第4話

 竹千代が後継となることが決まり、駿府では諸大名の竹千代に対する挨拶が続いていた。もちろん、竹千代以外にも伊達政宗、立花宗茂、井伊直孝といった後継候補の代理となった者にも面会は多い。彼らは一様に時間も忘れるほど多忙な日々を過ごしていた。

 そんな駿府にも6月に入る頃には次第に西国の情報が伝わってきた。

 西国の大名の顔は一様に真っ青になる。島津が兵を挙げることはある程度予想されていたが、毛利が一気に勢力拡大をしていることと、何より切支丹の大規模な反乱は予想外の出来事であった。

 このうち、池田利隆は伊達政宗とお江与に面会し、帰国の許可をもらうとすぐに姫路へと戻っていった。

 一方で、九州にいる大名は渋い顔となる。直ちに帰るには瀬戸内の状況が不穏すぎるからであった。毛利の水軍にでも出会えば、当主が人質となる可能性もある。

「四国に渡り豊後水道を通って九州に戻る手もあるが」

「しかし、蜂須賀、加藤といった豊臣恩顧の大名もおりますゆえ」

 と口を滑らせたのが鍋島勝茂であった。これに蜂須賀至鎮が激怒する。

「鍋島殿、今の言葉は聞き捨てならぬ。それがしが貴殿らを闇討ちするとでも申されるのか?」

「いや、そういうわけではござらぬが…」

「では、今の言葉はどういうつもりでござる」

 と収まらない至鎮を、細川忠興と黒田長政が何とか宥める。

 大坂からの使者が来たのはまさにそのような時であった。



 堺で真田幸村と面談していたこともあるため、今回も折衝は伊達政宗に任された。政宗の専横に対する反感は強いが、だからといってこうした外交事を率先して行うだけの覚悟はお江与にはない。

 政宗としても、西国の状況は頭が痛い話ではあるが、自分が主導権を取るにはいい機会であるので、率先して務める。

「ふむ…、真田殿と大野殿が…」

 政宗は穴山安治から「駿府に訪れ、善後策を共に考えたい」との書状を読み、思案する。

(確かに、大坂方からしてみると、朝廷との取引や領地の要求ということで、毛利らよりも我々と交渉した方が得策ではあるか)

 続いて、幕府にとってどうかを考える。

(毛利や島津はここまで来たからには、中国、九州までは制するつもりであろう。となると、これを放置しておくと幕府の権威という点でも大いに問題がある。という理屈であれば、譜代大名どもも納得するか)

 政宗は念のために立花宗茂と井伊直孝を呼んだ。先の葬儀の後の件以降、年齢は若いが譜代大名の筆頭は井伊直孝であるという認識が確立されていた。彼の同意を得れば、譜代大名で反対する者はいないであろう。また、立花宗茂は戦の読みでは自分より上だと政宗も評価している。徳川家内部の戦いとなると面倒な存在であるが、徳川家として外にあたる場合にはその経験は頼りになった。

 二人はすぐにやってきた。

「…ということで、一か月前までは相争っていた豊臣方と組むというのは口惜しいと思われるが、毛利・島津らを放置しておいては徳川家の威信にかかわる。それがしとしては、真田と話をし、共闘すべきだと思うがいかがであろうか?」

「異議はありません」

 立花宗茂が了承する。

「時間を置いておくと、海外にいる切支丹や東国の切支丹も反応するかもしれません。この件は早期に収拾をもくろむのが正しいでしょう」

 宗茂は毛利・島津よりも切支丹の方に脅威を感じているようであった。

「…お二方が賛成されるなら、私としても言うところはございません」

 井伊直孝も賛成した。

「よし、それでは三人で真田・大野と交渉することにしよう」

 政宗も満足し、その日はその場で解散した。



「立花殿」

 伊達屋敷を出た後、直孝は宗茂に声をかけた。

「今回の件、越前様はご存じなのでしょうか?」

 問いかけに宗茂は首を横に振る。

「伊達殿が、それがしに来てほしいということでしたので、このことは伝えておりません」

「左様でございましたか」

「井伊殿、話がまとまり、豊臣と共に中国に攻め入るとなった場合、最前線に立つのは井伊殿と越前様の部隊となりましょう。彦根と北ノ庄に早く伝えておいた方がよろしいでしょう」

「なるほど。そうですね。では、それがしは家の者に伝えた後、越前様にも伝えなければ」

 直孝は小走りに屋敷に戻り、宗茂に伝えられた通り、国許で戦の準備をしておくように伝えると、今度は松平忠直の屋敷へと向かった。近づくにつれて、楽しそうな音楽が流れてきて、直孝は「またか」と陰鬱な気分になる。

(とはいえ、やるべきことはやったのだし、今の越前様に文句を言うことはできないか)

 ともあれ、直孝は忠直の屋敷へと入っていった。家内全員でどんちゃん騒ぎをしているため、門番もいない。「ご免」と大声で叫んで、中へと入る。

 大広間に向かうと、予想通りに忠直が20人ほどの家人と、10人ほどの女衆とともに遊んでいた。

「失礼します」

 これみよがしに叫んで、広間に入る。その音声に女達がまず黙り、門番などの男達もしばらく顔を見合わせてから広間を出て行く。

「おう、直孝ではないか。どうした?」

「越前様、羽目を外すなとは申しませんが、天下は激しく動いているのでございます。毎日毎日どんちゃん騒ぎされるのはおやめいただけないでしょうか?」

「毎日はしておらんぞ。三日ぶりだ」

「せめて十日に一度になされませ」

「うるさいのう。お主も譜代大名筆頭であろう、わざわざわしのところに小言を言いに来ぬでもよいではないか」

 呆れたような顔をしながらも、忠直も宴会をやめて、女達に「またな」と声をかけて帰している。女達も直孝に止められるのは初めてのことではないので、心得ているとばかりにそそくさと屋敷を出て行った。

「本日、伊達政宗に呼ばれておりました」

「何だ、西国で何かあったのか?」

「いえ、大坂から真田と大野が交渉のために駿府に来るそうです」

「ほう、てっきり毛利と組むものだと思っていたが」

「詳細については、真田と大野から聞き出したいと思いますが、越前様も交渉に参加されますか?」

「ふむう」

 忠直は興味があるような表情はしたが。

「いや、立花殿が出るのなら、それでいいだろう。わしが出ると立花殿が参加することに異議を申す者もおるだろうし」

「…左様でございますか。で、立花殿は、実際に西国と戦うとなった場合、我が井伊家と越前家が最前線にあたることから兵を出すことになるだろうと」

「おお、そういうことか。それはそうなるだろうなあ」

 忠直は溜息をついた。

「毛利には喜佐もおるゆえ、やりあいたくはないが」

 忠直の妹の喜佐は、毛利秀就の正室である。

「とはいえ、毛利が勢力を拡大するとなると、そうも言ってられぬか。それに父の娘ではなく、秀忠の養女として嫁いでおるし、うむ、関係ないか」

「前将軍様を関係ないと言うのはおやめいただきたいのですが。まあ、それはいいとしましても、早めに北ノ庄に伝えておいた方がいいのではないかと立花殿が仰せでした」

「確かにな」

 忠直は頷きつつも不思議そうな顔をする。

「しかし、そんなことは夕方になれば立花殿が伝えに来るだろうし、お主がわざわざ伝えに来なくてもよいのではないか?」

「早めに伝えたいというのもありますが、越前様に西国の大名と戦うことをどう考えているのかも伺いたかったこともございます」

「西国の大名と戦うこと? わしの考えということか?」

「はい」

「変わった質問だな。武門の道に生まれた以上、西国だろうが、東国だろうが、南国だろうが、外国だろうが、必要とあれば戦うのは当然ではないのか?」

 明快に答える。

「いえ、立花殿も賛同されたのでそれがしからは何も申し上げませんでしたが、先月、大坂方に大御所様と前将軍様が討たれたばかりで共同戦線というのは、果たして適当なものなのかとも思いまして」

「それもそんなものであろう。それならばわしの伯父である信康公はどうなる? 織田信長公の命令で、大御所は信康公の自刃するよう命じたというではないか。その後、大御所は織田家に楯突いたのか?」

「むっ…」

 忠直の言う通り、家康の長男信康は、織田信長の命令により家康から切腹を命じられたということがあった。

「その後、大御所はどうしたのだ? 信長公に楯突いたか? そんなことはないだろう。昨日は昨日、今日は今日、明日は明日と考えるしかないのではないか」

「…左様でございますね」

「まあ、わしにとっては大御所はともかく秀忠には思うところもあったし、大坂方には何の反感もないのだがな」

 忠直はこれまで何度も言ってきたことをまた言い、快活に笑う。

 直孝は溜息をついて頭を落とした。

「ともかく、大坂方との交渉に関しては立花殿が参加する方がよいだろう。わしは遊んでいることにする」

「いや、立花殿を参加させるということと、越前様が遊んでいいかという話は全く変わりますぞ」

 いつもと同じ展開へと舞い戻っていった。

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