岡山の戦い
第1話
伊予・松山。
ここは賤ケ岳七本槍の一人である加藤嘉明の領地であった。もっとも、加藤嘉明は大坂の陣に東軍方として出陣しており、今は嫡男の明成が松山城の責任者となっていた。
この明成、とにかく大きなことをやりたがる性質であり、それを家臣から不安がられている部分もあったが、若者は多少向こう見ずなくらいがいい、と嘉明は深刻には受け止めていなかった。
5月23日には、松山に、福島家が毛利軍の前に敗戦し、安芸更には備後からも撤退したという情報がもたらされた。
自然、加藤家にも緊張は走る。安芸と伊予は瀬戸内海を渡ればすぐである。
戦国時代には毛利家は伊予の方にも頻繁に進軍してきていたし、何より加藤家も関ケ原の折には毛利軍の進攻を受けている。この時は佃十成の奮闘と、関ケ原で東軍が勝ったことにより撃退することができたが、今回は大坂の陣で東軍が敗戦しておりその動揺の中で迎えることになる。
佃十成も顔色は浮かない。関ケ原の時と状況が違うこともあるし、何より当時から15年経過しており齢六〇を超えている。
「殿を抜きで守り切れるかどうか…」
もちろん、近隣諸藩に応援は求めている。今治の藤堂家、宇和島の伊達家、大洲の脇坂家、高松の生駒家、土佐の山内家である。
とはいえ、藤堂高虎は七年前に津に移転しており、今治まで来る見込は小さい。伊達家は前年に宇和島に来たばかりでまだ地盤がしっかり固まっていない。高松や土佐は距離が遠いし、土佐は徳川家の敗戦により旧長宗我部藩士の動きが活発化しているという報告が入ってきている。
「まともに頼りになるのは脇坂家のみか…」
脇坂家も大坂の陣に出向いてはいたが、指揮をとっていたのは当主安治の息子安元であり、安治は大洲に残っていた。賤ケ岳七本槍の一人、安治の存在は心強いものがある。
このように、伊予・加藤家では応戦の準備を着々と整えてはいたのであるが、程なくしてそれが根底から覆されることになる。他ならぬ城主代理明成の手によってであった。
「な、何と申されましたか?」
大広間で唖然とした表情になっているのは、佃十成と並ぶ加藤家の重臣足立重信であった。
「うむ。どうせなら毛利と一緒に付近に攻め込んだ方が良いとは思わぬか?」
明成はあっけらかんとした様子で繰り返す。
「ご冗談でもそのようなことは…」
「冗談ではない。わしは本気だ」
明成は手元にある地図を取り出し、畳に放り投げる。
「毛利家がこのような動きをするとあれば、九州も大変なことになるであろう。勝ったものは大身を抱えることになる。わしらだけが小さな領地にこだわって、守り続けるのは馬鹿馬鹿しくはないか?」
「しかし、この領地は殿が徳川家に忠勤を尽くしたことで、得た領地でございますぞ」
「それは分かっておるが、父は永遠に徳川家に仕えていたわけでもあるまい。元々は豊臣家に仕えていたところを、徳川が勝つと思って徳川家に乗りかえたのであろう。これから先、徳川家が勝ち続けるかどうかわからぬのに、仕え続ける必要があるのか?」
重信は黙り込んだ。
その不安は確かにある。徳川家が落ち着くまでどの程度の時間がかかるのか。関ケ原の際には決戦が一日でついてしまったがために早期に決着した。しかし、今回は大坂での戦いの後、徳川と豊臣は一旦休戦してしまっている。従って、徳川優勢の状況を取り戻すまでには一年くらいかかる可能性がある。そもそも徳川家が優勢なままで居続けられるかという保証もない。
「ただ、現在、殿が徳川家諸将と共に行動していることもお考えください」
仮に明成が反徳川の立場を鮮明にした場合、嘉明の立場はない。立場がないだけならともかく、裏切り者として斬られてしまう可能性もある。
明成もさすがに父の命のことを言われると、少しは考えざるを得ないようで顎をしごく。
「そうか…。確かに父を見殺してしまったなどと言われてしまうと、信望を得られぬのう…。だが、今、毛利と事を構えるのは損だと思うのだ」
「…一理はございます」
現状、四国の諸大名は徳川方について戦う、と重信は考えている。
しかし、明成のように考える者がいたとしても不思議ではない。その場合、毛利との最前線で兵力や物資を損耗することは好ましくない。自分達が徳川家のために尽くした挙句に、別の寝返り者に美味しいところを取られてしまうのであっては溜まったものではない。
「…不戦の申し出をしましょうか」
「できるか?」
「…分かりません。毛利が本気で伊予を狙っているならば受け入れられぬ可能性もございます」
「その場合は、毛利と事を構えるしかないということか」
明成は落胆したように言う。
「いえ、その場合は殿と佃殿が病ということにして、他の大名を最前線に立たせましょう」
重信の提案に明成は「なるほど」と頷く。
「良かろう。では、その線で進めてくれ」
「ははっ」
その日のうちに足立重信は佃十成に伊予加藤家の方針を説明した。最初は難色を示していた十成であったが、「我らが頑張った結果、他家が果実を貪るのはいかがか?」と言われると反論できなくなる。「よきにはかろうてくれ」と方針の変更を認めたのであった。
25日には広島城の吉川広家に早馬が届く。
「殿からの書状ですか?」
清水景治が尋ねた。
「いや、伊予の加藤家からのものだ」
「伊予加藤家?」
「ふむ…」
読んでいるうちに広家が笑みを浮かべる。
「伊予加藤家は毛利とは事を構えたくないということらしい」
「ほう?」
「現状、すぐに行動を起こすことはかなわぬが、なるべくなら毛利と行動を共にしたいとも述べておる」
「ははあ、東軍諸将に交じっている嘉明殿のことがあるということですな」
「おそらくは」
「…はて、そういえば、右京太夫様と左介様は…?」
景治は首を傾げた。右京太夫とは毛利秀元、左介とは吉川広家の嫡男吉川広正のことである。この2人は共に大坂の陣に東軍方として参戦していた。この2人がどうなっているかということについて、景治は何も聞いていない。
「輝元殿からは特に何も聞いてはいない」
「えっ、それでは…」
景治が表情を変える。ここまで堂々と反徳川の姿勢を明白にしてしまった以上、秀元や広正が東軍諸将についていた場合、人質や斬罪に処せられる可能性もあるのではないか。
広家は全く動じる様子がない。
「聞いていないということは、何らかの対策をしているのであろう。元盛を大坂に送り込んだのは輝元殿と秀元殿なのだからな。当然、大坂方が勝った場合に採るべき対応も決めているであろう」
「しかし、左介様は…」
「うむ。ひょっとしたら知らぬかもしれぬ」
「そ、それでは…」
「そうだとしてもやむをえまい。戦の習いだ」
「さ、左様でございますか」
「それはそれとして、この書状にはどう返事したものかな」
「承知した、のみでよろしいのでは?」
「そうするか」
広家は景治の意見を受け入れる。
実のところ、広家はこの時点で伊予方面に侵攻することは全く考えていなかった。これは広家だけではなく、毛利家全体としての戦略であった。
四国は元々四国内部での争いが激しいため、仮に四国の拠点を取ったとしてもそこを巡って四国で堂々巡りになる可能性が高い。長期戦になることは必至で、それでいて勝った後の実入りが大きいわけでもない。また、伊予の一部以外は毛利家が領有した場所でもないので優先度はどうしても低くなる。
一方、備前・備中は最盛期には毛利家が領有していた場所であり、生産力も高い。
しかも、現状、こちらの方が攻めやすいと広家は考えていた。
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