことを言い合う。

「本来ならば城でお休みいただきたいところではございますが、諸大名の訪問など雑事がございまして、御台所様をそうした雑用で煩わせるのもいかがなものかと思いまして」

「気にすることはございませぬ。この屋敷も非常に心地よいところでございます」

「そう言っていただけますと幸いです。それで本日でございますが、既に葬儀の日時については既にお知らせしていることと思いますが、出席者について改めて確認をしておきたく、参りました」

「うむ。妾と竹千代、国松、それに補佐役として一人つけてもよろしいであろうか?」

「問題ございません。既にお決まりでしょうか?」

「いや、まだ、考えておる途中じゃ」

「承知いたしました。こちらが他の出席者となっておりますので、お目通しいただければ」

 政宗は参列者の名前を連ねた書状をお江与に渡す。

「それでは、何かご不便なことがございましたら、遠慮なく伊達屋敷の方に申してください。失礼いたします」

 政宗は平伏して、そのまま出て行った。

 出て行ったことを確認して、お江与が渡された紙を投げ捨てる。

「何が、ご不便なことがあれば伊達屋敷の方に、じゃ! 妾は伊達の世話など受けるつもりはないわ!」

「まあまあ、御台所様」

 お福が投げ捨てられた書状を拾い上げる。

「お気持ちは分かりますが、腹を立てていても仕方ございませぬ。補佐役の方を誰にするか考えなければ…おや?」

 投げ捨てられた書状がわずかに開き、そこから一部の文字が見えた。そこに「立花左」とあり、お福は慌てて開いた。中を確認し、「あっ!」と叫び声があがる。

「どうしたのじゃ? 参加者など分かり切ったものであろう」

 政宗、忠輝一派に、越前から忠直と場合によっては忠昌、あとは存命の家康の息子徳川義直、徳川頼宣、徳川頼房あたりのはずである。

「そ、そうなのですが…、越前様の代理人が…立花左近殿と…」

「何!?」

 お福から書状を見せられ、お江与の顔も蒼ざめる。

「立花殿は先日、『竹千代様ほどではないが徳川家を支える方に仕える』と申しておりました。となると、立花殿は越前様に仕えることに…」

「ああ、何ということじゃ…」

 お江与は頭を抱えた。味方にならないことも衝撃だが、敵対する一派につくということが明らかになったことはもっと衝撃だったのである。

「ただ、越前様にはお勝様が」

 お福が言う通り、忠直の正室は秀忠とお江与の娘であるお勝であった。従って、かなり親密な一門ではあるのだが、お江与は安心しない。

「そうは申しても、あの人は越前宰相殿の子息ゆえ、何を考えておるか分からぬ。そもそも、殿を裏切ったのも他ならぬ前田であるし…」

 前田利常の正妻は娘の珠である。お江与にしてみると、息子に夫を殺されたようなものであった。

「そうですね…」

 お江与は溜息をついた。

 結局、忠直のことは信用できない。

「妾は誰に頼ればいいものか…」

 上杉景勝や佐竹義宣では物足りない。といって、秀忠の側近衆も心もとない。彼らは文才はともかく武力という点では全く頼りにならない面々ばかりである。

「譜代から選ぶとなりますと、四天王の家が候補となりますが…」

「本多と榊原はこの前の戦で揃って戦死したというではないか。酒井も敗走してしまったし…」

「まだ井伊様がおられますぞ」

 お福の言葉にお江与も頷いた。実際、指折り否定していって、お江与の頭に井伊直孝の真面目な顔が思い出されたのである。

「確かにそうか、井伊殿がおったな。うむ、井伊殿で行こう…」



 その井伊直孝。

 お江与と竹千代、国松が駿府にやってきたということで、翌日には屋敷へと顔を見せた。譜代大名としての義務でもあるし、反伊達政宗の立場として、竹千代・国松には頑張ってもらいたいという思いもあったからである。

 もちろん、直孝には自分が屋敷に来るまでに、お江与とお福が話していた内容のことなど知る由もない。

「おお、井伊殿、よう参られた」

 お江与は上機嫌である。

「去る大坂での戦のことは聞きました。本多、榊原、酒井の三家が見苦しい様になる中、井伊殿だけが四天王としての矜持を見せつけたと聞いております」

「滅相もございません。それがし、本来なら大御所様と前将軍様を守らなければならないところ、おめおめと討たれるのを見るだけとなってしまいまして」

「いえ、井伊殿は己の仕事をなしたと考えております。そのうえで、今後のことを考えたいのですが」

「今後のことでございますか?」

「うむ、来たる葬儀であるが」

「ははっ。それがしは参加叶いませぬが、徳川家のためになるよう布石を打ってはございます」

 去就定まらない忠直ではなく、立花宗茂が出るのだから、少なくとも伊達政宗の思い通りにはならないはずだ。そう自信をもって答える。

「…何を申しておる。井伊殿にも出てもらいたいのじゃ」

「はい?」

「妾と竹千代の補佐人として、是非とも出てもらいたい」

「……」

 直孝は一瞬平伏したまま固まった。そのまま顔をあげ、思わず問い直す。

「それがしが、でございますか?」

「うむ。井伊殿はまだ若いが、これからの徳川家を背負って立つ方でございます。どうか、竹千代と国松を支えてください」

「……」

 直孝は考える。

(これは非常に厄介なことになった…)

 直孝の心情はもちろん、竹千代と国松を輔弼することにある。従って、直孝の立場だけを考えればお江与の抜擢は名誉このうえない話であった。

 しかし、これで喜んでいられないのは、松平忠直の存在があるからである。

(それがしが彦根を離れれば、越前様は勝手気ままに行動されるのではないか)

 忠直が徳川宗家に忠誠心を持っていないことは明らかである。一方で、忠直にはどこか不思議な魅力があるのも事実であり、今後勢力を拡大していくことも考えられる。忠直が勢力を伸ばして、そのまま忠輝や政宗についてしまった場合目も当てられない。

 それを何とか押しとどめるのが自分の使命だと、ここ数日、直孝は勝手に考えこんでいた。いや、自分と宗茂で協力して、何とか忠直を徳川家のために働かせようと考えていたのである。仮に自分が彦根を離れて竹千代の腹心となった場合、宗茂一人で忠直を押さえられるのか、それが不安であった。もし抑えられなかった場合、自分が竹千代のそばにつくことが、かえって徳川の損失になりうる。

 もっとも、答えを待つ側はそうした直孝の考えには気づかない。

「井伊殿、何か不服か?」

 すぐに返事をしないことで、お江与が不思議そうに尋ねてきた。

「い、いえ、滅相もございません。身に余る光栄に、思わず身震いしておりました」

「そうでありましたか。どうか、竹千代と国松を頼みますぞ」

「ははっ…」

 直孝は結局、うまい言い訳を思いつかずに引き受けることになってしまった。

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