第10話 宗茂、小倉に入る
熊本城が降伏したという報告は、すぐに高鍋にいる島津家久にももたらされた。
「よし、すぐに向かう。処遇は待て」
家久はすぐに馬を使い、供を連れて熊本へと向かう。途中、高千穂宿で樺山久高からもらった書状の返事をしたためて、先行させた。
熊本陥落から八日後、樺山久高に家久の返信が届く。それを持って、久高は熊本城に入った。忠廣や清浄院をはじめ、全員、生活は問題なくできているが島津方の監視を受けている状態である。
「殿からの指示が参った。まず、忠廣様」
「はい」
「詳細は殿が来られたからとなりますが、当面は鹿児島で生活してもらうことになります。清浄院様も同じく。ただし、徳川家からの交渉には応じる予定です」
「そうですか…」
「加藤右馬允(正方)及び加藤美作守。その方らは、加藤家を壟断し、悪戯に領内を疲弊させた罪許し難いとして切腹の沙汰が出ております。代わりにその他の者については今後島津家で働きたいのならば従前の待遇で迎え入れ、嫌だというのであれば三日以内に熊本を出ることを許すとしております」
「……」
加藤正方と美作守、揃ってがっくりと肩を落とした。
「以上。島津に従うか否かについては、ゆっくり考えなされ。それでは右馬允殿と美作守殿はこちらへ…」
久高は礼儀に則り、二人を別室へと案内した。そのまま、家久が到着するまでの五日間、軟禁するのであった。
「飯田殿」
ひとしきり処置が完了すると、久高は二の丸に自主謹慎している飯田角兵衛を尋ねた。
家久の方針を伝えて、角兵衛にも出るも残るも自由と伝える。
「我々島津としては、貴殿のような戦上手には下ってもらいたいのではあるが」
「……」
「もちろん、強制はしない。貴殿の動向で何かが変わることはないゆえ安心されよ」
「かたじけない」
角兵衛は溜息をついて、城の外を眺めた。
「清正様もわしも…」
「うん?」
「清正様も、わしも、一揆だの国人だのは全て武士になれない弱い者達と思っていた。しかし、一揆は強いのう…」
「そうでございますな」
「わしは隠居したいと思う。この肥後で、つつましく清正様を弔いたい。隠居の身分として、島津様に協力することがあるのなら、それは協力いたそう」
「左様でござるか」
指揮官としての角兵衛を評価している久高としては残念な言葉であった。しかし、肥後でなら島津に協力するという申し出は悪くはない。
(去られるよりは、良いか…)
五日後、島津家久が肥後に到着すると、早速、加藤正方と美作守を引き出した。
「その方ら、加藤家の政治を専断するのみならず、党派抗争に明け暮れて城主忠廣をないがしろにしたその罪、許し難しものがある。本来ならばその方らだけでなく、国を乱した輩全員を処断したいのであるがそれでは今後の肥後が成り立つまい。よって、代表者としてその方ら二人の切腹を命じるものとする。武士として、見事、果てよ!」
家久の文句を、久高や増田好次らも聞いているが、殊勝に聞いている肥後の面々と異なり、久高の表情はやれやれというものがある。
「どうされました?」
好次がそんな久高の表情に気づいた。
「いや、殿の申されることは正しいのだが…」
「はい」
「殿が申すと、どうしても、ただ虐めたいだけに聞こえてしまうから困ったものよ」
「…今の言は、聞かなかったことにいたします」
好次が苦笑して答え、久高は「あっ」と口をつぐんで「すまぬ」と頭を下げた。
「その他の者共よ。わしはそなた達を許したわけではないぞ。あくまで、肥後の者達のために、お前達の罪は一旦保留とすることにしただけだ。生まれ変わったと思い、主に尽くし、下に優しき態度になるように」
「随分と立派ではございませぬか」
話をまともに受け取った好次が感心している。
「いや、あれは我々にも言っているのでござるよ。奴らは何を言われても反論できぬゆえに好き放題申しているわけです」
「なるほど…」
最後に忠廣と清浄院が入ってきた。
「加藤殿及び清浄院殿。我々は不幸にして対立してしまったが、恨みがあるわけではない。お二方の生活については不自由なきよう、この島津家久が請け負うゆえ安心するがよい」
「殿は自分の掌中に収めた者についてのみ、優しさを示すことがございますが、これなどまさにそれでしょう」
「とても自らの主君に対する言葉とは思えませんな」
忘れなければならない言葉が増えて困るとばかりに、好次は肩をすくめた。
豊後・府内に立花宗茂が到着したのは7月13日。熊本城が落ちた日であった。
したがって、宗茂の下にはまだ正確な情報は届いていないが、熊本城がもちこたえる可能性は低いと考えていた。
(ともあれ…)
宗茂は、府内では挨拶だけをするとすぐに小倉に向かった。そのまま細川忠興に面会を求める。
「これは立花殿」
「江戸では松平越前様を九州郡代として任命し、その補佐役としてそれがしをつけられた。過去のいきさつは色々あったかもしれぬが、しばらくはそれがしに従ってくだされ」
「承知しております。むしろ、立花殿のような援軍を待っておりましたので、願ったりかなったりです。我々の目上として越前様が来るというのも非常にありがたい話です」
「うむ。それで、それがしはまず先行して参りましたが、この後、越前様も九州に参られます。そのためにはどうしても豊後水道を確保しなければならないところではございますが、豊後には小身の者しかおらず極めて危険な状態にございます」
「小倉から救援の兵を差し向けよ、ということでありますな。ただ、周防の毛利家もいるので迂闊に兵を出せない事情があるのですが」
「黒田殿もいる以上、毛利もすぐには北九州には攻め込みません。むしろ、中国統一を優先し、その後、丹波の方に向かうはずです。今はとにかく越前様を無事に九州にお越しいただくことが優先でございます」
「分かり申した。立花殿がそう考えるなら、従おう」
「府内に向かう別動隊はそれがしが指揮します。15年前は父の仇討ちの機会を逃しましたが、今回は果たさせてもらいたいものですな」
宗茂の実父高橋紹運は30年ほど前に岩屋城で島津軍の攻撃を受けて戦死しており、島津家は宗茂にとって仇にあたる。その後、仇討の機会は15年前、関ヶ原の後にあった。敗走する島津義弘が立花宗茂と共に退却することになったのである。この時、少数の島津軍を潰すことは容易ではあったが、「それは信に反する」と宗茂は義弘に手を出さなかったのであった。
「黒田殿と鍋島殿ら肥前の大名はどうすれば?」
「肥前の者については切支丹の一揆軍に対処してもらいます。黒田殿もその支援をしていただく一方、毛利に対する最低限の警戒はしてもらいます」
「つまり、細川の半分と黒田の半分で毛利を警戒するということですな」
「ご不満ですか?」
「とんでもありません。ようやく、我々北九州の者が統一して動けるようになったと安心しております。しかし、立花殿は先ほど豊後の防衛にあたると申されていたが、島津は豊後に来るのでしょうか?」
「来ます。熊本を取れば、一揆軍は島原の一揆の支援に向かうために柳河か佐賀を攻撃するはずです」
「柳河…そういえば筑後はいかがでござろう?」
「筑後については、田中殿がおりますゆえ…」
「寝返ると?」
「いえ、寝返ることはないでしょうが、切支丹の統制をしきれないと思います」
「国が二分されるということでござるか」
忠興の問いかけに宗茂は頷く。
「おそらく、田中殿は逃げるしかなくなるだろうと思います。ただし、我々が反撃するときに田中殿は必要なお人。鍋島殿か黒田殿に何とか保護してもらいたい」
「分かりました」
その日のうちに宗茂と忠興は連名で何通かの書状を作り、福岡の黒田家、佐賀の鍋島家他へと送りだした。
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