第3話

 駿府に来てからというもの、伊達政宗と松平忠輝は多くの大名と顔を合わせていた。一日に数回、その中には一度に数人と面会をすることも珍しくなく、誰とどんな話をしたのかもはっきり覚えていない有様であった。

「あと、わしのところに来ていないのは誰だ?」

 駿府城の天守で、片倉重長に問いかける。

「立花殿と藤堂殿です」

 重長が即答した。政宗はただただ会って、場合によっては酒食も一緒にしているので記憶がなおざりになっているが、重長はさすがにきちんと記録を取っているし、若い分記憶もしっかりしている。

 政宗の表情が少し暗くなる。

「そうか…、その二人か。一筋縄では行かないのが二人来ておらんわけだな」

「藤堂殿は慎重に人を見極めますし、立花殿は義理堅いお人ですから、前将軍に対する忠誠というものがあるのかもしれません」

 重長の言葉に、政宗は頬杖をついて考えこむ。

「その二人であれば、こちらから出向いた方がいいかもしれんな」

 そんなところに、忠直が登城してきたという報が入り、一同顔を見合わせる。

「…来ないと言っていたではなかったのですか?」

 忠輝は警戒感をあらわにするが、政宗はそこまででもない。

「いや、井伊掃部がわしのところに来て、やはり参列したい旨を伝えてきた。しかし、城まで来るというのは一体…」

「何か都合をつけて、お帰り願いますか?」

「いや、通せ」

 政宗が許可を出す。

「得体の知れないところはあるが、とりたてて怪しむべきではない男だと思う。断って、悪意をもたれて竹千代の味方をされたりするとまずい」

 忠直が「徳川家などどうでもいい」と話していたことを政宗は覚えている。

(その本音は偽りないだろうが、周りが置いておかぬから、多少考えが変わっているかもしれん。ただ、敵ではないはずだ…)

 程なく忠直が天守に上がってきた。

「おお、伊達殿、上総殿、忙しい時に申し訳ない」

 忠直は心底申し訳なさそうな顔で二人に挨拶をする。

「いえ、越前様こそようこそお越しいただきました」

「祖父家康が終の棲家としていたところじゃ。どのようなところか気になってしまってのう。邪魔はせぬようにするゆえ、何かしなければならないことがあるのなら、それがしに気を遣わずしていてくだされ」

(この男、本気でそう言っているのか、あるいは何かの企みがあるのか…)

 ともあれ、忠直が駿府城の見学をしているそばで話もできたものではなく、結局重長も含めて、三人とも忠直につきそうことになる。

「そういえば伊達殿」

「何でござろう?」

「駿府の町には、多くの大名が来ているようだが、あれは全員葬儀に参加するのか?」

「いえ、さすがに諸大名を入れていたのでは狭苦しくて大変でござるし、席次などでいらぬ騒ぎになるかもしれぬ。徳川一門衆のみとする予定じゃ」

「一門衆ということになると、伊達殿はどうなるのだ?」

「それがしは体調が悪くて長時間の列席は難しい、義父にはわしの代理という形で出てもらう」

 政宗の代わりに忠輝が答えた。

「左様でござるか。そこで相談なのじゃが、わしも代理を立てていいだろうか?」

「代理? 越前殿も体調面に問題でも?」

「そう申すこともできるが、本音を申すと伊達殿にも申した通り、わしは葬儀そのものには関心がないのじゃ。ただ、わしと違って本心から家康・秀忠のために葬儀に出たいという人がおってのう。わしもその人のことを立てたいゆえ、代理という形で何とかならぬだろうか?」

 政宗と忠輝、重長が顔を見合わせる。忠輝が答えた。

「越前殿が是非にというのであれば、構わぬが、一体誰を?」

「立花左近殿なのじゃが」

「立花…!?」

 忠輝が思わず大声をあげそうになり、慌てて口を手で押さえる。

「伊達殿と上総殿のような血縁というわけではないのだが、どうだろう?」

「越前殿は何故、立花殿を代理に?」

「わしは立花殿を尊敬している。わしは葬儀に出たくないが、立花殿は出たいと思っている。なら、わしの代わりに立花殿が出れば万事解決と思った次第でござる。こういう事情ゆえ信じてもらえぬ部分もあるだろうが、何とかならぬか?」

 忠輝はさすがに回答に窮したようで政宗に助けを求める視線を向けてきた。政宗も簡単には答えられず、しばらく考える。

(わしらを謀っているようには見えぬ。ということは、本音なのだろうか?)

 とはいえ、この状況で、伊達・忠輝側からすると厄介な人物の一人、立花宗茂を代理に立てたいというのは怪しむべき状況ではある。

(しかし、断ってしまうのはまずい)

 忠直は政宗側に対して敵意ある態度は一切示していない。断ってしまって、変に譜代大名側に立たれてしまっては今後色々やりにくくなる可能性がある。

「…相分かった。越前殿がそこまで言うのならば…」

 結局、認めるしかなかった。忠直は「おお」と顔を輝かせる。

「本当か? 伊達殿、かたじけない」

「葬儀の後に新当主を決めたいとも思うのですが、そちらにも立花殿を?」

 忠直が「おっ」と声をあげた。全くそうしたことを考えていなかったらしい。

「それで構わぬのであれば、わしとしてはそうしたい」

「越前様も次の当主を要求することはできるのだが、不在となると仮に立花殿が主張されたとしても認められないことになる。それでも立花殿を?」

 政宗の指摘に忠直が笑った。

「伊達殿、以前も申した通り、わしは徳川家のことはどうでもいいし、家督が欲しいとも思わぬ。立花殿もわしのことは分かっているだろうし、そんなことは申さぬであろう。それがしにとって次の当主は誰でもようござる。何ならこの場で誓紙を出してもかまわぬ」

「いや、そこまでしていただく必要はござらぬが…」

 数日前まで、政宗は松平忠直を思慮の浅い男だと侮っていた。

 今、政宗は忠直のことを不気味に感じ始めていた。

(思慮が浅いだけなのかもしれぬが、何やら得体の知れない男に見えてきた。とんでもないうつけものなのかもしれぬし、逆にとんでもない器の持ち主なのかもしれん)

「越前様、用事があるゆえ、少しだけ中座させていただくがお許しを」

「おう、構いませぬぞ。見て回ったら勝手に帰りますゆえ」

「いや、終わった後、越前様にも話したいことがあるゆえ」

「…? 承知した」

 政宗は二人を引き連れて、一旦別室へと移動した。重長が首を傾げる。

「殿、どうかされましたか?」

「いや、今後の方針を越前殿に聞かせておいた方がいいかどうか、聞きたくてな」

「越前様は何もしないと申しておりますが」

「だが、立花宗茂を立てる以上、ここで今後の話をすれば宗茂には伝えるはずだ」

「こちらの思惑を伝えてしまうと、相手に反論の準備を与えることになりませぬか?」

 忠輝が反対する。重長は少し考え、ポンと手を叩いた。

「殿は、教えた方がいいとお考えなのですね?」

「うむ」

「それがしも、教えてしまった方がいいかもしれないと思えてきました」

 重長が賛成した。忠輝が不満げに「何故じゃ」と問いただす。

「つまり、立花左近殿が葬儀と後継決定の場に来るとしたうえで、その場で初めて我々の意見を披露した場合、立花殿もその場で自分の判断から意見をする可能性があります。何かしら反対意見を出してくるかもしれません。しかし、これをあらかじめ越前様から聞いていた場合はいかがでしょう?」

「何か違うのか?」

「違います。立花殿は越前様に、葬儀に出させてもらったと恩を感じているはずです。越前様から話を聞いた場合、余程のことは別として、基本、越前様の考えに従うようにするでしょう」

「立花左近は義理を大切にするからな。越前様の顔を潰すことは絶対にしないはずだ。ということは、越前様に伝えておけば、わしらの意は大方通る。もちろん、越前様が反対するようなことであれば話は違うが」

 政宗はにやりと笑う。

「徳川家はどうでもいいという越前様にとって、反対するような内容ではないはずだ。逆に越前様がここで食いついてくるようなら、言動とは別に徳川家に野心を持っていることになる」

「越前様が我々の敵でなければ、少なくとも立花左近殿も敵ではありません」

「ふむう。何となく分かったような、分からんような話ではあるが、義父上と重長が良かれと思うのなら、わしも反対するところはない」

「よし、話はまとまった。越前様に伝えることにしよう」

 政宗は再び二人を連れて、城を見学しているはずの忠直を探しに行った。


 忠直は天守に保管されてある槍や火縄銃を手にしていた。

「ふむう。ほぼ天下を制圧していたはずであっても、このようにしっかりと敵に対する備えをしていたわけなのか。さすがは海道一の弓取りと言われただけのことはある。そんな人でも、あんな有利な戦いで死んでしまうことがあるのだのう」

 思いに浸っていると、下の方から足音が聞こえてきた。政宗達がやってきたのだろうと考え、武器を下ろして忠直も下に降りる。

「こちらにいましたか」

「いやいや、天下人となったはずの祖父がどこまで防戦の準備をしていたのだろうと興味がありまして、な。それで話とやらは?」

「こちらでは何ですので、茶でも飲みながら」

 三人に案内され、忠直も客間に入った。言われた通り茶を出され、話も切り出される。

「さて、将軍位は多分竹千代様のものとなるかと思うのですが」

「伊達殿がそう言われるのであれば、そうなるのではなかろうか?」

 忠直には興味がない話である。

「その後、問題になることがございます」

「まさか越前にいるそれがしとは言わないだろうな?」

 忠直の冗談に、政宗も苦笑する。

「征夷大将軍位です」

「ああ、祖父も父も戦死していて、それで将軍を名乗るのはどうなのかというわけか」

「はい。大坂方も出させないようにするでしょうし」

「確かに、竹千代が征夷大将軍になって、徳川家が結束すれば大坂方にとっていいことはないからな」

「従って、我々としては大坂方に譲歩する必要があります」

「ふむ。豊臣秀頼にも関白を認めるのか?」

「場合によっては。ただ、大坂方も官位のみではなく、実利的なものも求めてくるでしょう」

「実利的なものということは領地か」

「はい。大坂に近い場所を。具体的には大和や紀伊あたりを想定しております」

「大和は徳川家の所領であるから問題ないと思うが、紀伊を譲れば浅野家はどうなる? 浅野長晟に叔母上が嫁ぐのではなかったか?」

 紀伊の浅野家は元々豊臣秀吉の一門衆という家系であったが、現当主・長晟の兄幸長は徳川家康との親交を深めていた。幸長の娘は徳川義直に嫁いでいるし、もう一人の娘花姫がほかならぬ忠直の弟忠昌に嫁ぐ話も進んでいた。更に家康が死ぬ以前には、家康の三女振が長晟に嫁ぐ話も進んでいた。

「元々、徳川家では浅野家にはもう少し別の所領を与えようという話が進んでござった。領地移転であって、改易などの憂き目を見るわけではござらぬ」

「それならいいが」

「小笠原殿が戦死したので、その所領を移したりして都合をつけたいと思っておる」

「そういうものか」

 小笠原秀政は先日の戦いで、榊原康勝、本多忠朝と共に真田隊によって壊滅させられており、忠朝と秀政は戦死し、康勝も明日をも知れぬ状態である。

(戦死したのをいいことに、所領を削るのはいかがなものかな)

 と思わないでもないが、そうしたことには口出しするつもりはない。

「移すのであれば、本多家もそうではないか? 榊原家もかもしれないが」

「ただ、彼らは四天王の家ゆえ」

「徳川を守らぬ四天王などご利益もないから、有難がっても仕方あるまいて」

 その気はなくても、忠直はどうしても徳川譜代には辛口の言葉になる。

「大和・紀伊、官位での妥協という点で豊臣から了承を取り付けて、征夷大将軍位を認めてもらいたいと考えております。いかがでしょうか?」

「いかがでしょうかと言われても、な。別に構わぬのではないか?」

「そう言っていただけると何よりでございます。ただ、立花殿は考えが異なるかもしれませんので、当日、余計な時間を費やすことがないよう、あらかじめお伝え願えないでしょうか?」

「分かった。構わんぞ」

 忠直は即答した。そこに思惑があるなどということは考えることもなかった。

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