第5話
6月1日。
家光の元服式を控える駿府に、真田幸村と大野治長が到達した。
「駿府に来るのも、戦の前以来であるか…」
治長が富士山を眺めながら感慨深そうに言う。
「某も久方ぶりでござる」
「しかし、どこに行けばいいのであろうか。穴山小助が迎えに来るのではなかったのか?」
「はっ、返書にはそうありましたが…」
返書によれば、穴山安治が駿府の分かりやすいところに待機しており、駿府城に案内して徳川家光に挨拶をしてから、伊達屋敷へと案内してくれることになっていた。
しかし、どこにもその姿はない。
何かあったのだろうか、そう思った時、前方にいた体格のいい若者が二人を見定めるように眺めてきた。
「もしや、貴殿らは大野修理大夫殿と真田左衛門佐殿であろうか?」
「いかにも、それがしが真田幸村でござる」
「おお、やはり」
若者はうれしそうに頭を下げる。
「拙者、お二人を迎えに上がりました松平忠直と申します」
「松平…」、「忠直?」
幸村は治長と顔を見合わせ、誰かと理解すると慌てて頭を下げる。
「こ、これは三河守様(忠直の官職)とも知らず…不躾な挨拶を。失礼いたしました」
「とんでもありません。拙者が望んで参りましたゆえ。真田殿の使いの者でございますが、過労がたたったのか熱を出してしまいましてな、とても迎えには行けぬと拙者が参りました」
「何たること…。情けない」
幸村はこの場にいない安治に思わず毒づいた。
「いやいや、熱の中でも無理に行こうとされていたのだが、拙者が押し止めて無理に参ったのでござる。あまり小助殿を責めないでくだされ」
「は、はあ…」
「拙者、あの日、真田殿の部隊のすぐそばにおりましてな、あの鬼のような部隊の長がどのような人物なのか興味がありました」
「ははは。全く冴えない風貌でありましょう」
「そうですな、正直なところを申せば、将というよりも、全てを悟り切ったような禅僧のような雰囲気に感じます」
「左様でございましょう」
「伊達殿は城で待っておりまする。家光様もお待ちでございましょう」
忠直は上機嫌で駿府を案内しながら、城へと向かった。
駿府城の大広間には、徳川家光の姿があった。
「真田幸村と申します」、「大野治長でございます」
二人は家光に平伏し、挨拶をする。
「真田、大野。よう参った。過去は過去、これよりはより良い関係を築こうぞ」
家光がやや緊張気味に話しかける。
「ははっ、千姫様も家光様が徳川家当主となったことをお喜びになられておりました」
「おお、姉上にもいずれ江戸に来るように申し伝えておいてくれ」
「承知いたしました」
家光との挨拶はその程度で終わる。元服をしたばかりで、まだまだ状況を把握しているわけでもない家光との間で交渉を進めるのは現実的ではない。
幸村はちらりと治長を見た。家光の後ろにいるお江与に何か言うべきか迷ったのである。
治長は視線には気づいたようであるが、特に反応はない。すなわち、敢えて話をする必要はないということであろう。
話が終わり、控えの間で伊達政宗を待つ間、幸村は治長に問いかける。
「新しい徳川家当主はいかがでござろう?」
「うむ。中々気の強そうな御仁には見えた」
治長の感想は幸村も同感であった。二人を相手にして多少緊張していたが、それでも気をしっかり保っていたし、変に取り乱すこともなかった。
「ご母堂に話をされずとも良かったのでしょうか?」
改めてお江与のことを話題に出すが、治長は溜息をつく。
「幸村、あの方は淀様の妹君ですぞ」
「もちろん存じておりますが」
「それがしは大坂を離れてまで、淀様のことを考えたくないのでござる」
心底からの「勘弁してほしい」という声。幸村は思わず苦笑した。
待つこと四半刻。政宗が二人の男とともに現れた。一人は見覚えのある男で、もう一人は忠直ではないが若い男である。
「立花宗茂と申します」
「井伊直孝と申します」
「おお、立花左近殿か」
幸村も思わず相好を崩す。立花宗茂の戦上手ぶりは父昌幸や世評などを通じてよく知っていた。
「さて、それでは早速本題に入るとしよう。現在、西国では毛利、島津、切支丹が暴れる動きを見せておる。これをどうしたものか」
政宗が話を切り出した。
「毛利や島津はともかく、切支丹が大きな勢力をもった場合、外国が何かを言ってくる問題がございますゆえ、早期に決着つけねばならない。それがしはそう考えております」
立花宗茂が続く。井伊直孝が頷いた。これは幸村も同感であり、頷く。
「となると、真田殿の提案通り、我々は停戦のみならず、同盟を結んで、事に当たるべきと考えるべきか」
「異議はござらん」
宗茂が頷いた後、幸村と治長を見て笑う。
「ただし、相手方の出す条件次第とも言えますが」
「摂津、河内、和泉、大和まではいただきとうござる」
大野治長が言う。三人が意外そうな顔をした。
「それでよいのでござるか?」
幸村にとっても少し意外であった。
摂津については、確かに北の方は領有権を確立していないが、南はほぼ豊臣家のものである。河内、和泉についてもほぼ豊臣家のものである。大和は徳川方の領有しているものであるが、紀伊とともにそれほど有用な場所ではない。今回の件がなかった場合、恐らく家光の将軍位と引換に徳川家が条件として出してくるところではないかと踏んでいた。
領地については大野治長に決定権があるが、交通の要衝である播磨や、備前あたりまで要求するのではないかと思っていただけに過小な要求とも思えた。
「…相分かった。一旦、我々三人で相談させていただいてよいだろうか?」
政宗が言い、治長が頷く。
政宗、宗茂、直孝の三人が部屋を出て行った。
「大野殿…」
幸村が声をかけると、治長は笑う。
「左衛門佐、これでいいのだ」
「…左様でございますか」
納得は行かないが、淀の方のように感情的になって要求を出す男ではないということは分かっている。幸村は黙って従うことにした。
すぐに三人が戻ってきた。
「大野殿、本当に摂津、河内、和泉、大和の四国でよいのでござるな?」
「過大すぎますかな?」
治長が微笑みながら言う。
「ふむ…四か国というのは徳川家にとっては痛手ではござるが、今はそれにも増して日ノ本の不穏な動きを鎮めることが肝要。その条件で誓書をかわすとしよう」
決定してしまうと、堺の時と同様に後は早い。たちまち祐筆達が案文を作成し、双方が確認したうえで五人がそれぞれ連署していく。
「それでは、我々は大坂に戻り、西国に遠征するための布陣を整えるので、これにて失礼」
挨拶を手短に済ませると治長は幸村を引き連れて部屋を出た。案内に従い、途中、伊達屋敷で穴山安治を拾い、伊達屋敷で一息つく。
「大野殿、本当にあれでよいのでしょうか?」
「考えてもみよ、幸村」
治長が諭すように言う。
「もちろん、多少話が長くなっただろうが、播磨や備前を要求することはできたであろう。しかし、そうなった場合、池田家の立場はどうなる?」
「池田家ですか?」
「うむ。今、最前線として戦っているのに、勝手に所属を変えられるなどと知った場合、池田利隆はどう思うか。やっていられないと思うだろう。その場で毛利につくことだって十分にありえる。そうなっては、池田に毛利を加えた相手と戦わなければならぬ」
「確かに…」
「今の相手は毛利なのだから、毛利を利する可能性のあることはすべきではないだろう。そういうことだ」
「…ははっ、それがしが浅はかでございました」
幸村は思った。自分は政治の駆け引きにおいてはまだまだなのだと。
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