第2話
5月の萩城に遡る。
輝元の決意を受け、広家は彼なりの天下への計画を輝元に語る。
「まず、最初は安芸・広島に攻め込むことになりましょう」
広家の言葉に輝元も頷いた。
「うむ。わしもそれしかないと考えている。その次はどうしたらいいだろうか?」
「石見は物の数ではありませぬので、それがしにお任せください。四国は小大名が多く、時間がかかる割に実入りが少ないですので後回しでいいでしょう」
「となると、備中から備前に攻め込むか、北九州となるな」
「九州については同格の外様大名が多いですので、一旦様子を見た方がよろしいでしょう」
「備前・備中か。しかし、隣の姫路も含めて池田家の所有だ。勢力的にはこちらに分がないのではないか?」
関ケ原の戦いの後、池田輝政は播磨・姫路五二万石を領有し、更に息子二人に備前岡山二八万石、淡路六万石が与えられ、更に輝政の弟の長吉も六万石を与えられるなど西国に九〇万石以上の領地を保持していた。
毛利家にとっては福島家の領有する安芸・備後を加えてようやく相手となるかという相手、輝元は池田家をそう認識していた。
「逆でございます。今であれば勝てます。来年になると難しくなるでしょう」
「ふむ。聞かせてもらえるか?」
「無論でございます。まず、鳥取の池田長幸でございますが、こちらは大火が起きるなど領内の維持に四苦八苦しております。およそ物の数にはならないでしょう」
「だが、鳥取の長幸は小身だからな」
「次に播磨・姫路でございますが、こちらは民の疲弊が相当なものとなっております。姫路城はなるほど天下の要害にふさわしい城として建てられたようでございますが、そのための賦役で領民は大いに苦しんでいるとのことにございます。加えて、藩主利隆は弟の忠継の有する岡山藩の管理にも忙殺されており、更に大坂にも出陣するなどまさに八面六臂でございますが、そのために体調を崩しがちになっているとの噂でございます」
「しかも、その忠継まで死んでしまったからのう」
「左様でございます」
二年前に亡くなった池田輝政には、利隆、忠継、忠雄という三人の大名となった息子がいた。このうち、忠継と忠雄は徳川家康の娘である督との間の子であり、当然、徳川家からのおぼえがいい。事実、幼少でありながら忠継には備前岡山が、忠雄には淡路洲本が与えられていた。
ところが、このうち、忠継の方はまさに本年二月に亡くなっていた。
「しかも、母の播磨御前(督)も亡くなっておりますからな」
「例の噂はさすがに嘘であろう?」
輝元の言う、例の噂というのは、二人が相次いで亡くなったことから伝えられたものであった。
それによると、督は自分が産んだ息子である忠継と忠雄に池田氏を独占してほしいと願っており、義理の息子である利隆を疎んじていたという。それが長じて、利隆を毒殺しようと毒入りの饅頭を食べさせようとしたところ、それと察知した忠継が異母兄を守るために自ら毒饅頭を食べて死んでしまったというのだ。これを見た督は自らの浅はかなの行動に恥じ入り、その毒饅頭を食し、結果二人が相次いで亡くなったという。
広家は苦笑した。
「詳細までは分かりませんが、忠継は岡山、播磨御前は二条城で亡くなったと聞いておりますので、さすがに違うでありましょう。しかしながら、そのような噂が立つくらい、領民が動揺しているということも事実でございます。それこそが備前・備中を攻めるべき理由なのでございます」
「ふむ。池田氏は姫路城の建築から、宰相輝政の葬儀などに伴う行事、一門衆としての大坂への出兵など負担が続いているからのう」
「更に申しますと、最近、池田家で亡くなっているのは噂になっている二人だけではなく、家臣も次々と亡くなっているという話がございます」
輝元がハッとなった。
「痘瘡か」
「おそらくは」
「そうか。流行り病に苦しめられているところを攻めるは気の毒ではあるが、これもまた運かもしれぬのう」
「従いまして、今、攻めたならば、池田家は岡山城に立て籠る以外手の打ちようがないかと思います。輝元殿が真に天下を取るならば、半年のうちに岡山のみならず姫路まで切り取ることができるか、これに尽きると思います。姫路まで切り取れば、出雲などは向こうから落ちてくると思っても良いかと思います」
輝元が膝を叩いた。
「よく分かった、広家。そなたの考えに従うこととしよう」
5月28日、毛利輝元は萩から広島へと移ってきた。
「わしが手がけた広島城…。福島が見事完成させたものよ、のう」
広島城を一望し、輝元は嘆息を漏らす。
「わしではここまでの城は築けなかったろう」
「うまく福島殿に預けたということですな」
老臣の益田元祥が笑いながら言う。
「吉川殿と清水殿は二日前に東に向けて出立したということでございます」
「そうか。少しくらいは労ってやりたかったが…」
「代わりにと申しては何ですが、内藤殿が戻ってきているようです」
「おお、そうか。すぐに呼んでくれ」
輝元はすぐに広島城の広間へと入り、内藤元盛を待った。
程なく、元盛が現れた。小奇麗な恰好をした姿に輝元は目を見張る。
「随分と小奇麗な恰好をしておるな」
「ははっ、これまでずっと働きづくめであったため、本日、ようやく人心地ついて髷や髭などをさっぱりさせてまいりました」
「そうであったか。大坂での活動、それに安芸国内での活動と誠に大儀であった」
「とんでもございません。すべて主家のためでございますから」
「そなたのおかげで、わしも最後の勝負を打つことができた」
「恐れ入ります。吉川殿と清水殿は備前へと向かわれたとのことで、そろそろ右京太夫様とも合流しておりましょうか」
「…?」
輝元がけげんな顔となる。
「どういうことじゃ?」
「はっ。大坂に向かわれた軍勢でございますが、大坂まで間に合わず、10日の時点で摂津西宮におりまして、それがしも挨拶をした次第にございます」
「待て。どういうことだ」
輝元は驚いた。
無理もない。大坂に向かった毛利秀元、吉川広正、毛利秀就らの軍勢はてっきり徳川軍と行動を共にしていると思っていたのである。もちろん全員、内藤元盛を大坂方の方に派遣しているのであることは知っており、間違っても一緒に処断されるようなことはない、と心配はしていなかったのであるが、そもそも大坂にいなかったとなると全く話が変わってくる。
「10日に西宮におって、今、何日だ? 28日だぞ。奴らは一体、どこをほっつき歩いておるのだ?」
「さ、左様にございます、な…」
内藤元盛も、まさか連絡を取っていないとは思わなかったのであろう。目に見えて慌てる。
「まさか…」
輝元は以前のやりとりを思い出す。
徳川家から毛利家への出陣に際しては、尼崎、西宮あたりまで進軍するべきというものであった。おそらく、必要があればそこから更なる命令を受けて進軍するものであったと考えられるが。
「まさか、あやつら、次の命令が来るまで西宮でずっと待機しているというのではなかろうな」
大坂では徳川家が大敗し、大半の大名は葬儀などもあるため東へと向かい、一方で将兵達は国許へと帰還しているはずであった。
ところが、毛利軍は西宮にいたため、そうした事情が分からない。大坂方もしばらくは戦いではなく外交措置によって何とかしようと考えているため、摂津に滞在している毛利軍の存在に気づかない。一方、萩の輝元としてみれば、事態の急変もあるし勝手に判断して戻ってくるだろうと思っており、敢えて次の指示を出すこともない。
結果として、毛利軍は西宮で律儀に次の命令を待っているのであるが、誰も指示を出さないため延々と無為に過ごしている、そういう状態なのであった。
(秀元は優秀ではあるが、あれも広家に食い止められて何もしなかったからのう…)
毛利秀元は政務家としての評価は高いが、戦場では未知数である。いや、関ケ原の際に南宮山で吉川広家に押しとどめられて、結局戦いに参加することはなかったなど消極的なところがあった。秀就と広正はまだ若く、そうした判断ができるような年齢ではない。
「…広家に伝えてくれ。西宮におる馬鹿共に戻ってくるように伝えよと」
輝元はがっくりと頭を落としそうになるのを、何とか手で支えて指示を出す。
「承知いたしました」
元盛がすぐに手の者に命じ、脱兎のごとく走っていった。
「だが…」
一度は落胆した輝元であるが、ややあって考え直す。
「手つかずの秀就・秀元らの兵が東から姫路・岡山方面へ合流できると考えると、広家や景治ならうまく使ってくれるのではないだろうか」
「そうなることを願うばかりですな」
元盛もさすがの事態に慌てたのであろう、額から出る汗を拭くことしきりであった。
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