第6話
6月3日。
僅かな手勢を連れて一足先に姫路へと戻ろうとしていた池田利隆であったが、その進路は途中で妨げられており、現在、摂津・尼崎に待機していた。
その理由は、ひとえに西宮にいる毛利軍の存在である。
「こんなところまで毛利が…」
と、池田利隆が愕然となった一軍こそ、大坂を目指して出発し、西宮で無為な時間を過ごし続けていた毛利秀元、秀就、吉川広正の軍であった。
「毛利め、本能寺の時の失敗があるから、徹底的に姫路を包囲しようというのか」
もっとも、池田利隆には彼らがいる理由が分かっていない。利隆は単純に毛利が徹底した包囲戦を敷いていると勘違いしたのである。とはいえ、西から攻めてきた敵の別部隊が城の東側にいる場合、それを包囲網の一角と捉えるのは自然であり、利隆が間違っているとは言えないのであるが。
ここで利隆が言った本能寺の時の失敗というのは、明智光秀と毛利家の連絡が成り立たなかったことをいう。織田信長を討った明智光秀は、毛利家と連絡を取り羽柴秀吉の部隊を挟撃しようとしたが、どうしたことか、光秀の書状をもった密偵が間違えて羽柴陣営に飛び込んでしまったのである。
この光秀の密使によって、信長の横死を知った秀吉は毛利との和睦を急ぎ、結果、備中若松城主清水宗治(景治の父)らが切腹する条件で停戦すると、急ぎ畿内へと戻っていった。結果、光秀の予想をはるかに上回る速さで畿内に戻り、これにより光秀の天下は三日天下と終わった。俗にいう大返しである。
毛利家は和睦直後に信長が死んだことを知り、秀吉に謀られたことを知ったが、この時、小早川隆景が吉川元春らを制止して事なきを得た。ただ、仮に密使が毛利家のもとにたどりついていた場合は、秀吉の運命は全く違ったものになっていたであろう。
実際には、西宮の軍にはそうした教訓などは全く生かされていないどころか、失態の連続によるものであるが、ともあれ、西宮にまで包囲が及んでいる以上、姫路に直接入るのは無理である。
姫路に入れない以上、できることは幕府の援軍を待つか、親戚である長幸の治める鳥取に向かい、そこから進軍するかのどちらかである。
(幕府の援軍を待っていては、池田は役立たずと思われてしまう。ここは鳥取に向かうしかない)
そう考えて、利隆はその日のうちに山陰方面へと進路を変えた。
一方、毛利秀元、秀就、吉川広正らがどういう状態かというと。
彼らもまた、途方に暮れていたのである。
彼らが西宮に待機していた理由は、輝元が予想した通り、状況が分からないので、次の指示がどこかから来るまで動かないでおこうというものであった。そのまま、東に西へと情勢が変わる中、半月以上西宮に待機していたのである。
もっとも、この間、京都・伏見にいる福原広俊とは連絡を取っている。しかし、福原広俊は前年の内藤元盛が大坂入りした件で吉川広家とともに輝元に反発し、引退した者である。大坂方が勝利したという予想外の事態が発生したことは広俊の理解を超えた出来事であり、適切な返事が出来なかった。そのため、秀元達はますますやることが分からずにその場での待機を続けることになった。
それでも、萩へと連絡をとる方法もあったはずであるが、もたついているうちに東軍諸将が東へ向かったという情報が入ってきて、完全に出遅れた形になってしまった。その説明をするに際して、三人の間で「誰の責任か」という問題が起こり、更に滞在日数を延ばすことになってしまったのである。
当然、輝元からその報告を受けた吉川広家も愕然とし、『可及速やかに戻ってくるべし』という強い口調の手紙を送ったのである。
受け取った秀元らは、当然、輝元や広家が激怒しているということを悟ったのであるが、今度は戻り方が分からない。海路を辿るか、陸路を辿るか。
書状の中で、広家が広島城を攻略したことを知っていたので、秀元達は姫路と岡山の池田家は敵だという認識は抱いていた。ゆえに陸路を使い敵地を突っ切って帰ることはできないという認識に達した。広正はまだ十六歳であり、秀就も二一歳である。秀元は関ケ原も経験しているが、そこでひたすら待機していたことからも分かるように、戦が得意ではない。
では、海路はというと、船の準備がない。船の手配をしようにも、摂津にしろ、播磨にしろ、敵地であるため、動くことで自分達の存在が明るみになり、攻撃されるという恐怖があった。そのため、海路からの帰還も取ることができないまま、更に無為な日々を積み重ねていたのである。
西宮に待機していた毛利の部隊はこのように、まさに張り子の虎というしかない軍であり、池田利隆がこの軍を毛利の主力と勘違いして避けてしまったのは痛恨の出来事であった。
備後国・三原。
かつて、毛利両川の一人小早川隆景が本拠地としていたこの城下町に、今、再び活気が戻りつつあった。
「おーい、それはこっちだ! こっちに積み込め!」
「兵糧はこっちだぞー!」
三原は毛利家の東部最大の拠点でもあり、かつ、小早川水軍の活動拠点でもあった。しかし、関ケ原の後、毛利家は備後も失い、そのまま福島家に接収された。城は接収で済んだが、水軍衆はそういうわけにもいかない。福島家は嫡男の正之をこの城に置いて、やはり重要視はしていたし、使えるものならば小早川水軍を使いたいという思いも有していたが、徳川家の目もあるので水軍衆を起用することはできなかった。結局、彼らは農村、町人として第二の人生を送らなければならなかったのである。
それが再び、毛利家の下で、水軍として働くことができる。失われた仕事を取り戻したというその喜びは何者にも代えられない。十五年が経ち、代替わりしている者も多かったが、皆、一様に港で喜びながら働いていた。
彼らの役割は何か。瀬戸内海を東に、岡山までの兵站を担うことであった。
備中に侵攻した毛利軍は瞬く間に東に進んでいった。
何といっても、岡山の池田氏は当主忠継を亡くしたばかりであり、民心も動揺している。更に痘瘡の流行により重臣も数人失っており、歯抜けの状態であった。それでいて、当主代理である利隆もいないのであるから、地方の領主はそれぞれ独立に判断するしかなかった。結果として、戦闘する者もいれば降伏する者もいるような状態だったのである。
三日で倉敷に到達した毛利軍は更に前進し、岡山城の南にある児島湾を確保した。
これで岡山城を目指すうえで水軍の兵站線も確保できる。かつて備前・備中にも何度も侵攻した毛利家であるだけに、瀬戸内海の要衝の場所は大方押さえていた。
ことここに及んで、岡山城の留守番達は城の防衛を諦め、掻上(後の赤穂)から姫路へ向かうことを決定した。もちろん、備蓄されている兵糧や武器などは持ち運んでいったことは言うまでもない。
個々の池田家ではなく、池田氏全体を考えたうえでの焦土作戦とも取れるが。
「幕府依存の体質を作ってしまったことが、禍となっておるのう…」
福島家の家臣団の責任者である尾関正勝はぼやく。岡山に退避し、毛利軍との再戦を望んでいた正勝にとっては、岡山城を放棄して更に東に行くというのは痛恨の出来事であったが、彼にはどうすることもできなかった。
城を接収した吉川広家も、備蓄されているものがないことはすぐに確認する。
「兵糧や武器については直に水軍が持ってくるだろう。それにしても…」
広家の視線は東へと向かう。
「あのたわけどもは何をしておるのか」
たわけどもというのは、もちろん、秀元、秀就、広正の三人のことである。早く合流しろという手紙を送っているにも関わらず、全く音沙汰もない。そのまま消えてしまったのではないかとも思えるほどである。
「まあ、結果的には姫路で合流できると考えれば、それでも良いのでは?」
「姫路まで来るつもりがあるのかすら、疑わしいがのう」
「これはまた酷い言いようで」
清水景治が苦笑する。
「実際そうであろう。輝元殿が怒るのも無理はない。あるいは秀元殿の下に関ケ原の時のわしのような存在がおるのであろうか」
思わず、自分の息子広正の顔が思い浮かぶ。そんなことはないだろうと思うが、広正がどうこうというより、そもそも秀元と秀就もそれほど仲がいいわけではない。お互いが妙な意地の張り合いで堂々巡りを続けている可能性もあった。
何故そう思うのか。
毛利秀元は、輝元の実子ではなく、毛利元就の四男穂井田元清の子である。輝元には中々嫡男が生まれなかったので、秀元を養子として手元で育てていたのである。その後に生まれたのが秀就であった。ある意味、豊臣家と似たような図式であり、最終的に後継者に実子が選ばれたのも同じである。ただ、秀元は豊臣秀次のように切腹を命じられることはなかったが。
このような関係なので、仲が悪いのはやむをえないところでもあるが、毛利家にとっての悩みの種は秀就の素行の悪さもあった。生まれた時から嫡男としての地位を約束され、甘やかされて育ったせいか、我慢の利かない性格なのである。これも大坂の陣以前に広家が輝元に不満を抱いていた理由の一つでもあった。
一方、自分の息子広正については若くて未知数ではあるが。
(あの二人と一緒に行動させたのは、失敗であったかなあ)
どちらに感化されても、戦場では役に立ちそうにない。
一刻でも早く、復帰させて一から教育しなければ。広家はそう思うことしきりであった。
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